「断言できるよ!世界で一番美味しいものは斬美ちゃんのこのオムレツだ!」

 彼女とした自己紹介以来はじめての会話は、そんな大袈裟な賛美の言葉から始まった。天海の裁判後、初めての朝食会での出来事だ。最初は、そう。彼女は斬美までとは言わずとも早起きで、まだ皆ほとんど起きていないような朝早い時間に、誰に言われるでもなく朝食の準備を始めた斬美の危なげない手付きを彼女はただじっと眺めていた。最初はカウンターの側から、時間が経つに従い立っているのに疲れたのか、何人かが食堂に集まり始める頃には態々持ってきた椅子に腰かけて。斬美を邪魔するでもなく、依頼をするでもない彼女の奇行は不思議なものではあったけれど、極力邪魔にならないようにしている彼女が何を求めているのかも分からなくて、結局彼女が斬美の作ったオムレツを頬張るまで、会話が生まれることはなかったのだ。

 美味しいと箸を口に運ぶ彼女の姿は、メイドとしての仕事に満足する依頼人のものとは少し違って見えたが、それでも満足のいく食事を提供できたことに変わりはない。お代わりの提供を申し出ると、彼女はパッと目を輝かせていた。後に、オムレツには目がないんだと語った彼女は、そのときのことを苦笑して居たけれど、疑心暗鬼の世界でそんな素直な反応が返ってきたことに、誰よりも安心し、助けられたのは、案外自分だったのかも知れないと、斬美は今なら思える。彼女はそんな、騙されやすくて素直で、その癖少し不思議な考え方をする、この才囚学園の癖のあるメンバーの中でいっそ浮いているような、そんな娘だった。




 斬美の1日は滅私奉公に始まり滅私奉公に終わる。頼まれ事から細々とした日常のこと、食事の用意洗濯掃除。彼女にとって退屈極まりないだろう斬美の仕事風景を、しかし彼女はずっと眺めていた。オムレツの時と同じように、邪魔にならないような位置で、話し掛けてくるでもなく、ただ斬美の仕事ぶりを眺めている。色の混じらない澄んだ視線は居心地の悪いものでは無かったけれど、斬美とて流石に不思議に思う。見ていて面白いかと斬美に問われた彼女は、意外な質問だったのだろうか少し視線をさ迷わせて、コクリと頷いていた。

「邪魔だった?」

「いいえ、邪魔だと思ったことは無いわ。でも、面白いものでもないでしょう?」

「んー、そーかな。仲良しな人も居ない中だしさ、働いてる人を見るのが一番楽しいと思うよ。私は」

 そう言って彼女は斬美へと向き直る。このなにもすることのない学園生活の中において、唯一停滞を見せないのが斬美なのだ、と付け加えると、彼女は前髪を弄っていた手を止めた。

「ホントはさ、楓ちゃんみたくマンホールに行ってみるとか、学校内を散策するとか、出来ることはあると思う。…でもどうせなら、楽しんだ方がいいよ」

 彼女は心底そう思っていると示すように、相貌を崩した。その笑顔は、百田が見せていたようなものに似ていた。いつか絶対にここから出られると前を向いている訳で無いなら、どうしてここまでまっすぐな笑顔を向けられるのだろう。

「止まってても何にもならない。することも出来ることもないんだったら、超高校級のメイドなんて、絶対に会うことがなかっただろう君のことを観察してみるってのも、楽しいじゃん」

 実際、見てるだけで勉強になる訳だし。そう言って目を細めた彼女は、きっと未来を覚悟していた。死ぬかもしれない。何かに追い詰められて殺すかもしれない。──出られないかもしれない。考えられる全ての可能性を覚悟して、その上で彼女は未来も今も見つめていた。楽しむ、だなんて言ってはいるけれど、斬美から得たものを使えるのはこの学園を出た後が殆どだ。こんな現状でも未来のための糧にしようとする彼女は、今を生きていた。

 そんな彼女が、斬美には眩しくて。

「ねえ、斬美ちゃん。斬美ちゃんは、殺したり殺されたりしないでね。私は、斬美ちゃんが死ぬところなんてみたくないよ」

 今も外も諦めていない彼女が、とても羨ましく見えて。

「…それは、依頼かしら」
「ううん、依頼じゃない。私の想い…だよ」
「…そう」



 ──だから、私は彼女を殺したのだ。




 殺されるかもしれないと分かっているだろうに、夜中の呼び出しに応じた彼女に、襲える隙を無視して、どうして動機の話をしてしまったのか、自分でも分からない。止めてほしかったのだろうか?彼女ならもしかすれば、皆を殺して自分だけ卒業しようとする仄かな罪悪感を見抜いて、何かがどうにかなると、心の底で思ってしまったのだろうか。

 実際のところ、もう真相は闇の中だ。彼女は斬美の手によって死に、斬美は殺そうとした皆に罪を暴かれて、これから処刑が始まる。

 事件を暴いた最原に、他の陥れようとした皆に。同情を買うような彼女の話をしながらも、『私の前で死なないで』と言われたことだけは、ついぞ口に出すことが出来なかった。


 彼女がどうして、斬美に自分から殺される選択をしたかは分からない。守れるなんて保証はない約束を、依頼にすらしてくれなかった彼女は、斬美を恨んでいるだろうか。



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