スノードームシンデレラ
「指揮官?」
しんしんと降り積もる雪を数えるのに飽きてきた頃だった。
振り向くと武居くんが肩を縮こまらせながら怪訝な表情でやって来る。高校生って寒い寒いと言いながら防寒具一つで済ませているから別の生き物だと思う。これが若いということか。
「今日も寒いね」
「そんなことより傘は」
「忘れちゃった」
「天気予報ぐらい見とけ……というかそこに傘あるだろーが。使えよ」
玄関先にひとり、しっかりとした傘が寂しく佇んでいる。
もちろんあることは知っていたけれど──
「私が使ったら持ち主の人が使えないでしょ」
人の物を奪ってまで自分を守ろうだなんてさすがにそこまで良心を廃らせてはいない。
「それで傘もささずに出ていこうってか。バカだろ」
「アハハ……」
年下にバカ呼ばわりされる年上なんて情けないことこの上ない。
「肉まん」
こぼれた息が白をまとって現れる。
「何個」
「今そこまで腹減ってないから一個で手を打つ」
「了解」
交渉成立だ。
「はい、どうぞ」
「どーも」
店員さんのコピペを自動ドアの向こうに聞きながらホカホカの肉まんを渡せば、ぶっきらぼうな言い方の後にいただきますと礼儀正しい言葉がついてくる。そのくせ頬張る姿は高校生そのもので、なんだか安堵するものがあった。
「出た時より降ってきたね」
来る途中でビニール傘から見上げた世界ははらはらと斑雪 が舞っていてスノードームみたいに幻想的だったが、目の前では情緒を埋めるように雪帽子が世界を蹂躙していた。
「武居くんを捕まえられてよかったよ」
「捕まえたって……玄関で最初に会ったヤツの傘に入れてもらおうとして結局誰も来ねぇから心が折れてただけだろ」
「よくわかったね」
「感心すんな。ソイツも傘持ってなかったらどうしてたんだ」
「それは考えてなかった」
「オイ」
「まあまあ」
武居くんはあたたかい食べ物にありつけたし、こっちは体を余計に冷やさずに済んだ。結果オーライじゃないだろうか。
「じゃ、ここで」
「は?」
「え?」
向こう側の道路で蛍光灯がチカチカ点滅している。
「暗いだろ」
「暗いね」
夜はとっくの前に更けている。
「傘も買ったし」
年下にいつまでも頼りっぱなしでは大人として格好がつかない。
「ここまで来てくれたのは肉まんのためだよね?」
「……」
「え、違うの?」
不意に落とされた沈黙に戸惑わずにはいられない。傘に入れてくれるのはコンビニまでだと考えていたけれど、まさか家まで送ってくれようとしていたのか。
「って、ちょっと待った待った!」
くるりと背を向けた武居くんを追いかける。会話が成り立たないからと詳しい言葉もなく話を終わらせようとするのは彼の悪い癖だ。拾えるはずの気持ちも拾えなくなって、誤解だけが残る。それだけは嫌だった。
「!?」
あともう少しと一歩踏み出した瞬間、爪先が地面を滑り体が浮く。ほんの数ミリでも浮いたことには変わりはなく、宇宙空間でない限り浮いた物は自然と字面に向かうもので──
「っぶね……」
どうやら怪我は免れたようだ。が、しかし。
「ったく、世話が焼けるな」
心臓音が響く耳に息がかかって、自分たちが今どんな距離感に置かれているかをありありと伝えてくる。普段気にしていない部分を意識してしまう。
これはだいぶ、近い。
「……普段世話をしてるから相殺ということには」
「ならねーよ」
「左様ですか……」
何もなかったかのように装って、武居くんから離れる。夏でもないのに思わず手で首筋を扇いでしまった。
「送る」
「でも」
「往生際が悪い」
言い訳はピシャリと跳ね返される。
「見てないところで怪我されたら困る」
ざく、ざく。
傷ひとつない綺麗な道にふたり分の足跡が刻まれる。完成された作品を壊すみたいで気が引けたけれど、横の彼はそういうものを気にせず先へ先へと進んでいく。
そうしていれば当然家は見えてきて、こういう時になって初めてせり上がる名残惜しさほどタイミングが悪いものはない。
「ここでいいよ」
「ん」
「帰ったらちゃんと温まるんだよ」
「わかってる」
鼻の先を赤くしながら返事をしてくれた彼が可愛く見えて、思わず髪に手を伸ばす。
「っ、なにすんだよ」
もちろん払われたがそこは気にしない。
「送ってくれてありがとう。それと」
嬉しかった。
「……そーかよ」
すこし乱れた短い髪から赤い耳が覗く。寒空の下に晒しすぎたので早く帰さなければいけない。
「お腹出して寝ないようにね」
「アンタこそ」
「気をつけて帰ってね。……おやすみなさい」
「ん。おやすみ」
じゃれあいに似た会話に終わりを打って、頼もしい背中を見送る。久しぶりに帰ってきた自宅はひんやりした空気で主人を待っていた。
「あったかくして寝よ」
