恋も桜もなかりせば
「綺麗ですね」「そうやねえ」
彼の家の近くにある小川沿いの桜並木を、2人で眺めながらゆっくり歩く。外は初夏のように暖かく、穏やかな風に花びらは美しく舞っている。この景色もあと何日続くだろうか。
「まだこんなに咲いてるんだね」
「ですね。この間の雨で散っちゃうかと思ってました」
「意外と残ったな」
人通りのほとんど無い静かな中で、お互いにだけ聴こえるような小さな会話。普段ハキハキと喋る彼の、低くて少し雑な話し方は、距離の近さを感じるような気がしてなんだかくすぐったい。
カシャッ。しばらく桜を見上げながら歩いていると、後ろから聞こえるシャッターの音。驚いて振り向くと、数歩後ろで彼がスマホを構えている。カシャリともう一度音を立てた後、ニカッと笑い
「かわいく撮れましたよ」
なんて言いながら近づいてきた。
再び並んで歩きながら、仕返しのチャンスを狙うのに、彼が私の歩幅に合わせて歩くから、こっそりスマホを取り出すことがなかなか出来ない。彼が遠くの桜に目をやった隙に、急いで取りだしてカメラを構えた。
しかし、シャッターを押す直前に彼が振り向いてしまう。
「もう、なんで振り向いちゃうんですか」
「ごめんって。隣におらんくなったから」
拗ねたように私が言うと、眉を下げて笑いながら謝る。思わずもう一度シャッターを押すと、少し驚いた顔をして、すぐにほころんだ。
ふと、少し強い風が綺麗な花吹雪を舞わせた。しばし二人なにも話さずに、それに見とれる。
「綺麗やね」
「ですね」
「……」
「……でも、今なら在原業平の気持ちがわかる気がします」
「ん?」
小さな声で言った私の言葉はどうやら聞こえてないらしい。
「なんでもないですよ」
「そか」
彼は特段気にした様子もなくそう答えて、再び桜に目をやった。
桜が満開でいる時間なんてのは少なくて、散るのは一瞬だ。散ったあとの桜並木は、毎年なんだか寂しくて、業平の和歌はよく言ったものだと思う。
恋も桜と似たようなもので、どうせ終わりが来るのなら初めから無ければいいのにとも思ってしまう。それでも、その一瞬がこんなにも愛おしいのだから、狡いものだ。
「そろそろ帰りますか」
「そうですね」
「満足した?」
「しました」
「そらよかった」
じゃあはい、と言って差し出された彼の手を握り、二人で彼の家の方へ戻っていく。
「俺は…」
静かに歩いていると、ふと彼が口を開いた。
「桜の無い春はつまらん気がするわ」
「えっ?」
唐突な言葉につい聞き返してしまう。
「散ることを憂うより、目の前の綺麗なものを楽しみたくない?」
「……聞こえてたんですね」
「聞こえてた。まあ、何事もそうよ。終わりは怖いけど、終わりを見据えてばかりじゃつまんない」
「須貝さんも、怖いですか?」
ちらりと隣を伺うと、いつになく真剣な瞳とかち合った。
「……怖いよ。だから大事にするんよ」
いつもの自信に満ち溢れた声じゃない。話しているのは、桜の話か、はたまた別のことか。もしかしたら私の不安など、筒抜けなのかもしれない。
きゅっと握った手に力を込めると、しっかりと握り返される。
「大事に、してくださいね」
「もちろん」