キミがいない
「これをどうぞ」
会場を抜け出して、共用スペースの隅にある一人掛けのソファに座っていると、女性にしては低い声とともに白のハンカチが差し出される。きっちりとアイロンがかけられていて、躊躇いが臆面もなく出てしまう。
「……あ」
申し訳ないと思いつつ善意をムダにはできなくて受け取ろうと顔を上げ、そこで渡してくれたひとの顔に身体が固まる。
「?」
目の前の彼女は星乃くんの妹さんだった。なぜ今初めて会ったひとのことがわかったのかというと、先程焼香に並んでいるときに親族参列席に腰掛けているところを見ていたのもあるが、生前の彼から妹さんの話をよく聞いていたからだ。
不躾ながらまじまじと上から下へと見てしまう。あの葬式のなかでひとり静謐とともにあって周りから浮いていた彼女。大人びた姿から初めて見たときは年上かと思ってしまったし、今も彼の妹だとどこか信じきれていない。
「兄のために泣いてくれてありがとうございます」
そう言われていたたまれなくなる。本当は泣いていないのだが、黒の額縁のなかにいる彼を直視して逃げ出したのだからほとんど同じことだ。もともと見るつもりも勇気もなかったけれど、家族席の中でただ前を見ている彼女の強さに星乃くんの眩しさを見出して思わず目を逸らしたら彼と目を合わせてしまい、今に至る。
ちらりと彼女の表情を覗く。
大人が泣き喚いてもおかしくもない葬式で他人を気遣えて、自分と歳が変わらない、しかも下の子が落ち着きを払って対応している姿に駆け出すしかなかった自分がとても恥ずかしくなった。
それと同時に疑問に思う。泣いたっていいのに、涙ひとつ見せない。悲しくないのだろうか。焼香までの間に垣間見たが、悲痛な面持ちでいる感じではなかった。
「……涙のひとつ零さないどころか悲しむ素振りすらないなんて、家族への情がないのかしら」
「泣けないのよ。ほら、あの二人とても仲が良かったから」
「気味が悪い」
ヒソヒソとどこからともなく聞こえてくる、相手をおもんばかっているようで貶しているそれ。自分が心の中で思った言葉と同じものにぎくりと肩が強張る。妹さんの横顔はとても厳しいものになっていて、咄嗟に謝りそうになる。
「すみません」
だが彼女は何もかも飲み込んで微笑みかけてきて、そこで納得してしまった。
――彼女は泣けないじゃない、泣かないんだ。
星乃くんと似ている。向けられた悪意をいなしながらしなやかに流し、折れないように強くあろうとする。今隣にいる彼女はその真っ直ぐな瞳を携えていた。
どこを探しても彼の欠片を見出してしまう自分の浅ましさに胸が苦しくなって、とうとう嗚咽が喉を喰い破った。
「忘れないでやってください」
しゃっくりをあげる背中をさする手がひどく優しい。
「ひとりでも多く誰かの記憶に残っていたら兄も嬉しいと思うでしょうから」
返事をする余裕なんかなくて、首を何度も縦に振り続ける。
彼女はこちらが自分のお兄さんに不毛な想いを抱いていたのを察しているだろう。けれどもそれを口には出さないで、こうやって慰めてくれている。
ひとしきり泣いて落ち着いてきた私に、お水持ってきますねと彼女が立ち上がる。その瞬間、彼女の胸ポケットがきらりと光って目が奪われる。
『女の子って何もらったら喜ぶ?』
ひっそり佇むその万年筆はかつて星乃くんと一緒に選んだものだった。
『その子がほしいものあげればいいんじゃん』
『実用的なものはわりと好きだって言ってたな』
『ペンとかは? あと万年筆』
『高くないか?』
『最近は安いものも出てきたし、名前も入れられたり自分好みにカスタムできるみたいだよ』
ほらとサイトを開いたスマホを見せる。ポップな柄からシックな色までよりどりみどりでそろえているホームページに彼は興味津々で釘付けになっていた。
あのときは相手の好みをちゃんと把握しているのに聞いてくるとはなんと残酷なんだろうと勝手に胸が苦しくなったものだが、妹さん宛てだったとは。
ちゃんと使っていてくれているかと彼は心配していた。それは杞憂だったよと今すぐ教えたい。教えたいのに、彼はもういない。
