一万打フリリク企画
いろは様:「偶像は力を失う」の続編
あの日私は、恐れ多くも神に恋をしてしまった。いや、きっととっくに好きになっていたが、気がつかないフリをしていたのだろう。神とは、絶対的な力を持っているもの、決して手が届かないもの、なんでも知っているもの。そう言ってみれば、まさに安室透という男は神そのものだった。彼にできない、わからない、といった事が存在すると言われたら鼻で笑うだろう。いつも人当たりのいい笑顔で様々な人達を魅了しているが、その実誰にも気を許していないし、踏み込ませようとしない、そんな人だ。私が拝む時だけは、少しだけその笑顔が崩れるのが嬉しくて、私は自分の恋心に知らないふりをしていた。
だが、あの抱きとめられた瞬間、「この人本当に存在するんだ」と思ったら、もうだめだった。
「お疲れ様ですー」
少しの残業で仕事を終え、手早く身支度をして同僚達と挨拶を交わしながら会社を後にする。いつも通りの平日だ。会社から徒歩の距離にアパートを借りている為、疲れた体を引きずりながら帰路につく。
あ〜最近ポアロに行ってないなぁ、そろそろ安室さんに会いたいなぁ。頭の中で安室さんが微笑みながら挨拶をしてくれる様を想像する。イケメンだ・・・。想像の中だからかっこいいなぁですむが、実際会ってしまうと、きっと私の心臓は激しいタップダンスを踊った後に、その活動を止めるだろう。気持ちの整理がつくまでは、安室透摂取は控えよう、と決意したのだった。
そして私は趣味である恋愛小説に没頭することにした。しかし、どれを読んでもしっくりこない。きっと安室さんのせいだ。あんな人が実在するなんて知ってしまったら、恋愛小説に出てくる作り物の男なんかでときめくことができなくなった。つまり、私がときめくためにはポアロに行くしかない。だが行けば死ぬ。なんともどかしいことか。
はぁ、とため息をつきながら本棚の間を練り歩く。今私は次なる趣味を見つけようと本屋に来ていた。恋愛小説がだめなら推理小説でも読んでみようかしら。ミステリー特有のハラハラドキドキは、ときめきと似てるし。そんなことを思っていると、右袖がなにかに引っかかった。なんだ?とそちらに顔を向けると、大きなメガネをかけた少年が私の服の袖を引っ張っていた。
「あら、コナンくんじゃない」
「こんにちは!」
元気いっぱい挨拶をしてくれたのは、喫茶ポアロの上にある毛利探偵事務所に住んでいる江戸川コナンくんだった。小学一年生とは思えないほど行儀がよく、頭も良い彼とはポアロでたまに挨拶を交わす仲だ。目線を合わせるためしゃがむと、手を頬に添えて内緒話のように話しかけてくれた。
「何してるの?恋愛小説はここじゃないよ」
「推理小説読み始めてみようかなと思って、いいのないか探してたの」
「推理小説ならホームズがいいよ!!」
少々食い気味で、キラキラと瞳を輝かせてそう言うコナンくんはめずらしく年相応で、とても可愛らしい。小さいのに洋書を読むなんて、本当に頭のいい子だ。
「シャーロック・ホームズ?読んだことないなぁ」
「じゃあ尚更読んでみて!ボク、家にあるから貸してあげるよ!」
「本当に?じゃあ読んでみようかな。分からない所とかあったら教えてくれる?」
「もちろん!」
コナンくんが貸してくれると言うならばもう本屋に用はない。というわけで二人で外に出ると、もう日は落ちかけていて辺りはうっすらと暗くなっていた。こんな時間に小学生を一人で帰すわけにはいかないし、コナンくんはすぐにでも貸してくれるとの事なので、家まで送ってあげることになった。大人っぽいコナンくんにしては珍しいことに、すぐ家まで来て欲しい!という事を隠すことなく訴えてきたということもあるが。そんなに早くホームズ読んでほしいのかな。
道すがら、ホームズの素敵な所や、面白い所を、ネタバレにならない程度に教えてもらっていると、ふと気がついた。やべぇ、コナンくんの家の下はポアロじゃねぇか。でも安室さんのシフトは入ってないかもしれないし、もし仮にいたとしても外には出てこないわけだから大丈夫だよね!コナンくんを送り届けて、ホームズを借りてすぐに帰ろう。安室さんとお話するには、まだ心の準備が整っていない。そんな事を決意しているうちに、前方には毛利探偵事務所の看板が見えてきた。
だめだ、心臓がバクバクしてきた。あそこで安室さんが日ごろ働いているんだと思うだけでダメだ。ああああ落ち着け名前。喫茶ポアロの前を迅速かつ自然に通り過ぎるんだ。大丈夫、安室さんは今日は休みだ、きっとな。
