真っ赤な弱音

「ただいまぁー」

気の抜けた声とともに玄関のドアを開ける。しかし、先に帰っているはずの彼の返事は聞こえない。代わりに脱衣所の明かりと微かなシャワーの音に出迎えられる。ご飯の前にお風呂に入るなんて珍しい。
 リビングに向かうと、思った通りリボンが巻かれた口紅がひとつ、ぽつんとテーブルに置かれている。何でも溜め込みがちな彼の数少ないはけ口。
 優しくて、穏やかで、いつも笑顔の彼だけど、心の中では口には出さない色んなことを考えて、色んなことを閉じ込めてる。自分の好きな物も、言いたいことも、他にもたくさん。

 付き合ってまだ日が浅い頃、彼が何でもない日にプレゼントを買ってきたことがあった。思わぬ贈り物に喜んだけれど、彼の表情はとても恋人にプレゼントを贈った人とは思えないほど苦しそうで。
 話を聞くと、どうにも嫌なことがあって、衝動的に目に入った口紅を買ってしまったという。彼が憧れる真っ赤な口紅。そして、買ったはいいが、頻繁に使う訳でもない自分が持っていても仕方がないと思い、私への贈り物にしたらしい。

「ごめん、こんなネガティブなプレゼント。」

申し訳なさそうにそう言ってしまおうとした口紅を彼の手から抜き取って、私はリボンを解いた。新品の口紅の先を唇に押し当てて、すっと滑らせ、笑ってみせる。

「好きな人の弱音をまとった女なんてなんか強そうじゃない?」

* * * * *

 その日から彼は、自分の中で抱えきれなくなる度に私にプレゼントを買ってきた。赤い口紅、揺れるイヤリング、ハイヒール。きっと全部、彼が欲しいもの。
 最近は自分が表現したいことを、表現したいようにする場所があるようで、彼の弱音をかたどった贈り物もめっきり減っていた。弱った時に頼る人として自分を選んでくれたことは嬉しいが、とれほど溜め込んだのかとやはり心配はしてしまう。
 静かにドアを開く音とともに、髪の毛を拭きながら彼があがってきた。目が合うと、少しバツの悪そうな顔をしながら

「買っちゃった」

と言った。

「こっち来て。髪乾かしてあげる」

ソファに座り直しながらそう言うと、ドライヤーを片手に大人しく私の足の間に収まる。ドライヤーの音にかき消されるから、二人の間に特に会話はない。ただ彼の柔らかな髪が乾くまで、その心地よい沈黙に甘える。
 彼の短い髪の毛が乾くのにそう時間はかからない。カチッとドライヤーを切れば、彼がぽつりぽつりと話を始める。

「今日、仕事でミスしてしまって。結果大ごとにはならなかったから良かったけど、私のミスで色んな人に迷惑を…」
「そっか…。大変だったね」

前に座っていて顔は見えないけれど、きっとまだ浮かない顔をしているのだろう。人にはあんなに優しいのに、自分には厳しい彼のことだから、きっと簡単には自分を許せない。

「そりゃあ、ミスはない方がいいし、反省はしなきゃいけないよ?」
「………」
「でもさ、志賀くんが頑張ったことは確かなんだから。認めてあげなくちゃ」

すっかり乾いた彼の髪を掬いながら、私は話を続ける。彼の心をほぐすように、ゆっくりと。

「大丈夫。分かってるから。みんなも、わたしも」
「……うん」

やっと彼からの返事が返ってきた。もう大丈夫。ここから自力でどうにかできないほど彼も子供ではない。私の仕事はここまでだ。

「ねえ、リップとってよ」
「はい、どうぞ」

シュル、とリボンを解きキャップを開けると、珍しくブラウンの口紅。

「いつも赤っぽい色しか買わないから気になってて」
「冬らしくてかわいい。今度のデートこれつけようかな」

そう言いながら、さっそくつけてみる。「似合ってる」と満足気な彼にそっと唇を寄せた。そっと離した彼の唇にも、私と同じ色がのっている。弱さを分け合った口の端が、少し上がった。



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