キミが、いない。
会場を抜け出して、共用スペースの隅にある一人掛けのソファに座っていると、女性にしては低い声とともに白のハンカチが差し出される。きっちりとアイロンがかけられていて、躊躇いが臆面もなく出てしまう。
「……あ」
申し訳ないと思いつつ善意をムダにはできなくて受け取ろうと顔を上げ、そこで渡してくれたひとの顔に身体が固まる。
「?」
目の前の彼女は星乃くんの妹さんだった。なぜ今初めて会ったひとのことがわかったのかというと、先程焼香に並んでいるときに親族参列席に腰掛けているところを見ていたのもあるが、生前の彼から妹さんの話をよく聞いていたからだ。
不躾ながらまじまじと上から下へと見てしまう。あの葬式のなかでひとり静謐とともにあって周りから浮いていた彼女。大人びた姿から初めて見たときは年上かと思ってしまったし、今も彼の妹だとどこか信じきれていない。
「兄のために泣いてくれてありがとうございます」
そう言われていたたまれなくなる。本当は泣いていないのだが、黒の額縁のなかにいる彼を直視して逃げ出したのだからほとんど同じことだ。もともと見るつもりも勇気もなかったけれど、家族席の中でただ前を見ている彼女の強さに星乃くんの眩しさを見出して思わず目を逸らしたら彼と目を合わせてしまい、今に至る。
ちらりと彼女の表情を覗く。
大人が泣き喚いてもおかしくもない葬式で他人を気遣えて、自分と歳が変わらない、しかも下の子が落ち着きを払って対応している姿に駆け出すしかなかった自分がとても恥ずかしくなった。
それと同時に疑問に思う。泣いたっていいのに、涙ひとつ見せない。悲しくないのだろうか。焼香までの間に垣間見たが、悲痛な面持ちでいる感じではなかった。
「……涙のひとつ零さないどころか悲しむ素振りすらないなんて、家族への情がないのかしら」
「泣けないのよ。ほら、あの二人とても仲が良かったから」
「気味が悪い」
ヒソヒソとどこからともなく聞こえてくる、相手をおもんばかっているようで貶しているそれ。自分が心の中で思った言葉と同じものにぎくりと肩が強張る。妹さんの横顔はとても厳しいものになっていて、咄嗟に謝りそうになる。
「すみません」
だが彼女は何もかも飲み込んで微笑みかけてきて、そこで納得してしまった。
――彼女は泣けないじゃない、泣かないんだ。
星乃くんと似ている。向けられた悪意をいなしながらしなやかに流し、折れないように強くあろうとする。今隣にいる彼女はその真っ直ぐな瞳を携えていた。
どこを探しても彼の欠片を見出してしまう自分の浅ましさに胸が苦しくなって、とうとう嗚咽が喉を喰い破った。
「忘れないでやってください」
しゃっくりをあげる背中をさする手がひどく優しい。
「ひとりでも多く誰かの記憶に残っていたら兄も嬉しいと思うでしょうから」
返事をする余裕なんかなくて、首を何度も縦に振り続ける。
彼女はこちらが自分のお兄さんに不毛な想いを抱いていたのを察しているだろう。けれどもそれを口には出さないで、こうやって慰めてくれている。
ひとしきり泣いて落ち着いてきた私に、お水持ってきますねと彼女が立ち上がる。その瞬間、彼女の胸ポケットがきらりと光って目が奪われる。
『女の子って何もらったら喜ぶ?』
ひっそり佇むその万年筆はかつて星乃くんと一緒に選んだものだった。
『その子がほしいものあげればいいんじゃん』
『実用的なものはわりと好きだって言ってたな』
『ペンとかは? あと万年筆』
『高くないか?』
『最近は安いものも出てきたし、名前も入れられたり自分好みにカスタムできるみたいだよ』
ほらとサイトを開いたスマホを見せる。ポップな柄からシックな色までよりどりみどりでそろえているホームページに彼は興味津々で釘付けになっていた。
あのときは相手の好みをちゃんと把握しているのに聞いてくるとはなんと残酷なんだろうと勝手に胸が苦しくなったものだが、妹さん宛てだったとは。
ちゃんと使っていてくれているかと彼は心配していた。それは杞憂だったよと今すぐ教えたい。教えたいのに、彼はもういない。
キミが、いない。