第三話

 週明け。いつもより少し遅めに出社すると、やけに人の集まっている部屋があった。確かあそこは謎解き班がよく使っている部屋ではなかっただろうか。
 気になってちらりと覗くと、一人の女性社員を取り囲んで賑やかにしている。雰囲気から見て、悪い話題ではないらしい。少々気になりはしたが、話題の中心の女性社員と話したこともないのに話題に入っていくほどの度胸は持ち合わせていない。
 仕方なくその部屋の前を素通りしていつもの部屋へと向かう。部屋に入ると、志賀さんと別の部署の先輩が話をしていた。他部署の人が仕事の連絡以外でここにいることは珍しく、部屋に入った瞬間驚いてしまった。
 確かその彼は、志賀さんの同期だと聞いたことがある気がする。仲いいのかな、なんて談笑する二人を横目に席に向かいながら、「おはようございます」と声を掛けた。

「あ、来てたんだ。おはよう」
「おはよう、お邪魔してます」

はじめましての私にもにこやかに挨拶をするその人にも「おはようございます」と軽くお辞儀をして席に着く。

「来るときあっちの部屋見た?」

志賀さんが、例の部屋のほうを指しながら聞いた。

「あの、人が集まってた部屋ですか?」
「そうそう」
「見ましたよ」

どうやら、ちょうどその話を二人でしていたらしい。もしかして、理由を知っていたりするのだろうか。

「なんであんなに集まってたんですかね。知ってます?」
「なんかね、社員さんが一人結婚するんだって」

期待通り、志賀さんが理由を教えてくれた。恐らく結婚するのは輪の中心にいた彼女だろう。だからあんなに盛り上がっていたのか。
 謎解き班の彼女は後輩からも慕われているらしいから、きっと盛大にお祝いでもするんだろう。盛り上がりの理由が分かり、なるほどねと頷きながらちらりとあの部屋のほうを見る。

「まあでも、結婚しても仕事は続けるらしいから、俺らに影響はないだろうね」

まだ自分の仕事に戻る気のないらしいこの先輩は、自分には関係ないとでも言うようにそう言った。もうちょっと祝ってやれよと隣の志賀さんに呆れられても素知らぬ顔。

「寿退社でもするんなら、引継ぎとかで忙しくなるけどね」

確かに彼の言うとおり、退社でもしない限り他の社員に影響が出ることは少ないだろう。せいぜい仲のいい人は式に出席するために予定を開けなければならないくらいか。
「寿退社した人って今までいるんですか?」
「ああ、一人いたね」

興味本位で尋ねると、志賀さんが答えてくれると思っていたのに、隣の彼がそう答えた。

「まあ君が入社する前の話だけどね」

そう付け加えた彼は、「そろそろ仕事に戻ろうかな」とだけ言ってそそくさと立ち去ろうとする。つい先ほどまでだらだらと居座っていたのは何だったのかと不審に思うが、引き留めるような用事もない。
 お疲れさまですと軽くお辞儀をして、部屋を出ていく先輩を見送った。

「ああ見えて仕事はできるやつだから、悩みでもあったら相談してみるといいと思うよ」

よくわからない人だなと彼が出ていったドアを見つめていると、私の顔で察したのか、笑いながら志賀さんが言った。

「そうします」
「うん」
「あ、そういえば」

まだ仕事を始めないであろうことを確認して、席に座ってPCを立ち上げていた志賀さんを呼ぶ。

「どんな人だったんですか?」
「ん?」
「寿退社したその社員の方って」

ピタリ。志賀さんが動きを止めた。何か不味い質問だっただろうかと不安になるが、今更取り消せるわけでもない。しかし、志賀さんが固まったのは一瞬で、すぐにいつも通りに戻った。気のせいだったのかもしれない。

「どんな人、ね。そうだな…」
「あんまり関わりなかったんですか?」
「…いや、そういうわけじゃないよ」

微妙な顔をした彼は、少し考えこんだ後、「あの人はね」と口を開いた。

「素敵な人だったよ」

困ったように笑って答えた志賀さんと、珍しく目が合わなかった。視線はPCの画面を向いているが、画面を見ているようには見えない。

「不思議な人だったけどね」

そう志賀さんが言って笑ったところで、PCが開いた音が鳴った。彼の言う「あの人」が気にならないわけではなかったが、仕事しなきゃねとPCに向き直る志賀さんを引き留めるほどのことではない。仕方なく、私も仕事に取り掛かる。
 初めて見た、志賀さんの困ったような笑顔。どこか寂しげで儚げなあの顔をさせるその人が、なぜか私の心に引っかかってしまった。顔も知らないその人が、なぜか。
 一体、どんな人なんだろうか。すっかり仕事に集中している志賀さんをちらりと盗み見て、そんなことを考えた。



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