珈琲の香りを君と

 いつもと変わらぬ朝。キッチンに立った俺は、肌寒さにぶるりと身震いして、指先を擦り合わせた。
 棚の中からコーヒー豆を取り出し、ミルにセットしていく。代わり映えのない毎日の中で、少しだけでも贅沢をしようと始めたこのルーティーン。今では、これが無くては一日が始まらない。
 そんな俺の朝の日課が、最近少しだけ変わった。
 ミルの取っ手に手をかけて、ゆっくりと回し始める。独特で心地の良い音と共に、少しずつ香り始めるコーヒーの香り。
 そろそろだろうか。
 そう思っていた所で、ちょうどリビングの扉が開いた。

「コーヒー淹れる?」

音と香りにつられて、彼女が顔を出した。

「うん、今豆挽いとるとこ」

ゆっくりと近づいてきた彼女が隣に並ぶ。今までずっと1人でやっていたのだが、最近はいつも隣で彼女が覗いている。これが、俺のルーティーンに加わったこと。

「今日は?お前も飲む?」
「ううん。見てるだけ」

毎日同じ質問をして、毎日同じ答えが返ってくる。最初は遠慮しているだけかと思っていたが、そうでは無いらしい。むしろ苦いから苦手だと、そう言っていた。
 見ているだけの何が楽しいのかは全く分からないが、本人が楽しそうだからまあ良いのだろう。こうも毎日同じ光景を見ていては、俺からしたら飽きてしまいそうだが。
 挽き終わったコーヒーをカップにセットして、沸かしておいたお湯をゆっくりと注いでいく。お湯に触れたところからもわりと膨れて、たちまちコーヒーの香りが広がった。
 静かに落ちていく黒い雫を待ちながら、しばしその香りを楽しむ。

「コーヒーの香りって、なんか良いよね」
「でもあなたコーヒー嫌いなんやろ?」
「飲めないけど匂いは好きなの」

そう言ってコーヒーに鼻を近づけ、満足気に笑ってこちらを見る。
 苦手なものの匂いは好きだというのはあまり共感できないが、確かにコーヒーの匂いは魅力的だ。リラックス効果があるというから、そういうものなのだろうか。

「毎日見てるだけって楽しくないやろ」
「んー、そんな事ないよ?」

飲みもしないコーヒーのために、わざわざ寒いキッチンに立つことの楽しさとは一体。暖かいリビングで待っている方が良いだろうに。
「そんなにコーヒーの匂い好き?」
「それもあるけどさ、この時間が好きなの」
「この時間?」
「そう。駿貴と二人並んでゆっくりコーヒーが出来上がるのを待つの、なんか良くない?」
「それはね、分かる」

彼女の理由の中に俺がいるということに心が踊る。そんな話をしているうちに、コーヒーが出来上がった。
 コーヒーの匂いと、冷たい空気と、愛しい恋人。俺の最強のルーティーン。空気が温かくなる季節になっても、彼女が隣にいてくれたら。なんて考えながら、コーヒーをひと口啜る。ふわりと苦味が広がった。



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