お願いかくれんぼ
昼下がり、楽屋で収録が始まるのを待ちながら、SNSに届いたおめでとうのメッセージに返していく。あらかた返したところで、いまだに恋人からの連絡がないことにふと気づく。午前中は、自分自身が誕生日であることを忘れていたから、彼女からの連絡がないことに何も違和感を持っていなかった。だが、ここまで何も来ていないというのはどうもにおかしい。普段そんなに頻繁にやり取りする訳ではないが、何しろ今日は俺の誕生日。自惚れなど抜きにしても、そういう類が苦手な俺ならいざ知らず、彼女が忘れるとは思えない。
何か怒らせるようなことをしただろうかと悩んでいると、LINEの通知が来た。彼女以外に通知をつけている人はいないから、見なくても彼女からだとわかる。
『今日の夜少し会えない?』
タイムリーな連絡に、嫌われた訳ではないらしいことが分かりほっとする。直接会って言いたいということだろうか。普段遠慮がちな彼女の数少ない要望に頬が緩む。
仕事が終わるのはかなり遅くなるだろうから、会いに行けるのは日付が変わるギリギリかも知れない。ひとまず返信をしようとスマホを手に取ったところで、トークを開く前にドアがノックされた。
「伊沢さん、お時間です」
返信をしてから行きたかったが、呼ばれてしまっては仕方ない。休憩中にでもしておこうと思いながらスタジオに向かった。
* * * * *
22時をまわった頃、ようやく今日の仕事が終わった。結局休憩中も忙しく、次の仕事もあったため、返信は出来ぬままこんな時間になってしまった。
急いでスマホを開くと、1件の通知。返事の催促をする人じゃないのにどうしたんだろうかと不思議に思いながら確認すると『メッセージを取り消しました』とのこと。
「……やっべぇ」
小さく声が漏れる。
ふと、1週間前の会話を思い出した。
「ねえ拓司、今度の日曜って仕事だよね?」
二人でテレビを見ているとき、彼女がいきなり話しかけてきた。そのときの俺は、その日が誕生日なんてことは頭からすっかり抜けていて、ただの予定の確認だと思っていた。
「んっと…。そうだね。来週は朝から仕事入ってるわ。なんで?」
「いや、仕事終わりにでも少し会えないかなと思って」
「あー、厳しいかも。遅くまで収録あるし」
そっかとだけ返した彼女の顔は、今思い返せば少し寂しげだったかもしれない。その時点で彼女の意図に気づけたらよかったとか、そうでなくても、いつもの彼女らしくないお願いにもっと耳を傾ければよかったとか、たらればが次から次へと浮かんでくるけれどどうしようもない。
俺は今からどうすればいいのだろう。まだ待ってくれているだろうか。それとも今更もう遅いと拒まれるだろうか。もしかしたら愛想をつかされてしまったかもしれない。きっと彼女ならそんなことなしないとわかっているのに、一度思い浮かんだ不安はなかなか消えてくれない。そんなことはないと断言するには、あまりに思い当たる節がありすぎる。
今すぐ連絡をすべきだとわかっているのに、それすら怖くて躊躇ってしまう。このまま考えていても仕方がないと、勢いのままにテレビ局を出た。タクシーで向かう間、連絡をしようかとも思ったが、打っては消してを繰り返しているうちに着いてしまった。
合鍵でエントランスを抜け、彼女の部屋の前で立ち止まる。ここに来てもやはり不安は拭えない。こんな事ならひと言連絡すべきだったかと二の足を踏んでいると、ふとカレーの匂いが鼻をかすめた。俺が好きな食べ物として挙げたら、いつの間にか彼女の得意な料理のレパートリーに居座っていた、スパイスから作るカレー。たまらなくなってインターホンを押す。
「はい」
「……俺。開けてもらってもいいかな」
「えっ、なんで……。ちょっと待ってね、今開けるから」
驚いたような間のあとに、ドア越しの気配が少しあわただしくなる。ガチャリとドアが開くと、先ほどよりも濃いカレーの匂い。
入って、とドアを開ける彼女についていくと、玄関のすぐ先にあるキッチンにはタッパーに入ったカレーが置かれている。もう今日中に俺が来ることはないと思ったのだろうと容易に想像できて、後ろめたさから目を逸らす。
