第五話

 解決しないモヤモヤに頭を悩ませたところで、時間はいつも通り過ぎていく。気がつけば、週末を目前に控えた金曜日。
 午前の仕事を終えると、デスクを片付けることもそこそこにお弁当を取り出す。

「あ、ねえ」
「はい、どうしました?」

弁当包みの結び目を解こうとしたその直前、志賀さんが私を呼んだ。

「お昼、一緒食べない?」
「でも、私お弁当ですよ?」

確か以前自炊はあまり得意ではないと言っていたはずで、実際志賀さんはいつも外で食べている。そう思って確認すると、「買ってきた」と言ってコンビニの袋を掲げた。

「ちょっと行ったところに公園あるからさ、そこで食べない?天気もいいし」
「あ、いいですね。行きましょう。デスク片付けるんでちょっと待っててもらえますか」
「もちろん。ゆっくりでいいよ」
「はーい」

外でランチなんていつぶりだろうか。ここ数日の冷え込みを忘れたように穏やかな今日は、外で食べるにはもってこいの日だ。来週にはまた寒さが戻ると言っていたからいい機会かもしれない。
 お弁当の入ったトートを片手に、志賀さんと並んで公園に向かう。公園に着くと、おあつらえ向きなテーブルとベンチがひとつ。遊具も少なく大きくもないから子供が遊ぶには不向きかもしれないが、人もいない閑静な空間はお昼を食べるにはちょうどいい。
 それぞれのお昼ご飯をテーブルに広げ、二人で手を合わせた。昨日の残り物のおかずも、昨日よりも美味しく感じる。外で食べるからか、憧れの人と食べるからか、はたまた気のせいか。

「そういえばさ」
「はい」
「あいつから何か聞いた?」

"あいつ"と言って出されたのは、例の先輩の名前。何かと聞いて、真っ先に志賀さんと仲の良かったという女性社員の話を思い出す。動揺して、思わず箸を止めた。ここは隠すよりも正直に言ったほうが賢明だろう。

「寿退社したっていう社員さんの話を…。すみません、勝手に」
「いやいや、むしろごめんね。どうせあいつ自分から話し始めたでしょ」

そういうやつだから、と笑う志賀さんは、どうやら怒ってはいないらしい。彼が私に話すだろうと、予想はついていたのかもしれない。

「彼女はとにかく変わった人でね」
「先輩もそう言ってました」
「やっぱり?本当に変わってたの。我が道を行く人だった」

そう言って、懐かしそうに目を細めた。

「その時の私はね、今とは全然違ってさ」
「…らしいですね」
「そう。自分のことは"私"じゃなく"僕"って言っていたし、メイクやネイルだってできるはずもないし、自分がどんな芸術が好きかでさえ、あまり人には言ってなかった」

他人と違うことが、あまりに怖かったから。俯いて話をする志賀さんは、今だに少し苦しそうに見えた。

「そんなときにね、彼女に会ったの」
「……」
「バカじゃないのって、彼女に言われてさ」

酷くない?と言いつつ笑顔なのは、その言葉に救われたからだろうか。

「とやかく言ってくる人間が君の人生を幸せにしてくれるわけでもないのに、そんな奴らのために自分の好きなものを諦めちゃうなんてもったいなくない?」
「っ、」
「これは、私が彼女に言われた言葉。きっと当時の私も、今の君と同じ顔をしていたと思う」

今の私は、どんな顔をしているのだろう。さぞかし間抜けな顔かもしれない。

「もったいないなんて、考えたことなかったです」
「うん、私も。でもさ、なんかやけに納得しちゃって」
「……わかります」

こくりと頷くと、「だよね」と志賀さんがこちらを見て笑った。

「別に無理に変わる必要は無いと思う。でも、好きなことをひた隠して過ごすのってなんか悲しいでしょ?」
「……」
「私は彼女に変えてもらったから、今度は私の番かな、なんて」

余計なお世話だったらごめんねと付け加えて、彼はご馳走様と手を合わせた。慌てて最後の一口を口に入れて、私もご馳走様をする。
 私がお茶を飲んで落ち着くのを待って、そろそろ戻ろっかと志賀さんは声を掛けて立ち上がった。

「あの」

会社までの帰り道、隣を歩く志賀さんに話しかける。

「ん?」
「好き、だったんですか。その方のこと」
「……どうだったんだろうね」
「え?」
「わかんないや」

いたって真面目な顔で分からないといった彼からは、はぐらかそうという意図は見えない。本人に聞いてもなお、二人の関係は分からずじまいだ。
 けれど今は、ここ数日私を悩ませたモヤモヤよりも、不思議な高揚感が心を占めていた。
 今日が終われば、私たちの班は来週一週間リモートワークの予定になっている。準備をする時間はたんまりとある。変わるなら今しかないかもしれない。なぜだか私はそんな気がしていた。



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