「俺は俺の責務を全うする!!ここに居るものは誰も死なせない!!」
片目も潰され、満身創痍の煉獄が叫ぶ。油断なく構えられた刀は怪我の重さなど感じさせず、その覚悟を知らしめるものであった。
 油断なく息を吸い込み、豪炎のような音を立てる。呼吸に意識を置いているのが、遠目で見ていた炭治郎にも分かった。あのようなボロボロの体で、力強い呼吸を行える事そのものが、驚異的だ。炭治郎は体が動かないことを、一瞬だけ忘れていた。
 柱とは、何と強いものなのだろうか。
 脚に力が込められる。対する鬼も腰をおとして、血鬼術の構えをとった。誰のとも分からない、唾を飲む音が響く。
「素晴らしい闘気だ…それ程の傷を負いながらその気迫その精神力。一部の隙もない構え」
 猗窩座と名乗った鬼は、凄惨な笑みを浮かべて叫ぶ。
「やはりお前は鬼になれ杏寿朗!俺と永遠に戦い続けよう!」
 煉獄が、それ以上言葉を返すことはなかった。二つの熾烈な技がぶつかる。その余波は風を巻き起こし、閃光を放った。
 舞う土埃で、煉獄と鬼の姿を見ることはできない。炭治郎と伊之助は声にならない叫びをあげ、しかしのそれが晴れるまで待つことしかできない。最悪の未来が、ぽつりぽつりと浮かんでは回る。気がついたときには、煉獄から教わった回復の呼吸を忘れ、その息は浅くなってしまっていた。そうしてようやく、一陣の風が吹く。
 煉獄はどうなった。上弦の参は?目を凝らす炭治郎と伊之助は、砂煙の晴れる中、信じられないようなものを見た。


 天使の、姿を。


***


 イギリスは酔っていた。グチグチと過去の事を口にして程々にフランスを罵り、日本やアメリカに絡むような、至って普通の酔い方など疾うの昔に過ぎ去って、所謂パブっている感じの出来上がり方をしていた。まあ、これはよくある話で、フランスなどにとっては半年に一度は見るような醜態だ。今回も特に気にすることもなく、飲み会は佳境を迎えていた。
 流石に三次会ともなれば訳知りの国ばかり残っているのか、他の国々も、ついでに言うならアメリカも、「またやってるよあの人」くらいの感慨でイギリスの泥酔をあっさりと流していた。まあ実際、絡みがウザく紳士の皮が消え去っているだけの話なので、個性派揃いの国々としては余り気にすることでもないのである。
 今回起こった問題は、イギリスが更にもう一つ上のステージに上がってしまったことによるものだった。
 ブリタニアエンジェル。数十年に一度突入するかしないかの、[#ruby=最終局面_クライマックス]を軽く通り越して限界突破にまで迫ったイギリスの姿が、そこにはあった。さしものフランスも、まさか今日そこまで辿り着いてしまうなど思っていない。「うわ」と感想を漏らして、そそくさとイギリスの元から離れようとした。それが、間違いだった。
 焦点も行動も危ういイギリスは、足早に離れようと動くフランスの腕を思いきり掴んで、あろうことかその衝撃で倒れた。するとなんと言うことだろうか。布面積の少ない服の懐から、星の付いたステッキが転がり落ちたではないか!アメリカが目を丸くしたのも束の間。あっという間に辺りは光に包まれ、イギリスとフランスの姿を消し去ってしまった。「oh…」柄にもなくイギリスを助け起こそうと手を差し出したアメリカの、ため息のような声が、最後にフランスの耳に届いた。


