おやつの時間も終わり、夕食にもまだ少し早い時間。喫茶ポアロは先ほどまでの混雑した、少し騒がしい店内とは打って変わって、落ち着いたいい雰囲気の喫茶店へと変貌していた。そんな昔ながらの喫茶店には現在、コーヒー片手に読書している若い女性が一人ポツンといるだけたった。
何を隠そう、その女性が私のことである。本日発売の恋愛小説は、私の好きな作家さんで乙女心を絶妙にくすぐってくれる。最後の一ページを読み終えて、ほぅと息をつきながら余韻に浸っていると、喫茶ポアロの看板娘である梓さんが近寄ってきた。
「今回の小説はいかがでしたか?」
「もう、最高でした!主人公のことを好きな男の人がまたかっこよくて!」
金髪碧眼で、まさに王子にふさわしい配色がなされた登場人物は、眉目秀麗、文武両道、紳士的で実家がお金持ち、更にはヒロインに首ったけと非の打ちどころのない男性だった。恋愛小説の登場人物は現実ではありえないくらいスパダリなのがいいのだ。
そんな持論を熱く語っていると、梓さんもふんふんと勢いよくうなずきながら同意してくれた。
「やっぱりこんな人は実在しませんよねぇ〜」
「・・・いや、一人知っていますよ!」
「え、そんな人いるんですか!?」
「えぇ。その人は金髪に青灰色の目をしていて、優しくて、気が利いて、仕事もできるパーフェクトヒューマンです!」
ごくり、と喉を鳴らしながら人差し指を立てて神妙に話す梓さんに、私の脳内ではピシャーン!と雷が鳴り響いていた。
な、なんだってー!
「あ、あずささん!その話詳しく・・・!」
「もちろんです。29歳ですがそうは見えない程の童顔でイケメンです。声も落ち着いたいい声をしてらっしゃいます」
「それでそれで!」
「料理上手で笑顔が素敵です!」
「ひええ。非の打ちどころがない!」
「仕事は私立探偵で。なんと!上の探偵事務所の毛利さんの一番弟子らしいですよ!」
「・・・うん?」
「そう、そのパーフェクトヒューマンは、数日前からうちでアルバイトをしている安室透さんでーす!」
「29歳喫茶アルバイター兼探偵の弟子はパワーワードすぎませんかね!!」
数日前からアルバイトを開始したらしい、その安室さんとやらは、仕事以外は完璧だった。29歳喫茶アルバイター兼探偵見習いはヤヴァイ。
やはりこの世にスパダリなど存在しなかった。ウキウキで話してくれた梓さんには申し訳ないが、私の中のパーフェクトヒューマンは仕事もしっかりされてる方なんですよ・・・。いや、探偵業をバカにしている訳ではないが、29歳で弟子入りというのは決断するのが遅すぎるように感じる。もっと人生堅実にいかないと!たとえば公務員とか!
しかし、梓さん曰く相当なイケメンらしいので是非とも一度拝ませて頂きたい次第です。
「でもね名前さん」
「はい」
「恋におちたら、全部関係ないんですよ!」
ウインク付きで可愛くそう言う梓さんには、そんな経験があるのだろうか。からかうように問いかければ、恋の話に花が咲いてしまって、安室透さんとやらの話は打ち切りとなったのだった。
*
「顔を合わせた瞬間に手を合わせるのはやめていただけませんか?」
困ったように笑う神に構わず、私は更にお辞儀を追加した。
「いつも生きる糧をありがとうございます。」
「はいはい。カウンターでいいですか?」
「もちろんです!」
もはや恒例になりつつある、私の祈りに対して神(安室さん)は困ったように笑っていつもの特等席であるカウンターへと案内してくれた。
あの日梓さんに教えてもらったパーフェクトヒューマンは、事実、パーフェクトヒューマンだった。いや、神だった。事前情報と一寸違わぬ完璧さに恐れおののいた。仕事が不安定?誰だそんな自分の事を棚上げした発言をしたのは。初めてお目にかかった時に、あまりのイケメンさに卒倒しかけたのは今となってはいい思い出だ。
しかし、あまりにもイケメンな為、私は彼を実在の人物として認識するのが困難になっていた。神が下々の者たちに癒しを与えに来てくれている、と認識することで私は安室さんを視界に入れることに成功したのだ。
席に座って、さーていつものようにアイスコーヒーを頼もうか。と思ったらすでに置いてあった。片づけ忘れかな?
