「お前は…」
 煉獄が、静かに視線を落とす。背面に大きく『素流』と書かれた道場着の青年は、尚も固く目を閉じていた。次第に山の切れ目からうっすらとした朝日が差し込み、その輪郭を彩り始める。
「お前は今、人間なのか…?」


***


 さて、暴れるだけ暴れたイギリスは、倒れた道場着のアメリカ()を見て、「あれ、でかいままだ、失敗したか?」などとのたまい、混沌をそのままにぶっ倒れた。
 当然のこと、更にカオスは加速する。側で諸々を視界に入れ現実逃避を決め込んでいたフランスは、よりにもよってそれを夢だと思い込もうと手に持っていた酒瓶を呷るという選択をした。
 ところで、国は酒の許容量を分かっていない者が多い。いくら飲んでも死なないからだ。その行いにより、比較的自我を保っていたフランスは許容量を突破、こんがらがる脳内と同時に回った多量のアルコールの作用で、急性アルコール中毒よろしくその場で気絶した。死にはしない、国だから。
 気絶者、延べ三人。何がなんだか分からない恐ろしい数分間は、三人の重なりあって倒れる気絶者を生んで終幕を迎えた訳だ。さっぱり意味が分からない。十八世紀のヨーロッパよりも混沌を極めているのではないか。そんな有り様であった。
 困るのは鬼殺隊の面々だ。彼らにしてみれば、上弦の鬼が現れたと思ったらブリ天が出現して鬼を未知の方法で気絶させ、自らも倒れた上その同行者までぶっ倒れたのである。自分達に一切関係ない人間たちがとんでもないことを仕出かした訳で、これは如何に柱でもちょっとどうしようもない。
 さあ、これからどうするべきか。
 何とか落ち着いて、怪我で今にも倒れそうだった煉獄を炭治郎や隠が慌てて支え(これ以上気絶者が増えても困る)全員で顔を付き合わせて話し合った結果、全員近くの藤の家紋の家に運び込まれる事となった。猗窩座も含めて、だ。これは、炭治郎や善逸の猗窩座から鬼の気配が消えたという証言を信じての決断だ。鬼が人に戻ったかもしれないという未曾有の出来事である。万全を期し、怪我で動けない煉獄達に代わって、同じく柱である不死川実弥も呼び寄せられた。禰豆子のときのように、その稀血で鬼の識別を図ろうということだった。


