薔薇という花は、その一種のみを知る者であれば誰もそれを薔薇≠ニは呼ばないだろう。花≠ニ呼んでも意味は等しいし、花がすなわち薔薇になってしまう。だが薔薇以外の多様な花を知っていれば、花ではなく薔薇に◇凾ェあることに気付くし、薔薇が 花弁が包むように丸く折り重なっていることにも気づくだろう。
歴史も同じではないだろうか。ただひとつの時代、国に絞って眺めていては、ただその国で起こった史実がわかるだけだ。違う花に目を向けて初めて気づくことがあるかもしれない。とはいえ、人間の寿命は100 年足らずで、全世界に散らばる膨大な知識をすべて吸収するのは不可能だ。世界にはまだわかっていないことがこんなにもあるのに、別の誰かがわかっていることですら、わたしたちは知ることができない。
であれば、一人で完結するのではなく、その知識 を複数で共有するしかない。全く別だと思われていたそれぞれの知恵を持ち寄ることで、 新たな気付きが得られるかもしれない。国や時代、宗教が別であっても、同じ人間の歴史だ。『歴史は繰り返す』とはギリシアの歴史家ヘロドトスの言葉だが、地球に生命が誕生したところからみれば人類の歴史などほんの少しの時間だ。そんなちっぽけな時代、地域を明らかに違うと差別化するのではなく、同じ人類であるという観点から、多様でいて複数の歴史家、研究者が集って新しい史実の気づきを見出してくれたら、それは本研究の成果であったといえよう。