聞こえますか
ガチャ。玄関のドアが開く音がした。彼が帰ってきたみたい。電気をパチリと付けながら、「ただいま」と独り言のようにボソッと言う。おかえりと返すけれど、もう洗面所に行ってしまっている。
手を洗いリビングに出てきて座った彼が私の顔を見つめながら、今度はしっかり「ただいま」と言った。私ももう一度「おかえり」と返す。
彼はそのまま今日一日のことを話しだして、私はそれに相槌を打ちながら聞く。今日は一段と忙しかったようで、珍しく愚痴が混じっている。
「ごめん、帰ってきて早々に愚痴ばっか」
そう言って、浮かない顔のままキッチンへ向かった。愚痴くらいいくらでも聞くのに、という私の言葉は聞こえていない。
戻ってきた彼の手には、私の好物が入ったお皿がふたつ。大きいほうが彼の分、小さいほうが私の分。私専用のそのお皿を私の前にことりとおいて、彼は食べ始めた。つけたテレビもろくに見ず、ボーっとしながら食べ進めている。よほど疲れているのか、ほとんど何もしゃべらない。
その後彼はお風呂に入って、少しスマホをいじって、もう寝るらしい。「おやすみ」と私に声をかけて寝室へ行った。そろりとベッドのそばから覗くと、ベッドの片側を空けて眠っている。
けれど、私にはその空いた片側を埋めることは出来ない。
疲れた彼に楽しい話をしてあげることも、
彼が用意した料理に手をつけることも。
私の家位ばかり見つめる彼に、私はそこじゃないと言うことも。
愚痴を言う彼に私の相槌が伝わることはなく、
私のおかえりが伝わることも無い。
私はこの部屋で、私を見てくれることのない彼を見つめ続ける。