猫じゃらし

 マンションのエントランスのガラスドアに、見慣れないボブのシルエットが写る。綺麗に仕上げて貰えたとこに心を弾ませながら入ろうとすると、ふわりと風が吹いた。トリートメントの匂いが鼻をくすぐる。彼に見せるのが楽しみで、鼻歌まじりに部屋へ向かう。

「ただいま帰りました〜」

部屋のドアをくぐって声をかけると、奥の部屋から「おかえりー」とゆるい返事が聞こえた。ガチャリと扉を開けると、クーラーで冷えた空気が流れ込んでくる。ついさっきまで猛暑の中にいた体には気持ち良い。

「涼しい〜」
「おつかれ。外暑かったで、しょ……」

返事が不自然に途切れたかと思うと、作業を止めて顔を上げた彼が私を見てじっと固まっていた。その視線の先は私の顔、いや、少しだけずれているだろうか。

「なに」
「え、いや。髪の毛……」
「あれ、切りに行くって言わなかった?」
「言った。言ったんだけど、なんというか……結構切ったなと思って」

思えば、髪を切りに行くとは言ったもののどのくらい切るとは言っていなかったかもしれない。腰近くまであった髪をボブにしたのは我ながらかなり思い切ったイメチェンだったが、歯切れ悪く言う彼はなんだか微妙な顔。

「……もしかして似合ってない?」
「ちがっ、」

不安になってそう問うと、彼は慌てたように首を横に振る。そうして、言うか言わないか迷うようにしばらく口元をもごもごとさせた後、ようやく口を開いた。

「似合ってるよ。すごくかわいい」
「……」
「…けど、ちょっと寂しいというか。君の長い髪、好きだったから」

明らかにしゅんとした様子でそう言うものだから、なんだか申し訳ない気持ちになる。確かに、あれだけ長かった髪を急に切ったら驚くのも当然か。普段からよく髪の毛に触れるとは思っていたが、そんなに気に入っていたとは。
 とはいえ、もう切ってしまったものは仕方がないし、わたし自身軽くなったこの髪の毛にはいたく満足している。どうにか彼にも納得してもらわなければ。

「あっ、そうだ」
「……?」
「今日髪の毛切っただけじゃなくて、トリートメントもしてきたの」
「トリートメントって、シャンプーのあとにするやつ?」
「それのもっといいやつみたいな?とにかく、すっごくつやつやになったんだよ」

ほら触ってみて、とソファに座る彼に近づいて頭を差し出すと、恐る恐る私の髪の毛に手を伸ばした。

「どう?」
「……うん、綺麗」

2、3度撫でた彼に尋ねると、撫でる手はそのままにそう答えた。心なしかその声は先ほどより少し明るい。よほど触り心地がいいらしく、なかなか手を止めてくれない。

「まだ触るの?」
「……ん、もうちょっと」

まるで猫じゃらしにじゃれる猫のように、わたしの髪をすくように撫でる。ちらりと顔をうかがうと、さっきまでの寂しそうな顔はどこへやら、心底嬉しそうな笑顔が見えてなんだか可愛らしい。

「ねえ拓哉さん」
「ん?」
「今日、お風呂上りドライヤーしてくれない?」
「いいけど、せっかくの綺麗な髪台無しにしちゃわない?」
「それは大丈夫だって。乾かすだけだから」

ならいいけど、と言いつつ不安そうな彼を見ながら、お風呂上りを想像して頬が緩む。

「夢だったの。彼氏にドライヤーしてもらうの」
「今までそんなこと言ってたっけ」
「だってさすがにあの長さでやってもらうのは申し訳ないじゃん」
「じゃあショートにしてくれてよかった」
「え?」
「実はぼくもちょっとやってみたかった」

ちょっぴり恥ずかしそうに彼が言う。やっぱり、切ってよかったみたい。



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