パラパラと天井から木屑が舞った。どこかで鬼が轟音を立てて暴れまわっているのだろう。不規則にどんどんと立てる音を意識して聞いていれば、少しの悲鳴も混じっているのが感じられた。どこかでまた1つ命が失われた。無惨様の声と上弦たちの気配が荒ぶっているのも余所にして、私はのんびり、ただ畳の上に座していた。

 近付いてくる気配は一人、二人。どちらも一度は感じたことの有るもので、私はそれを自分の中のどこかが喜んでいると思った。
 もしかしたら、それは勘違いだったのかもしれない。それでも久し振りに食事と戦い以外に感じたその感覚は、私にとってはそれこそ無惨様の血に匹敵するほど素晴らしいもので。

 ──自分がかつて人間だったことを思い出させてくれる、懐かしいものだった。

 
「やあ、久し振りだね。錆兎君に煉獄君」

 
 扉が音を立てて開かれる。その前に立っていたのは、嘗て私が救いたいと願い、そして私を保たせた人たちだった。

 二人ともに怪我1つ無い。雑魚鬼に相手が勤まるとも思わないから、戦っては来たんだろうけど。その無事な姿に、私の中に微かに残されていた願いが、すっと輝いて消えていったのを感じた。

 
「君は…」

「ようやく見つけたぞ、女鬼」

 
 にっこりと笑って、私は目を細めた。下弦の壱、と印された私の瞳を、錆兎は静かに睨んでくる。煉獄は、戸惑いもあるみたいだった。私はゆっくりと立ち上がれば、二人は無言で刀を抜き放つ。


「うふふ、嬉しいな。二人とも来てくれて。嬉しいのかな?」

「言っている意味が分からないな」

「でも、ねぇ。私は二人にお礼を言いたいと思ってたんだよね」


 今は別にそんなに思ってないけど。段々希薄になっていく人としての理性を、原作の改変、二人の救済を考えているときだけは感じることができた。それがどれだけ過去の私にとって慰めになったか、彼らは知らないだろう。

 私は、この世界で私という自我を得たときには既に鬼だった。なんの感慨もなく婚約者だといった稀血の男を喰い、鬼になって暫くしても見捨てられず私を養っていた母親を喰らい、訪ねてきた鬼殺隊の男を殺して、ここまで生きてきた。

 錆兎と煉獄を救いたいと考えることで自分という理性を確かめて、人を殺して食らって生きてきた。


「はは、」


 だから、私は錆兎と煉獄に殺されたいと願っていたのだ。

「私はやり遂げた。おめでとう、人間(わたし)。それに、さよなら」


 錆兎が一歩、部屋へと足を踏み入れる。煉獄は入ってこなかった。


「俺を生かした、目的はなんだ」

「私がわたしで居るためだよ。錆兎君」

「…お前は鬼だろう」

「そうだね。今は」

 
 私の言っていることを、錆兎はきっと理解できないだろう。でも、それでいいのだ。

「お前は、鬼だ」

「そうだよ」


隙無く構えられた日輪刀がぐいと引かれ、呼吸の型をなぞる。受け止める気はない。戦えばすぐ決着が着く。下弦の鬼なんてそんなものだ。
 

 弾丸のように飛び出した錆兎の体に、私は受け止めるように手を差し出した。触れれば殺せる。でも殺さなくていい。

 人間への手向けだ。藤の花や日輪刀さえも崩壊させるわたしの血鬼術は人間に当てると食料も消えてしまうから使っていなかったし、無惨様にはそれで発動が遅れたとでも考えてもらおう。


──トン、と、音がして。


 気がついたら私の頸は撥ね飛ばされていた。一切の痛みは無く、むしろ暖かみを感じるような一閃。
 

「お前は鬼だ。禰豆子とも違う。幾人もの人を喰い、人々を苦しめた」

 

 錆兎はそっと側頭部に付けた面を撫でる。煉獄は相変わらず部屋の外でこちらを見るに留めていた。──二人がそろってここに居ることが、なんと嬉しいことか。瞳から、忘れていた涙が一粒、溢れる。


「ありがとう」


 塵になって消えていく。それはまるで自分の血鬼術の様だな、と霞む意識の中で考えて、私の口からそう溢れ落ちた。


 彼らには、それが何故かは分からないだろう。

 

戻る