 さて、時は流れてお昼頃。別々の部屋で、二日酔いで頭を押さえる二人の男が居た。当然、フランスとイギリスである。
 ぱちり、とフランシスとイギリスはほぼ同時刻に目を覚ました。寝覚めは最悪、気絶直前の記憶は朦朧、更には脳を苛む痛み。暫しあぁ、二日酔いだと漠然と感じて、次の瞬間に、フランスは早朝の記憶を取り戻した。忘れていたかった。
「…説明」
「は?」
「だ、か、ら!説明!!説明して!お前何やらかしたの!」
 仲良く二人同時に起き上がって目を合わせ、開口一番。フランスの怒声が藤の家紋の家の一室に響き渡る。イギリスは痛む頭を押さえてフランスに毒づいたが、彼はそんなことは一切気にしてはいない。
「お前の事なんだから、昨日の事だって覚えてるでしょ!覚えてないなら思い出して、お兄さんに早急に説明して!」
「うるせぇぞクソ髭……昨日の、何だよ…?何が…。………………ぁぁ」
 寝惚け眼を擦り、頭を掻いて、欠伸をひとつ。ようやく意識を覚醒させたイギリスは、そこで始めて早朝の醜態を自覚し、今いるその場所が、自宅どころか欧州ですらなく、日本であることを認識した。
 酔って天使の形態をとって、髭を押し倒して魔力を暴走させ、そのあげくには誰かも分からない(というか人間ですらない)刺青の男をアメリカと間違えて魔法をかける。自分でもいったい何を罷り間違ってこんな行動をしたのかがまったく理解できなかった。恥ずかしいにもほどがある。
 もう酒は飲まない。多分、恐らく、きっと。イギリスはそんな1世紀に一度は必ずする誓いを脳内で立てて、頭を押さえていた手をずらして顔を覆った。ただひたすらに羞恥の心が湧いてくる。それをフランスに見られたのも癪だが兎に角自分が憎かった。死にたい。
「説明…あー、そうだな…」
「うむ!説明をするのならば、俺達の前でしてくれないだろうか!」
 歯切れ悪く唸ったイギリスの声をかき消すように、襖をスパンと開け放って煉獄が割って入った。身体中に真新しい包帯が巻かれ、片腕が無いものの、痛みを感じさせる様子はない。早朝の怪我の様子を覚えていたフランスとしては、こいつは化け物か、という具合だった。あの大怪我で動くなと。
「あ?お前昨日の…」
「煉獄杏寿朗だ!早朝は世話になったな!」
「いや、こっちこそ、その…悪かったな。割り込んで」
「いや、お陰で命を拾った!それに重要なのは、鬼が無力化できた事実だ!気にすることはない」
 煉獄がその視線をイギリスに向けて言う。イギリスもそれに視線を合わせ、居心地悪げに頬を掻いた。日本の子だから居心地が悪いのか、日本に怒られることを危惧しているのか。少々呆れながら、フランスが横から口を挟む。
「ま、それは良いでしょ。この坊ちゃんが暴走しただけだしね。それで、誰の前でこいつは説明すればいいの?」
「ああ、すまない!説明が遅くなってしまったな!俺達は鬼を滅する組織、鬼殺隊の者だ。貴殿方には、組織の頭目であるお館様、及び精鋭である9人の柱との会議に出席して貰いたい!」
 …何だって??フランスは思わず口を突きそうになった言葉を何とか飲み込んで、首をかしげるに留めた。初耳の単語が多すぎる。アニメか何かの話でもされているのか。横目でちらりと窺うと、イギリスは何を考えているのか、少し目を細めていた。
 そういえば、周りの文化レベルを見る限り、この時代は丁度日英同盟を組んでいる時期だ。何か知っているのかもしれない。後で聞こう。
 因みに、フランスの中で時を越えたという事実はもう確信事項だ。いろいろ状況証拠もあるが何よりやらかしたのはイギリスだ。原理は分からないがこいつなら出来るしやりかねない。
「因みに、拒否権は?」
「すまないが、抵抗する場合は無理矢理連れていかざる負えないな!貴殿方がやったことは、この千年を覆す可能性があるのだから」
「……ホントにお前、何やったの?」
「知らねぇよ!俺がアメ…アルフレッドに掛けようとしてたのは、あくまでも若返りの呪文だ」
 仰々しく首を振る。フランスは逃げる気は無いことを伝えるように手をひらひらと泳がせて、付け加えてため息を一つ付いた。何と言ってもこの男、現状に至ってもなにも分かっていないのだ。それでもあまり緊張を露にしていないのは、イギリスが何とかするだろうという適当な考えもあるが、まあ、何とかなるだろうという楽観的な心もあった。本人に言わせれば、お兄さんの審美眼によれば、この子はいい男だよあらゆる意味で、ということだ。
「そういえば、あの…倒れてた、元刺青の子は?大丈夫なの?」
「ああ!先程目を覚ましたと報告があった。奴もこれから事情聴取だ!厳重にな!」
「まったく、若返りの呪文とやらで何で人を別人にできるの…気配とかまったく変わってたよ、彼」
「いや、あれは同一人物だろ。ただ、問題はそこじゃない…」
 比較的礼儀をもって接してきた目の前の男が元刺青の男を“奴“と言ったのが少し引っ掛かる。確かにあの男は人間でなかった──妖精さんでもない──まあ、なにか因縁があるのだろうと心に留めておく。判断材料が少なすぎて何も出来ないのが厳しいところだが、今回は完全にイギリスの自業自得であるために舌打ちもできなかった。辛い。
「整理をしたい部分もあるだろうが、こちらも早急に説明をしてもらわなければならない。話し合いは後に回してくれないだろうか!」
 どこを見ているのかイマイチ分からない視線を二人に向けて、煉獄が言う。イギリスは牽制か、と少し勘ぐってやめた。これ以上二日酔いで痛む頭を酷使したくない。それにまあ、日本の奴だし。何とかなるだろう。二人は煉獄に先導されるままに屋敷を出た。
 目指すは、お館様の屋敷。

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