定食屋であの時見せた名前の微笑みは、無理して笑っているようにしか見えず、俺はそれがずっと気掛かりだった。
とは言え、大丈夫だと言われてしまった手前、余計な手出しは出来ない。どこかもどかしく、煮え切れない感情だけが空回りしていた。

空には今にも降り出しそうな鉛色の雲が広がり、足早に歩くなか目に留まったのは、橋の真ん中で立ち竦む名前の姿。


「名前!」
「万事屋、さん?」
「お前、身投げすんのかと思って焦ったわ」
「まさか、そんなことしないわよ」


近寄るなり咄嗟に名前の腕を掴めば、こちらに顔を向けた彼女に覇気はなく、悲しげに乾いた笑みを見せる。


「こんなとこで何やってんだよ?」
「夕陽でも、眺めようと思って」
「この天気じゃ、夕陽なんて拝めねぇだろ」
「そう、見えないの、でも…」


視線を遠くへと戻した名前は、消え入りそうな声で呟く。その姿は必死に堪えているようで痛々しく、心苦しくなる。
返す言葉が見つからねぇ…それでも、そんな彼女をそのままにしておくなんて、やっぱり俺には出来やしない。
再び名前の腕を掴んだ俺は、無言のまま彼女を自分の胸へと抱き寄せた。


「な、なに…」
「我慢すんな」
「別に、何も」
「何でもする万事屋が居んだから、安心して泣けよ」
「っ…」


涙と共にぽつりぽつりと雨が降り出す。
互いに濡れることなんざ構わず、名前は声を押し殺し、静かに肩を震わせ泣いた。
抱き締めた彼女から、血の臭いが微かに鼻を突く。
多分疲れてんだろう。いや、それ以上に色々な感情に押し潰されそうになってんだろうな。


「依頼、お願い…」
「あぁ、分かった」



依頼を受けることで、名前が平常心を取り戻せんのなら、断る理由なんてない。
多串君には多少悪いと思ったが、俺にだって彼女に手を差し伸べる権利ぐらいはあんだろ。


手の鳴る方へ



20180112


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