ジンクスの証明
この会社には、まことしやかに囁かれるジンクスがある。それは、ある男に化粧をしてもらって意中の人とご飯に行くと必ず結ばれる、という何とも信用ならないものだ。そんなわけがないだろうと思ってしまうのは、私がその「ある男」だからだろうか。きっかけは些細なことで、一年ほど前のことだった。ある女性社員と話しているとき、「志賀君は人にメイクしたりしないの?」と尋ねられた。実際興味はあったのだが、実際にやる機会はなく、それを伝えると
「じゃあ今度私にやってみない?」
とのこと。聞いてみると、今度気になっている人と食事に行けることが決まり、いつもと違うメイクでドキッとさせたいらしい。しかし、あまりメイクに自信がなく困っていた、と。
実際に人にやったことはないからうまくいくかはわかりませんよ、と最後まで釘を刺していたが、彼女はもう任せる気になっていたようで、結局デート当日の就業時間後に会社の隅のほうでメイクポーチ片手に向き合うこととなった。
簡単に言うと、そのデートは成功した。私のメイクがどれほどそれに貢献したかは知りようがないが、こうしてそのジンクスは始まったのだ。その人自身はそれ以降頼むことはなかったが、今では1、2か月に一度、回恋する乙女たちからの依頼が来るようになった。誰かを綺麗に、かわいくする工程は楽しく、頼まれること自体はよいのだが、メイク以上の期待されるのは最近プレッシャーになりつつある。
ある日、仕事の合間に休憩していると、後輩の女の子が近づいてきた。
一年ほど前、それこそ人にメイクをし始めたころに入社してきた彼女は、柔らかくてかわいらしくて、なのに仕事には隙がない人だった。部署が違うためあまり話す機会はないが、入社した時からなぜか気になって、見かけるとつい目で追ってしまう。
そんな彼女が、何やら緊張した面持ちで座っていた私の横で立ち止まった。この感じはまさか。
「あの、志賀さん」
「はい、どうかしましたか?」
意を決したように口を開く彼女になるべく優しくそう返す。
「いきなりこんな事、失礼だと思うんですけど。メイクを、していただきたくて」
やはりそうか。今まで他部署の人が来ることもあったが、まさか自分の想い人から頼まれるとは思いもよらなかった。
当然好きな人の一人くらいいてもおかしくないのだが、いざ目の前に突き付けられると、思いのほかショックなものだ。少し気になる程度だと思っていたが、意外とちゃんと好きだったのかもしれない。気づいてももう遅いのかもしれないが。
「ジンクス、誰かに聞いたの?」
「あっ、はい」
「本当に叶うかどうかはわからないよ?」
それでも大丈夫?と尋ねると、それでもいいですと案外しっかりうなずいた。
「志賀さんにやってもらったら、自信がつく気がするんです」
だからたとえ叶わなくてもいいと、口をキュッと結ぶ姿はすごくいじらしく、つい応援したくなる。
「いつやればいいの?」
「まだ日付は決まってなくて。今月志賀さんはいつなら空いてますか」
「そうだな……。再来週の金曜なんてどう?」
来週も別に忙しいわけではないのだが、せっかくなら可愛くしてあげたいので、どんな感じにするかを考えるために少し先の日にちを提案する。
「じゃあその日にお願いします」
「もう決定でいいの?相手の人に確認とか……」
あまりに即決するので確認するが、大丈夫ですと返された。随分と変わった約束の仕方をするものだ。
「どんな雰囲気のメイクがいいとかある?」
「あの、……無理だったら断っていただいて構わないんですけど、」
「うん?」
「志賀さんのおまかせってだめですか」
「おまかせ……?」
今までにないオーダーに聞き返すと、こくりと首を縦に振る。不安げに、うかがうように見つめられては断るわけにもいかず、了承した。
期限は再来週。それまでには笑って彼女を恋敵のもとへ送り出す心づもりを整えておかなければ。
* * * * *
なんだかんだ時がたつのは早く、あっという間に約束の日になってしまった。あれから彼女と話をする機会はなく、まさか忘れていないだろうかと心配していたが、朝から「今日はよろしくお願いします」とわざわざ伝えに来てくれた。
おまかせという要望に少し戸惑ったが、結局自分が一番かわいいと思うメイクにすることにした。淡いピンクはきっと彼女によく似合うだろう。私の好みにしてしまうのはいかがなものかと思わなくもないが、これくらいのわがままは許してほしい。
仕事が終わりいつもの場所に向かうと、もうすでに彼女の姿がある。こころなしかいつもより服も華やかだ。
「お待たせ、ごめんね」
「いえいえ、こちらこそお時間とらせてしまってすみません」
「全然かまわないよ。お洋服、かわいいね。考えてきたメイクにも合いそう」
はにかみながらお礼を言う頬は少し色づいて、そのおしゃれが自分のためだったらどれほどいいだろうともどかしくなる。
「じゃあ、やっていこっか」
「お願いします」
そういって指を、筆を、チップを滑らせて、彼女の顔に色をのせていく。人の顔がになっていくこの過程は、何度やっても楽しい。それが好意を持っている人なのだからなおさらだ。
それからしばらくしてメイクが完成し、よけていた前髪を戻す。
「よし、終わったよ。鏡確認する?」
鏡をのぞき込むと、ぱっと顔が明かるくなった。その顔を見れただけでもやった甲斐がある。
「終わったけど行かなくていいの?」
いつまでも嬉しそうに鏡を見つめる彼女に声をかけると、顔をこわばらせた。黙ったまま、立ち上がる気配すらない。ドタキャンされたわけでもなさそうだがどうかしたのだろうかと様子を見ていると、彼女が大きく息を吸った。
「……あの、」
あれだけ胸いっぱい空気を吸ったというのに、こぼれた言葉は驚くほど小さい。
「志賀さん、この後暇ですか」
握りしめてももに置いたこぶしに視線を落としたまま、彼女はそう尋ねた。予想もしてなかった質問に、とっさにこたえられないままでいると、ようやく視線が交わる。
「ごはん、一緒に行ってくれませんか」
「行く予定だった人に断られたの?」
そう聞くと、首をぶんぶんと横に振る。
「そうじゃなくて。……最初から志賀さんと行きたかったんです」
「えっ、じゃあ君の好きな人って」
「志賀さんです。本当は最初にお誘いしようと思ってたんですけど、できなくて」
「それでメイクを頼んだの?」
こくりとうなずく彼女に顔が緩むのを抑えられない。
「いいよ。ごはん、行こう」
「えっ、いいんですか」
よほど望みがないと思っていたのか、信じられないといった顔でこちらを見ている。
「ほら、行くよ」
メイクポーチを片付けて、彼女の手を取った。ジンクスはまだ、崩れそうにない。