「ねえ都、ほんとにひとりで大丈夫?」
「大丈夫だって!」
「寂しくない?」
「寂しくない!早く行け!!」

玄関前で昨晩何度もしたやり取りを繰り返すこの男に荷物を全て押し付けて背中をグイグイと押す。
仕事で地方へ行くことになった周助。たった十日程度だ、たった十日なのにこの心配のしようはなんなんだ。
確かに私の生活能力は底辺に等しいけど、幸い実家は遠く無いし最悪どうとでもなる。

「あ、ちょっと待って。忘れ物しちゃった」
「……はあ、なに?」
「こっち向いて」

あれだけ確認したのに忘れ物か、呆れて溜息を漏らせばこちらに振り向いた周助は触れるだけのキスをして満足そうに目を細めた。
驚きのあまり目を丸くして固まっていれば小さく吹き出してから玄関の扉を開ける。

「じゃあ、いってきます」
「帰って!来るな!バカ!」

私の怒号を背に家を出た周助。
寧ろ、いなくてせいせいする!なんて思ったことは、彼には内緒にしておこう。

────

……あれだけ調子に乗っていれたのは、ほんの二日だけだった。自分でも驚いてしまう程に、不二周助という男は私の生活の一部だったのかもしれない。
ひとりでは嫌に広く感じてしまう部屋、ひとりご飯が出来なくなったのはいつからだった?
なんだか負けた気分で悔しい。三日目にはもう既に彼の声が聞きたくて、顔が見たくて仕方ないのだから。

少しだけなら許されるかな。何度も履歴を開いては彼の名前をなぞる。時間は九時過ぎ、もうホテルにいるのかな?
恐る恐る名前をタップすれば呼出音が鳴り始める。三コールで出なかったら諦めよう、なんてひとつずつ数える。
三回鳴り終わりあと一回、なんて欲張った頃にふと我に返ってしまってそのまま電話を切る。嗚呼、やってしまった。
スマホを放り投げてベッドの上に倒れ込み先程の行動を思い出してじたばたと暴れる。なんで掛けてしまったんだ、私のバカ。
このベッドもひとりでは広すぎる。小さく息を吐いた瞬間、スマホが鳴り始めて思わず飛び起きてしまう。慌ててスマホを手に取れば画面に表示された周助の二文字に顔が緩みきって仕方がない。

「も、もしもし」
『どうしたの?』
「……あ、ごめん。もしかして人といた?」
『ああ…ちょっとみんなでご飯来てて』

微かにだけど、ガヤガヤと遠くから聞こえる。きっと私からの電話に気付いてわざわざ途中で抜けてきたに違いない。嬉しくて堪らないのだけど、急に申し訳ない気持ちでいっぱいになって切らなきゃ…なんて。

「あ、の…ごめん。言いたい事、忘れちゃったからまた連絡し、」
『ふふ、寂しくなったんでしょ』
「んなっ…!……ぐっ、……そうです…」
『あれだけ寂しくないって言ってたのに。ふ、あはは!』
「笑うな!もう!」

切ると伝えようとしたのも束の間、すぐに言い当てられてしまい思わず言葉に詰まってしまった。
未だに笑う周助が少し恨めしい。

『あのさ、すぐにホテル帰るから少しだけ待てる?』
「……いいの?」
『大丈夫だよ、もうすぐお開きだったし』
「……まち、ます」
『うん、ふふ。またかけ直すからもう少し待っててね』

そう言って切れてしまった通話画面をぼうっと眺めながらまた布団へと倒れ込む。
思えば長らくお互いの元を離れるだなんて、中高時代に彼が参加していたテニスの世界大会の時くらいだけだったような気がする。

数日ぶりに聞いた彼の声のせいでほんの少しだけ微睡み始めた頃、またスマホが震え出す。
何とか通話を繋げれば急いで帰ってきたのか少しだけ息が乱れているようだ。

『おまたせ』
「ううん、待ってないよ。ふふ、おかえり」
『…ただいま。なんだか眠たそうだね』
「ちょっとだけ眠いかも」
『寝てても良かったんだよ?』
「周助の声聞きたかったから、意地悪しないでよ」