「あのさ、」
「ん?」
先に部屋に入っていく彼女を追いかけながら呼び止める。
「カレー、今からでも食べたいって言ったら、もう遅い?」
「あっ……」
はっとしたように彼女が立ち止まる。
「冷ましてるの忘れてた」
しまおうとしていたことが気まずいのか、そそくさとキッチンへ行ってしまう。
「……ごめん。会いに来れるって俺がちゃんと伝えなかったから」
「ううん、気にしないで。来られないってって言ってたのに作っちゃたの私だし」
バツが悪くて謝ると、いつものように優しく微笑むから余計に心にくる。静かな部屋では彼女がカレーを用意する音がよく聞こえる。普段よく回る口なのに、肝心な時に限って何も言えないのが恨めしい。
「なんでそんなところに突っ立ってるの」
結局、彼女が笑いながらそう声をかけるまで、リビングのドアの前でキッチンに立つ彼女を見つめていた。彼女がことりとカレーとテーブルに置いて座ったのに倣ってその向かいに腰を下ろす。
「こんな簡単なものしか出せないけど、誕生日、おめでとう」
「ありがとう。……あのさ、」
「うん?」
「昼間のLINE、何だったの?」
会いたかった。その一言を彼女の口から聞きたくて、すでに答えなど知っているくせにそう尋ねた。挙動不審になっていやしないかとドキドキしながら彼女の答えを待つ。一瞬ぎくりとしたように見えたのは俺がもう答えを知っているからだろうか。
「……ちょっと、送る先間違えちゃって」
ほんの一瞬だけこわばった顔は、すぐにいつもの笑顔に戻ってしまう。やはり隠してしまうのか。
彼女は本当にわがままを言わない。それどころか些細なお願いも飲み込んでしまう。言ってほしいのに、と思うのは俺のエゴだろうか。
「ほら、カレー冷めちゃうよ」
これ以上深堀りされることを避けたいのか、彼女は俺にカレーを食べるように勧める。普段ならこれ以上追及することはしないが、何だか今日はこのままではいけないような気がした。
「……実は、さ」
「うん」
「昼のLINE、見たんだよね」
「……え?」
彼女が目を見開いて固まった。
「楽屋で待ってるときに通知が来て。すぐ呼ばれたから返事はできなかったけど」
「……じゃあ、私がなんて送ったか知っててそんなこと聞いたの?」
「いや、違う!あ、違くないけど、」
彼女の声が硬くなって、しどろもどろになりながら慌てて弁明する。
「確かに知ってたけど、からかったとかじゃなくて」
「……」
無言で俺の話を聞くその沈黙が怖くなって、視線が落ちていく。でもこれだけはちゃんと、はっきり言いたくて、顔を上げた。
「言って、欲しいんだ」
「……」
「お前の気持ちを聞きたい」
はっきりと、と言うにはなんとも弱気な声だったけれど、それで彼女に伝わるなら何だっていい。
「したいことも、して欲しいことも、俺はお前の口から聞きたい」
「……」
いつの間にか彼女の頬を伝った涙が、ぱたぱたとテーブルに落ちた。
涙まじりの声で、彼女が話し始める。
「ほんとは、今日もっとちゃんとお祝いしたかった」
「……ごめん」
「遅くなってもいいから、会いに来るって言って欲しかった」
「……それも、ごめん」
鼻をすする彼女に、謝ることしか出来ない。
「他には?他に、何して欲しい?」
「明日、拓司休みでしょ?私も有給取ったから一日一緒にいたい」
「うん、いいよ。他には?」
「ケーキ、買いに行きたい」
「うん」
ぽつりぽつりとこぼれる、今まで隠してきた彼女の心のうち。
「記念日とか、誕生日とか、もっと覚えててほしい」
「……頑張る」
「ご飯くらいでいいからもっと頻繁に会いたい」
「うん」
「それと、普段からもっとLINEして欲しい」
「……それは善処する」
「そこはうんって言わなきゃ」
涙をぬぐいながら、ふふふっと笑って彼女が言う。ああ、やっと笑ってくれた。
きっとこれからも、俺の連絡がいきなりまめになることはないし、彼女が明日から遠慮がちでなくなることはないだろう。それは急には変わらないだろうけれど、彼女が隠してしまうお願いを、見つけていくのも悪くない。そんなことをら考えながら、彼女の名前を呼んだ。