寝巻きにさっさと着替えて羽毛布団にくるまれば、暖がゆっくりと体に入ってくる。
物足りなさは瞼の奥にしまいこんだ。
しんしんと降り積もる雪を数えるのに飽きてきた頃だった。
振り向くと武居くんが肩を縮こまらせながら怪訝な表情でやって来る。高校生って寒い寒いと言いながら防寒具一つで済ませているから別の生き物だと思う。これが若いということか。
「今日も寒いね」
「そんなことより傘は」
「忘れちゃった」
「天気予報ぐらい見とけ……というかそこに傘あるだろーが。使えよ」
玄関先にひとり、しっかりとした傘が寂しく佇んでいる。
もちろんあることは知っていたけれど──
「私が使ったら持ち主の人が使えないでしょ」
人の物を奪ってまで自分を守ろうだなんてさすがにそこまで良心を廃らせてはいない。
「それで傘もささずに出ていこうってか。バカだろ」
「アハハ……」
年下にバカ呼ばわりされる年上なんて情けないことこの上ない。
「肉まん」
こぼれた息が白をまとって現れる。
「何個」
「今そこまで腹減ってないから一個で手を打つ」
「了解」
交渉成立だ。
「はい、どうぞ」
「どーも」
店員さんのコピペを自動ドアの向こうに聞きながらホカホカの肉まんを渡せば、ぶっきらぼうな言い方の後にいただきますと礼儀正しい言葉がついてくる。そのくせ頬張る姿は高校生そのもので、なんだか安堵するものがあった。
「出た時より降ってきたね」
来る途中でビニール傘から見上げた世界ははらはらと
「武居くんを捕まえられてよかったよ」
「捕まえたって……玄関で最初に会ったヤツの傘に入れてもらおうとして結局誰も来ねぇから心が折れてただけだろ」
「よくわかったね」
「感心すんな。ソイツも傘持ってなかったらどうしてたんだ」
「それは考えてなかった」
「オイ」
「まあまあ」
武居くんはあたたかい食べ物にありつけたし、こっちは体を余計に冷やさずに済んだ。結果オーライじゃないだろうか。
「じゃ、ここで」
「は?」
「え?」
向こう側の道路で蛍光灯がチカチカ点滅している。
「暗いだろ」
「暗いね」
夜はとっくの前に更けている。
「傘も買ったし」
年下にいつまでも頼りっぱなしでは大人として格好がつかない。
「ここまで来てくれたのは肉まんのためだよね?」
「……」
「え、違うの?」
不意に落とされた沈黙に戸惑わずにはいられない。傘に入れてくれるのはコンビニまでだと考えていたけれど、まさか家まで送ってくれようとしていたのか。
「って、ちょっと待った待った!」
くるりと背を向けた武居くんを追いかける。会話が成り立たないからと詳しい言葉もなく話を終わらせようとするのは彼の悪い癖だ。拾えるはずの気持ちも拾えなくなって、誤解だけが残る。それだけは嫌だった。
「!?」
あともう少しと一歩踏み出した瞬間、爪先が地面を滑り体が浮く。ほんの数ミリでも浮いたことには変わりはなく、宇宙空間でない限り浮いた物は自然と字面に向かうもので──
「っぶね……」
どうやら怪我は免れたようだ。が、しかし。
「ったく、世話が焼けるな」
心臓音が響く耳に息がかかって、自分たちが今どんな距離感に置かれているかをありありと伝えてくる。普段気にしていない部分を意識してしまう。
これはだいぶ、近い。
「……普段世話をしてるから相殺ということには」
「ならねーよ」
「左様ですか……」
何もなかったかのように装って、武居くんから離れる。夏でもないのに思わず手で首筋を扇いでしまった。
「送る」
「でも」
「往生際が悪い」
言い訳はピシャリと跳ね返される。
「見てないところで怪我されたら困る」
ざく、ざく。
傷ひとつない綺麗な道にふたり分の足跡が刻まれる。完成された作品を壊すみたいで気が引けたけれど、横の彼はそういうものを気にせず先へ先へと進んでいく。
そうしていれば当然家は見えてきて、こういう時になって初めてせり上がる名残惜しさほどタイミングが悪いものはない。
「ここでいいよ」
「ん」
「帰ったらちゃんと温まるんだよ」
「わかってる」
鼻の先を赤くしながら返事をしてくれた彼が可愛く見えて、思わず髪に手を伸ばす。
「っ、なにすんだよ」
もちろん払われたがそこは気にしない。
「送ってくれてありがとう。それと」
嬉しかった。
「……そーかよ」
すこし乱れた短い髪から赤い耳が覗く。寒空の下に晒しすぎたので早く帰さなければいけない。
「お腹出して寝ないようにね」
「アンタこそ」
「気をつけて帰ってね。……おやすみなさい」
「ん。おやすみ」
じゃれあいに似た会話に終わりを打って、頼もしい背中を見送る。久しぶりに帰ってきた自宅はひんやりした空気で主人を待っていた。
「あったかくして寝よ」
寝巻きにさっさと着替えて羽毛布団にくるまれば、暖がゆっくりと体に入ってくる。
物足りなさは瞼の奥にしまいこんだ。