珍しく素直に気持ちを伝えたからか、一瞬だけ言葉に詰まってから「やけに素直だね」なんて照れ隠しのように呟いた周助。
転がったままスマホに耳をくっつけて、ぽやぽやした頭のまま話を続ける。

「昨日までは余裕だったのに急に寂しくなっちゃった」
『久しぶりだもんね、これだけ会わないのって。忙しくてなかなか連絡入れられなかったし……ごめんね』
「電話に出てくれたからいいよ。こっちこそ急に掛けちゃってごめんね」
『僕も都の声が聞きたかったしすごく嬉しいよ。こうやって素直に寂しいって言ってくれるとは思ってなかったし』

くすくすと楽しそうに笑う声が心地好い。
いつもなら意地を張ってしまうところだけど、そんな事をする気が起きないくらい寂しいという気持ちの方が強くて仕方がない。

「ねえ、周助」
『ん?なんだい?』
「早く会いたい」
『……うん、僕も。出来るだけ早く帰れるように頑張るから』
「ふふ、期待して待ってるけど無理はしないでね」

こんな素直に気持ちを伝えるなんてむず痒いけれどたまにはいいのかもしれない。
ふわぁと大きな欠伸が溢れてしまう。もう眠たくなってきてしまった。

「そろそろ眠たくなってきた」
『そっか、ゆっくり休んで。明日もお仕事だよね』
「うん、お仕事。充電したから頑張れそう」
『僕も明日からまた頑張れそうだよ』

どちらからともなくくすくすと笑い始める。
そろそろお開きの時間だ、名残惜しいけどお互い仕事もあるしもうそろそろ切った方が良いだろう。

『もう切る?』
「うん、周助はこれからお風呂とかでしょ?」
『そうだね』
「私は寝ちゃうから、また連絡するね」
『うん、それじゃあ…おやすみ』
「おやすみなさい。……あいしてるよ!」
『えっ、』

ぶちっと通話を切って枕に顔を埋める。言ってしまった。愛してるだなんて、恥ずかしくて言ったこと無いかもしれない。
ぽこんと鳴ったスマホをちらりと見れば周助からで。『僕も愛してる』だなんてさっきの返事が表示されている。
思い出すだけで恥ずかしくなってきた。寂しかったが故に口走ってしまったことにしてもう寝てしまおう。
目を閉じればすぐに心地よい眠気がやってきてそれに身を任せる。そのまま沈み込むように眠ってしまった。

────

なんだかんだと周助が出掛けてから八日も経ってしまった。細々とお互いが暇な時間に連絡を取り合い夜には少しだけ通話をしていれば寂しさも紛れて何とか八日だ。
それでも、もう八日も会えていなくて正直人肌寂しいという思いもある。
ぼうっとコントローラーを握ったままテレビから目を離す。暇潰しのゲームももうとっくに飽きてしまった。横に座って楽しそうに見ている周助が居ないだけで、大好きなゲームもこれだけつまらなくなってしまうのか。

「早く帰ってこないかなあ」

ボソリと呟いて寝転がった瞬間、ガチャと鍵が開けられた音がする。
えっ、なんだ。なんてそっと覗いてみれば扉から現れたのは周助で。幻覚でも見ているのか?

「ただいま」
「…っ、おかえり!待ってたよ!」

思わず走って飛びつけばびっくりした顔をしながらもしっかりと受け止めてくれる。
肩口に顔を埋めてグリグリと擦り付ければ困ったように笑いながらぎゅうっと抱き締め返してくれて。

「熱烈だね?」
「会いたかった」
「僕も。……良い子にしてた?」
「そんな、子供じゃないんだから」

久しぶりに見る顔は相変わらず見慣れたものだけど、それでも今の私からすれば一番見たかったもので。
パチリと目が合って周助が微笑めば釣られて口角が上がってしまう。そのままゆっくりと目を閉じれば近付く影に柔らかい感触。
小さく笑えば周助も満足そうに笑ってから口を開く。

「そろそろリビング行こっか」
「あ。そうだ、玄関だったね。荷物持つよ」
「ありがとう。お土産もあるよ」
「やったあ!」

その日は一日中…もちろん寝る時までぴったりくっついて過ごしたのは言うまでもないだろう。