砂上のふたり

「ミュラー」
「‼」
 標準的に切り揃えられた砂色の髪に、細身のようでいて見る者が見れば軍人然と鍛えられたとわかる体躯。見知った男がひとり、大通りの真ん中に手持ち無沙汰に佇んでいたので何の気なしに声をかけたら、振り向いた男の向こうから麗しい女性の姿が現れ、つぶらな瞳がこちらを捉えると大きく見開かれた途端に潤み出す。
 あ、これはやってしまったと本能が一歩後ずさった瞬間。
「ああああありがとうございました‼」
 謎の感謝の言葉を残し、令嬢は脱兎のごとく走り去っていった。
「……なんか邪魔して悪かったな」
「邪魔はしてない」
 どう見てもタイミングが悪すぎただろうよとクリスはジト目で腐れ縁を睨む。
「で、肝心の色男は何をもらったんだ?」
 ミュラーが何かを持っていたので覗き込めば、過度な華美にならず、しかし精緻な刺繍が施されたリボンが節くれだった手の中に横たわっていた。
「ほほう。なかなか熱烈じゃないか」
 またこの親友はどこかでさらっと人助けをしたのだろう。このリボンは御守り代わりだ。わざわざ男に女物を渡す意味なんてそれしかない。手痛い失恋をしたと聞いている親友に春の香りがふたたび訪れたと期待する一方、人たらしは軍人だけにしてほしいなと叶いもしない願いにクリスはちいさく苦く笑みを零す。
「クリス」
「ん?」
「やる」
「馬鹿か?」
 反射で雑言が口を衝いた。
「私はそんなふうに育てた覚えはないぞ、ミュラー」
「お前に育てられた覚えもない」
 嘆息を大きく零し、やれやれと額に手を当てて首を振ったこちらの態度に皺を寄せ、ミュラーはふたたび受け取れと催促する。
「お前宛てだ」
「――私宛て?」
「以前酔っ払いから助けてもらった礼だそうだ」
「あー……」
 そう言われて、先程の令嬢はあの時の女性かと思い至る。気持ちよく夕飯を平らげた帰り、自分のキャパもわからん阿呆が愚に愚を重ねて女性に乱暴を働こうとしたので、問答無用で地べたへ伸したのだ。あの時、日は既に眠りについていたせいで顔はよく見えておらず、日の下で気づけというのは無理難題だ。
 というかミュラーもミュラーである。こちら宛てであるのなら先にそう言えばいいし、なんでリボンを授ける権利がさも自分にあるような言い方をするかなとミュラーへの不平が一応湧き出たが、不満を押し込めて自分への贈り物を受け取る。
「うん、センスがいい」
 一目見たときから自分好みだと思っていた。ミュラーと接触を図った、もとい自分に恩あるご令嬢はこちらをよく研究したか理解してくれているようだ。
 しかし、と指先で弄びながらクリスは眉を下げる。普段使いするには少しばかり派手な逸品であった。
 男と偽って生きている身としては公私問わず常に付けるわけにはいかない。後方勤務や艦橋勤務ならいざ知らず、空戦艇ワルキューレ乗りは戦闘中に視界を遮る可能性のあるものをつけることはできない。
 もう故郷と呼べるか定かでない土地を思い出す。豊かであると決して言えない地域の住民は行商人の訪いが唯一の楽しみで、その時ばかりは母も母親という荷を下ろして装飾品を購入していた。その後娼館で世話になった後も、紅裙たちの服飾品などに晒されて目は肥えたがそれまで。ショーウィンドウで見かけても足を止めることはない。仮定の未来を思い描くことはあるけれど渇望もしない。ずっと昔から己が選択した道だから。
「俺といる時くらいはいいんじゃないか」
 ミュラーをばっと仰ぐ。いつもの憮然とした面立ちがこちらを見下ろしていて、本当にこの男はと薄く唇を噛む。ナイトハルト・ミュラーという男は他人の気にしている重石をなんてことないように取り除く。それが嬉しくて――。
「趣味なんだからバレないだろう」
「…………今の私の感動を返してくれ」
 がくりと肩を落とす。趣味というのはこの前双璧にばったり出会した際の言い訳であった。
 たまにはこういう日もあってよかろうとスカートを履いて出かけたらミュラーと街角でばったり出会い、直後両閣下とも遭遇してしまった。
 片や気まずい顔、片や悪いカオ。両極な反応を見せる軍の有名人と、女装の理由を知りつつも上役に誤解しか与えない場面を見られたことに動揺する悪友。
 生涯で二度とお目にかかれない状況に悪ノリが騒ぎ、御二方へ敬礼を挙げた。両提督の困惑した表情はイタズラ心を擽り、女性のナリをするのが趣味だという出任せに唖然とした二人はとても愉快であった。
「あの後両提督に『大変な友人を持ったな』と哀れみの目で肩を叩かれたんだぞ」
 それはそれで見てみたかったと笑って、ふと引っかかる。
「……なんか機嫌悪くないか?」
 これよりも前にミュラーに過去の失敗を引き合いに出されて撃沈させられたことは幾度もあったが、ミュラーにしては声音に余裕がない。
「気のせいだ」
 ふーんと相槌を打ち、それ以上突っ込まないでおいた。こういうミュラーには深掘りしないほうが身のためだと士官学校時代から心得ていた。
「まあいい。私のファンを奪ってくれるなよ?」
「興味ない」
「うわ、奪ってく人間の台詞だ」
 先に行ったミュラーに肩を並べて歩いていく。歩幅も合わせてくれ、それを有難く思えなんて押しつけがましいことも言わないところ。ミュラーの美点で、彼を大切に想う所以であった。
 このリボンを付けて、ミュラーと共に街を歩く未来が来るのだろうか。
 なんて過ぎった乙女らしい思考に、彼の戦乙女という立ち位置だけで満足していろと肘を引っ張る。
「二つ先の通りにできた飯屋が量も味も太鼓判なんだ。そこで昼はどうだ?」
「構わない。お前の舌がそう言うのなら確かなんだろう」
「言っておくがこの前みたいに離席したタイミングで先に支払うなよ。割り勘だ、わ、り、か、ん。せめて仕事以外では対等な友人でいたいこっちの気持ちを理解しろ」
「……ああ」
 戦争が終わったら、なんて枕詞の約束はしない。もう自分たちの間には約束が交わされているから。
 絶対にきみを一人遺して死なない。

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