「あの、」
「アイスコーヒーでいいんですよね?もうすぐいらっしゃるかと思って用意しておきました」
「ひええ」
片づけ忘れてます、とこっそりお伝えしようとしたら、逆に耳元にこっそりと優しく私の為のものだと教えられて、思わず悲鳴をあげてしまった。
安室さん過剰摂取はあまりにも危険なので(私が)、週に一回しかキめないと決めている。毎週同じ曜日の同じ時間はポアロにてアイスコーヒーを飲みながら崇拝の時間だ。それを把握してくれたのか安室さんはアイスコーヒーを用意してくれていたらしい。グラスにあまり水滴が付いていないことからも用意したてということがわかる。どれだけ気遣い上手なんだ。
「合ってます・・・本当に完璧超人ですね。実在してます?」
「あはは。してなかったらそのアイスコーヒーも幻ですよ」
「いつも通りおいしいです。存在してました」
「それはよかった」
にっこりと人好きのする笑顔でそう言って、安室さんは他のお客さんの所へと去っていった。その笑顔があまりに綺麗だったためまた拝みそうになったが、寸前で耐えてアイスコーヒーを口に含む。
私立探偵として働き、その修行の為毛利小五郎名探偵の弟子入りをして、ここ喫茶ポアロでアルバイトまでしている。一体彼はいつ休んでいるのだろう。私は彼を神として崇めるほどに推している。そう、推しているのだ。なんの仕事をしてようが関係ない。安室透さんという人間に惚れ込んでしまったのだからしかたがない。三食きちんと食べてるかな。睡眠は充分かな。おいしいもの食べてるかな。
初めて顔をみた瞬間に、私の人生における最推しが決まったのである。これからも私は安室さんの日常の安寧を祈ってポアロに貢献し続けるだろう。
そんな事を考えながら、カウンター越しに洗い物をする安室さんの少しうつむいた姿をちらりと眺めた。はぁ、尊い。
楽しい時間というのは過ぎるのが早いもので、あっという間にアイスコーヒーは飲み干してしまった。あまり長居するのもよくはないのでそろそろ帰ろう。
伝票を持って立ち上がると、いつのまにか日も落ちてお客さんは私だけになっていた。誰もいない店内を見ると、梓さんから安室さんの話を初めて聞いた日を思い出す。まだそんなに日は立っていないはずなのに、なぜだか懐かしい。そんな事を考えていたからなのか、梓さんが床をいつもより丹念に磨きすぎたのか、なぜか私はなにもないところで滑ってしまった。
「うわっ」
「危ない!」
襲ってくる衝撃を覚悟して目を閉じた。しかし、いつまでたっても痛みがやってこない。その代わりなのか、背中にしっかりとした何かが巻き付いていて、コーヒーの香りがふわりと鼻腔をくすぐった。恐る恐る目を開けると、目の前にそれはそれは綺麗な顔があって目を見開いてしまう。
「大丈夫ですか?」
「あ、」
「どこか痛みが?」
「あむ、あむろさん・・・」
「はい、安室です。お怪我ありませんか?」
しきりに心配してくれる安室さんに、私は何も言えなかった。
目の前に安室さんがいるということは、私の背中に回っている暖かくて力強いものは安室さんの腕ということで。細身に見えるのに案外筋肉質なんだなぁ。やっぱりこの人は同じ次元に存在しているんだ。
ストン、と何かが落ちる音がした。
「名前さん?」
「あああああのお代はちょうど置いていきますので助けていただいてありがとうございますコーヒーごちそうさまでしたではまたいつか!!」
何も言わない私が怪我をしてると思ったのか、名前を呼びながら更に顔を覗き込んで距離を詰めてきた安室さんから、バッと一瞬で距離を取って、お金を財布から乱暴に取り出してポアロを飛び出した。呆気に取られていた安室さんの顔を見る余裕なんてなくて、ただひたすら顔の熱を冷ますように帰路を走った。
だって、あんな、男の人みたいな腕で、背中を支えてもらって、顔も近くて、なんだかいい匂いまでして。実際に触れて、体温を感じて、存在を認識してしまったらもう手遅れだった。今まで神だなんだと目を背けてきたが唐突に理解した。
どうやら私は恋に落ちたらしい。