***


「ちょっ!坊ちゃん酔いすぎでしょ!ってえ!?何ここ!?」
「ぁあ…?うるせぇぞクソ髭。俺はまだそんなに…酔ってねぇぞ」
「酔っ払いの常套句言ってないで、周り、見て!どこよここ!正直いつものやつの方がマシだった!」
 フランスは唖然としていた。イギリスの突拍子もない謎の力が巻き起こす異常事態には比較的慣れているが、まさか子供にされるでも姿を変えられるでもなく、全く知らない場所に飛ばされるとは思っていなかった。嘘でしょ。イギリスはこの惨状に気づいているのかいないのか、落とした玩具のような杖を拾って、頭を掻いている。いやどう見ても気がついていない。
 どうしたものか。イギリスがここまで酔うのを見るのは実に数百年ぶりと言っても過言ではなかった。以前[ruby=この姿_ブリ天]をとった時は、少なくとも屋内と屋外の見分けぐらいついていた筈だ。しかも周りにいるのは全く知らない奴じゃないか。ってか着物羽織ってない?これ日本の家じゃない?気付けよイギリス。
 周りにいた男…全身に入れ墨を入れた男と、黒の詰襟の男は、愕然としたような表情を隠さず、しかしすぐにイギリスとフランスから距離をとっていた。詰襟の方は満身創痍といった様相で、刀を構えている。どう見ても真剣勝負真っ最中じゃないか。日本ってこんな治安悪かったっけ?フランスは天を仰いだ。

「あ?アメリカお前…いつの間にタトゥー何か入れたんだよ」

 イギリスが入れ墨の男に向かってアメリカ、と問いかける。何処まで酔っているんだお前は。髪の色も服装も何もかも違う相手を、よりによって元弟と間違えるのか。いつものイギリスではないが、酒飲み過ぎたら駄目だな、とフランスは心に誓った。こうはなりたくない。
「そんな全身にタトゥー入れちまって…何でそんな事したんだ。日本のとこのお風呂入れなくなるぞ」
 突っ込むところはそこなのか。フランスだけではなく、その場にいた詰襟の男こと煉獄や炭治郎、猗窩座に至るまでそう思った。何だこれは俺は虚仮にされているのか?誰もの思考が硬直する中、猗窩座はただそう考えることしかできなかった。
「お前は何者だ。俺と杏寿朗の戦いを止めたこと、そう軽い罪だと思うなよ」
「昔のアメリカはあんなに可愛かったのに…暴力団みたいなことしちまって…なんで…」
「貴方が何者かは知らないが、鬼でないなら、この場から離れた方がいい!」
「今からでも遅くねぇ。お前、いつタトゥーを入れた?俺の魔法でその時間まで戻してやるから教えろ」
 聞けよ人の話。会話が何一つ噛み合っていない。イギリスは周りの声が聞こえていないのか、無言で一度は仕舞った杖を取り出した。というか、臨戦態勢の二人を無視している辺り、フランスも確実に酔っている。
「落ち着いてイギリス!アメリカなんてどこにも居ないから!」
「何言ってんだクソ髭お前。アメリカならそこにいるじゃねぇか」
「その入れ墨の子をどう見たらアメリカだと思えるの…」
「よもやよもやだ!無視をされるとは思わなかった!」
 駄目だこいつ早くなんとかしないと。有名な漫画の一節がフランスの脳裏を掠めた。こんなことなら自分ももっと飲んでおけば良かったと後悔してももう遅い。イギリスはただ一人暴走を始めようとしている。
「…ん?ああ、そういうことか。分かりやすく言えよこのクソワイン。お前、俺の奇跡が見たいんだな?」
「なんでそうなったの!?」
「まったく…良いぜ、俺は紳士だからな。丁度いいだろ。」
 何が?フランスがそう悲鳴混じりに問おうとするよりも早く、イギリスは杖を猗窩座に向けた。それを猗窩座は戦闘体勢だと捉え、目にも見えぬような速さでイギリスへと殴りかかる。…が、イギリスが口を開く方が早い。猗窩座の実に常識的な面が、仇となっていた。

「ほあた☆」

 ポン、という軽い音を立てて、今にも殴りかかろうとしていた猗窩座の姿が、真白の煙によって、一瞬だけ隠される。いったい何が起こったのか。煉獄は固唾を飲んで警戒していた。
「え…?」
何をすることもできず、伏したままの炭治郎が、ふと疑問の声を漏らす。鬼の気配が、消えたのだ。それまでにあった鬼特有の腐臭が消え、そこには人間のような気配だけが残っていた。あり得ない。炭治郎は衝動的に息を飲んだ。伊之助も、肌でそれを感じたのだろう。「オイオイ、なんだってんだ」と呟いていた。

 煙が消える。イギリスの杖の目と鼻の先で、一人の男が倒れていた。猗窩座ではない。その男は、道場着のような白い衣服を身に付けた…


 黒髪の“人間“だった。


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