お願いかくれんぼ
朝早く、スマホを手に取り、まだ起きていないであろう恋人とのトークを開く。『誕生日おめでとう
仕事行ってらっしゃい
終わってから少しだけ会いたいです』
親指をしばし彷徨わせ、打ち込んだ文字を消してスマホを置く。行ってらっしゃいとかいつも言わないし、会いたいです、とか迷惑かもしれないし。なんやかんやと理由をつけて、何も送らないまま朝ごはんの用意に取り掛かる。
それにどうせ、どうして私が次の日曜日に会えるか聞いたかなんてわかってないでしょ、と先週の会話を思い出しながら心の中で悪態をつく。きっと、誕生日だから会いたいと言えば会いに来てくれたはずなのだから、それ言わなかった私が悪い。だけれど、それを察してほしかったと思ってしまうのはやはりわがままだろうか。
会いに来てくれなきゃおめでとうなんて言ってあげない、と子供のように拗ねてみるけれど、お昼を過ぎたころにはだんだんと不安になってくる。私から連絡がないことなんて気にもかけてなかったらどうしよう。
SNSを開くと彼の誕生日ツイートが目に入り、私に連絡はよこさないくせにと面倒くさいことを考える。どうにも落ち着かなくなって、やっぱり会いたくなって、スマホを手に取る。
『今日の夜少し会えない?』
送ってしまった。しばらく画面を見つめるが、いっこうに既読はつかない。そう都合よく休憩中なんてことはないらしい。たとえそうだとしてもあれだけ未読をためる彼のこと、通知をつけてるとも思えない。諦めて、夜ご飯のカレー作りを始めた。
夜8時を過ぎても既読はついていない。カレーはひと足先に食べてしまった。
勢いで送ってしまったLINEだけれど、疲れているであろう彼に会いたいだなんて、わがままが過ぎるだろうか。散々迷った挙句、送信取り消しを押した。何か聞かれたら送る人を間違えたとでも言えば良いだろう。
カレーは今度来た時にでも食べようと、タッパーに入れて少し冷めるまでキッチンに置いておく。
それからどれくらい時間が経ったのか、インターホンがなった。エントランスのではなく部屋のインターホン。エントランスを抜けて部屋のインターホンを押せる人は、私以外には、ほとんど関わりのない隣人を除けばただ一人。
慌てて返事をすると、「俺。開けてくれない?」とだけ。今開けるからと伝えて、ドタバタと玄関の扉を開けに行く。
扉を開けると、顔に少し疲れが滲んだ彼。どうぞと言いながら先にリビングに入ろうとすると、
「あのさ、」
と呼び止められた。
「カレー、今からでも食べたいって言ったら、もう遅い?」
はっとしてキッチンを見る。そういえば冷蔵庫にしまうのを忘れていた。外から来た彼にはすぐにカレーの匂いだとわかったのだろう。
タッパーに入れられてキッチンに置いてある彼の好物。一緒に食べるつもりで作ったものを、今日は来ないと判断して冷蔵庫にしまおうとしていたことなど、聡明な彼でなくともわかってしまうだろう。
「冷ましてるの忘れてた。」
「……ごめん。会いに来れるって俺がちゃんと伝えてなかったから」
申し訳なさそうに言った彼に、気にしないでと伝える。そもそも、来るかどうかわからないのに作ったのは私だ。
キッチンでお皿にご飯とカレーをよそい温めている間に、残りのカレーを冷蔵庫にしまう。温め終わったカレーを持って部屋に向かうと、とっくに座っていると思っていた彼がドアの前で突っ立っている。なんでそんなとこいるのと笑いながら私が座ると、おとなしくついてきた。
「こんな簡単なものしか出せないけど、誕生日、おめでとう」
「ありがとう」
向かいに座る彼に、一番言いたかったことを伝える。と、彼が遠慮がちに口を開いた。
「あのさ、取り消してた昼間のLINEって何だったの?」
やはり気にならないはずないか。ちょっと送り先間違えて、と考えていた通りの言い訳をする。それなのに彼はいっこうにスプーンをとらない。冷めちゃうよ、と催促すると、何かを決めたように彼が私の目を見る。
「実はさ」
「うん」
「……昼のLINE、見たんだよね」
「え?」
予想もしなかった言葉に、思わず固まる。通知が来たのを見たが返信する時間はなく、そのまま私が取り消したということらしい。それなら、来れないと言っていた彼が突然来たのにも納得だ。納得だけれども、
「じゃあ、私がなんて送ったか知っててそんなこと聞いたの?」
なんのためにそんなことを。必死で取り繕う私をからかいたかったわけでもあるまい。不審がっているのがわかったのか、慌てたように弁解を始めた。
「からかったわけじゃなくて……」
躊躇うように伏せていた目線を上げて、彼が私の目をじっと見る。
「言って、欲しいんだ」
大切に、その言葉でわたしを包むかのように、ゆっくりと紡がれる。黙ったままの私に、彼は言葉を続ける。
「お前の気持ちを聞きたい。したいことも、してほしいことも、俺はお前の口から聞きたい」
今までなるべくわがままは言わないようにしてきた。彼にとっては今が大事な時で、会社のためにも彼自身のキャリアのためにも、仕事を優先してほしいというのは強がりなどではなく本心。
それでも、不安になることがないわけではなく、その度に箱の奥底に押しとどめるように見ないふりをして隠してきた。
そんなことを言われてしまっては、奥底にしまっていたあれやこれやがあふれ出してしまう。瞬きをすると、こらえていた涙がテーブルを濡らした。
「……本当は、今日もっとちゃんとお祝いしたかった」
「……ごめん」
「遅くなってもいいから、会いに来るって言ってほしかった」
「……それも、ごめん」
「……」
「他は?他には何してほしい?」
他にしてほしいこと。明日は一日一緒にいたい。ケーキを買って一日遅れの誕生日パーティーをしたい。普段からもっと会いたい。それから、ほかにもたくさん。それらひとつひとつを、うなずきながら聞いてくれる。
でも、一番して欲しかったことは、こうやって私のわがままを受け止めてくれること。
「──、」
彼が私の名前を呼ぶ。
ああ、本当に狡い。そんなに愛おしそうに呼ばれては、甘えたくなっちゃうじゃない。