目覚めに甘味

「…きて。朝ですよ、お嬢さん起きて」

優しい声とともに体をゆすられて、ゆったりと意識が浮上していく。重たい瞼を持ち上げると、私の肩に手をかけて微笑む恋人の顔が見える。

「おはよう。ほら、起きて」

「おはよう」と彼に返したいのに、喋ろうとしてもどうにも眠たくて口が開かない。「んー」と意味をなさない音を発する私に、まだ起きないだろうと見切りをつけたのか、彼は「また10分後に来るから」と声をかけて立ち上がろうとする。
 慌ててベッドの中から手を伸ばして彼の服の裾をぎりぎりで掴むと、困ったように小さく笑う声が聞こえた。顔を枕にうずめたまま掴んでいるから彼の顔は見えていないけれど、きっと例の眉を下げた顔で笑っているのだろう。

「どうした。起きるの?」
「……おきる」

いかにも起き抜けといった声で返事をしながらもぞもぞとベッドから起き出して伸びをする私に、彼は「おはよ」ともう一度。

「…おはよ。今日は何回目?」
「今日はね、2回目。早かったよ」

毎朝恒例のこの会話。寝起きが悪すぎる私のために彼は毎日起こしてくれるのだが、当然1回で起きられるはずもなく、私が完全に覚醒するまでは10分おきに何度も来てくれるのが私たちの日常。けれど、私が覚えているのは最後の一回だけ。
 彼曰く、いつもは早くても3回目でしか起きないらしいから、今日はだいぶ早いほう。面倒だろうに毎日起こしてくれるのだから、つくづく彼は私に甘い。
 顔を洗って部屋に戻ると、テーブルに朝ごはんとコーヒーが置かれている。今日はトーストにベーコンと目玉焼きと野菜。朝は使い物にならない私とは対照に、彼は朝から働き者。最近は朝から散歩もしているらしい。

「朝ごはん、ありがとね」
「いやいや、これくらいはしますよ」

これくらい、と言いつつお皿洗いまでやってくれるのだから、本当に頭が上がらない。

「今日は?仕事休みだったよね?」
「おう、休み。だから今日行きは駅まで送るわ」
「えっ、送ってくれるの?やった」
「今日はいつもより早起きやったからね」

ご飯を食べながら今日の予定を確認すると、想定外のご褒美をもらった。きっと遅く起きても送ってくれただろうし、世間的には早起きではないのだけれど。
 しかし、送ってもらえるとわかっただけで気分が上がってしまうのだから、たいがい私も単純かもしれない。絶対に出来ないくせに、毎日早起きしてみようかな、なんて思ってしまう。
 先に食べ終わった彼だが、席を立たずににこにこしながら私を見つめている。いつものことではあるが、やはり少し照れる。最初のころは「先に片づけていいよ」と言っていたが、今では大人しく観察されることを受け入れた。何が楽しくてと思うが、何かが楽しいらしい。
 熱烈な視線を受けながら、ようやく朝食を食べ終わった。

「じゃあ俺皿片付けとくから、準備して来な」

そう言う彼にありがたく甘えて、仕事に行く準備をする。
 メイクをして髪も整えて洗面所から戻ると、定期とキーケースと水筒が机に並べてあり、あとはバッグに入れるだけの状態。至れり尽くせりだなと思いながらそれらをバッグに詰めていると、彼が寝室からでてきた。

「あれ、着替えたの?」
「駅まで送ったついでに散歩でも行こうかと思って」
「なるほどね。あっ、そういえば」
「ん?」
「荷物並べてくれてありがとね」
「どういたしまして。あなたしょっちゅう忘れてるからね。定期とか何回忘れんの」

それにはさすがに返す言葉がない。彼がいなければ何度無駄な電車代を払うはめになっていただろう。
 これは持ったか?あれは持ったか?と確認してくる彼に答えて、二人揃って家を出た。帰りのお迎えは彼の帰りが早い時によくやってくれるが、行きの見送りはあまりなくて、朝から並んで歩くというのは少し新鮮だ。

「この時間に二人で歩くの珍しいかもな」

まるで私の心を呼んだかのようなタイミングで発された言葉に、驚いて彼のほうを見る。

「それ私も今思ってた」
「おっ、運命やな」
「運命だね」

けらけらと笑いながら、駅までの道をたどる。運命だとか運命じゃないだとかそんなことは実際どうでもよくて、運命に違いないと二人ではしゃぐこの時間がただ愛おしい。
 気が付くと私は日陰ばかりを歩いていて、何でもないような顔で日向を歩く彼はちょっとだけ暑そうだ。他愛もない話をしながら歩いていると、もう駅が見えてきた。一人で歩くときにはあんなにも長い道のりなのに、二人だとこんなにも物足りない。

「じゃあ、いってらっしゃい」
「いってきます」
「仕事頑張って」
「頑張る」

二言三言交わして改札を抜けふと振り返ると、彼はまだ改札の向こう側に立ってこちらを見ていた。私が振り返ったのに気づいて、笑って手を振る。おそらく、私の姿が見えなくなるまで見送り続けるのだろう。
 電車に乗ると、彼の写真とともに『散歩いってきます』とLINEが届いた。今日はいつもよりちょっとだけ頑張れるような気がする。



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