男前Lady
俺には3つ年下の彼女がいる。年下ではあるものの、自分の軸は持っていて、物怖じせずに思ったことを言えるような、そんな人。常々「自分にもはっきり意見を言ってくれる人がタイプ」と言っているように、彼女のそんなところに惹かれたのだった。
お互いそんななのだから小さな喧嘩は絶えないけれど、軽口を叩きあっているこの距離感がなんだかんだ好きで。はたから見れば気が強いと思われてしまうのかもしれないけれど、それが俺にはちょうどいい。
と、そう思っていたのだけれど。
* * * * *
オフィスからは少し離れたカフェで、出版社との打ち合わせを終えたある日。出版社の人が立ち去った店内に残って、すっかりグラスに汗をかいたコーヒーを啜っていた。
時刻はお昼過ぎ。近くの会社が昼休憩に入ったらしく、会社員らしき人たちがちらほらと店内に入ってくる。
彼女の会社も確かこの辺だったよな、と思いながらちらりと入口に目を向けると、見知った顔を見つけてしまった。会社の同僚と思われる人たち一と緒に入ってきた彼女から、思わずパッと顔をそむける。何かやましいことがあるわけでもないけれど、さすがに声をかけることはできない。
席を立つタイミングを失っているうちに、彼女たちは俺のすぐ近くの、けれども彼女からこちらは見えない席に座ってしまった。こんな事ならさっさとコーヒーを飲んで出ればよかったなと思うがもう遅い。
幸い次の仕事までに時間はあるから急いで出る必要はないけれど、できればこんなに心臓に悪い場面からは脱してしまいたい。
と、彼女たちが注文を終えて話を始めた。この位置からだと、はっきりとではないが大体の会話は聞こえてしまう。意識を別のところに向けようとするけれど、嫌でも耳に入ってくるその会話。
「ねえねえ、」
一緒にいた男の一人が彼女の名字を呼んだ。下の名前で呼ばれていないことに少しホッとしつつ、その少し軽そうな話し方に身構える。
「なんですか?」
返事をした彼女の声に振り向きそうになる。あまりにも俺と話しているときの声と違いすぎないか。
いうなれば、電話対応の母親の声を聞いたときの衝撃。少しトーンの高いかわいらしい声。なんだか知ってはいけない彼女を知ってしまったようで落ち着かない。
「俺結構前から聞きたかったんですけど、」
俺が戸惑っている間にもむこうの会話は進んでいく。
「今彼氏いるんですか?」
想定外の質問に吹き出しかけた。俺が見たときには男が2人と女性が彼女含めて3人いたはずだけれど、その中で彼女にだけ質問したのか。
先ほどまでの後ろ暗さなんて忘れたかのように、聞き耳を立てる。
「彼氏ですか?いますよ」
彼女は呑気に返事をしているが、おそらく狙われているであろうことは気づいているのだろうか。
「そっかー。彼氏といるときはどんな感じなの」
「えっ、どんな感じとは……?」
「いや、いつものふわふわした感じじゃん?そんな彼女とか羨ましいと思って」
何だあのいかにも軽薄そうな感じは。鏡を見ずとも自分の眉間に相当しわが寄っているのがわかる。
同時に、彼女がふわふわした感じと形容されることに違和感を禁じ得ない。
「彼氏さんと喧嘩とかすんの?」
「喧嘩は結構しますよ」
「えっ、めっちゃ意外。嫌じゃないの?喧嘩多いの」
お前に俺たちの何がわかると言いに行きたくなるが、いくらなんでもそこまで大人気なくはない。
さすがに見かねた別の女性が「あんたには関係ないのよ」とたしなめるように言ったが、彼女は曖昧に笑うだけ。
まさか本当に喧嘩ばかりなことに嫌気がさしている訳では無いよな、と弱気がかすめる。この距離感に安心しているのが自分だけだったら嫌だな。
帰ったら聞いてみようと心に決め、彼女がお手洗いに立った隙に店を出た。
* * * * *
「なあなあ」
二人で夜ご飯を食べているとき、昼間のことを思い出して彼女に話しかけた。
「なに?」
「いや、あのさ、」
話しかけたはいいけれど、どう切り出したものかと口ごもる。彼女は箸を握る手を止めて、不審そうな視線をこちらに寄越した。
「どうしたの。なんかやらかした?」
「ちげえよ。なんでそうなるんだよ」
「いやだって、すごい言いにくそうにしてるから。私に怒られるようなことでもしたのかと思って」
そこはちゃんと否定しておくと、「じゃあ何」と急かされる。
「俺らさ、喧嘩多いじゃん?」
「そう、だね。少なくはない」
「そう。んでさ、嫌にならないの?」
「……なにが」
心底何を言っているのかわからないという顔で見返された。
「喧嘩が多いのってこと?」
「そう」
俺がうなづくと、うーんと唸りながらしばし考えている。答えが出るのを待っていると、ゆっくりと彼女が口を開いた。
「まあ、すっごく喧嘩したいわけではないけどさ」
「……」
「私にとっては、小さいことに突っかかれるのは気心が知れてる証だと思ってて」
黙って聞いていると、ちらりとこちらを伺うように見るので、視線で続きを促す。
「私仲良くないとすぐ猫かぶるから、そうしなくていい関係には満足してるし、なんなら拓司もそうかなと思ってたんだけど」
あなたは違った?と急に話の矛先が俺に向く。
「いや、俺もこれくらいがちょうどいいと思ってる」
「……ほんとに?」
「ほんとに」
「そっか」
聞き返した割に存外興味なさげで拍子抜けする。
「にしてもなんで急にそんなこと聞いたの?」
再び箸を進めながら、誰かに何か言われたのかと彼女が問う。
「今日打ち合わせがあるって言ったじゃん?」
「言ってたね」
「そう。それでさ、その打ち合わせがあそこのカフェであったんだけど」
だいたいの場所と店名を言うと、驚いた顔。
「えっ、私も今日そこ行ったよ?」
「うん、知ってる」
「……え?」
「お前が入ってきたとき俺も近くの席にいたから」
いかにもキョトンという顔をする彼女にそこまで説明をすると、心得たというようにうなずいた。
「最初のあの会話聞いてたのね」
「そういうことです」
「んで、喧嘩が多いのが気になったと…」
「まあ、ちょっと申し訳ないとは思うじゃん?」
普段少しだけ気にしていることを、この際だからと吐き出してみる。意地を張って言えないことを言うにはいい機会だ。
彼女が、俺を見据えて口を開く。
「私は、負けず嫌いで、素直じゃなくて、喧嘩長引かせちゃうようなあなたが好きなんだけど?」
あまりに男前なその言い方がどうにも可笑しくて、思わず笑いが漏れる。
「なによ?」
「いや、イケメンだなと思って」
むっとしたような彼女に半笑いのままそう返すと、「どうせ可愛らしくないですよ」とむくれている。
「もしかしてちょっと気にしてる?」
「……」
「いいのに。俺は男前なお前が好きなんだけど?」
にやにやしながら彼女の真似をすると、ぱしりと腕を叩かれた。