そう脳内で自分を落ち着かせていると、軽快なベルとともに目の前の扉が開いた。
「あ、安室の兄ちゃんだ!」
「おかえり、コナン君。・・・と名前さん?お久しぶりですね」
「はうっ!」
退避!退避ィー!!と脳内で小さな私が駆けずり回っていたが、私は心臓の辺りを抑えて、動悸を落ち着けることしか出来なかった。いい大人がリアルではぁはぁするわけにはいかないと呼吸を整えるが、逆に気持ち悪い顔になっていたかもしれない。思春期の中学生か。
「・・・・・・から、ちょっと待っててね!」
「いってらっしゃい。・・・では、名前さんこちらへどうぞ」
「えっ、・・・あれ?コナンくんは、」
「話聞いてなかったんですか?本を取ってくるからポアロで待ってて欲しいと言っていたでしょう」
ファーストインパクトをなんとか乗り越える事に成功し、我に返って周りを見渡すと、なぜかコナンくんがいなくなっていて、どこか呆れたように笑いながらそういう安室さんは、あまりにも美しくて直視出来なかった。初めて見る顔だ。いつも完璧笑顔な安室さんにしては珍しい。なんだ、生まれる場所を間違えた天使か。あ、神だったわ。
すーはー、と深呼吸して、目は合わせられないので、安室さんの顔を視界に入れないよう細心の注意をはらう。
「こ、こで待ってます!たぶんすぐ降りてきますし!」
「そうですか・・・ではコナンくんが来るまで僕もここにいます」
「なんで!?お客さん放ったらかしたらいけませんのでどうぞ中へ!!」
「今は店内にお客さまはいらっしゃいませんし、梓さんもいます。何より薄暗い中、女性を一人にするわけにはいきませんよ」
ぐうの音も出ない完璧な理論に、私は黙って頭を垂れることしかできない。沈黙は肯定とみなしたのか、安室さんと私の二人でポアロの前に並んで立つことになった。しかし、私から話しかけることが出来るはずもなく、しばらく沈黙が続く。
以前までなら安室さんを拝んで、それに困ったように笑う安室さんを眺めて、世間話をして、とあっという間に時間が経過していたが、今は一秒が永遠に感じるほど長かった。安室さんが立っている右側の体が熱い。コナンくんまだかなぁ、早く来てくれないと不整脈で死んでしまいそうだ。
「最近、ポアロにいらっしゃいませんでしたが、お忙しいんですか?」
沈黙に耐えかねたのか、安室さんが単調にそう言った。あまりどころか、あの日から全く行っていない。忙しいわけではなかったが、いい言い訳がすぐに思いつくほど頭が良くない為、忙しいことにしよう。
「そ、そうなんです。仕事が忙しくて・・・」
「では今日は早く帰れてよかったですね。てっきり、僕がなにか気に触ることをしてしまったのかと心配していたので・・・」
「安室さんのせいなんかじゃないです!断じて!」
「でも、なにか思うことはあるんでしょう?だって、今日は一度も僕の目を見ていない」
ひゅ、と喉を空気が通る音がした。安室さんらしからぬ、少し強めの口調でそう言われて、私は何も言えなかった。なぜなら実際に思うことはあるし、今日は一度も安室さんの目を見ていない。
どうしよう、神は怒っているのかもしれない。安室さんが怒るところなんて想像出来ないが、私があまりにもあんぽんたん過ぎるから、さすがの神もイラッとしたのかもしれない。安室教の敬虔な信者である私に、弁解しないという選択肢など存在しなかった。
「あの、最近ポアロに行けてなくて、忘れられてるじゃないかなとか、その、それでちょっと気まずくて、別に安室さんがどうとかでは、」
「本当に?」
安室さんの胸元辺りを見ながら支離滅裂になりながらも懸命に話していると、少し屈んで私の顔を覗き込む、少し寂しそうな顔の安室さんと目が合った。あ、だめ。
「すき」
「え?」
今、私なんて言った?
薄暗い中でも一際輝くダークブルーの瞳を見た瞬間、想いが溢れ出た。言わずにはいられなかった。ぽかんとしている安室さんと、頭が真っ白になってしまった私でしばし見つめ合う。
幸運にも、先に我に返ったのは私だった。
「ポアロが!!!!」
「!?」
「ポアロが、好きなので!もう来なくなるとかありえませんから!もちろん安室さんのせいでとかでもないので、本当に!!」
「・・・それはよかった。でも少し残念です」
「え?」
危ない危ない。危うく私の気持ちがバレてしまうところだった。と、ひと安心したのも束の間で、残念とはどういう事だろう。ちっ、こいつまだポアロに来る気かよ。もう見なくて済むと思ったのに、残念。ってことだろうか。それならショックすぎる。
勝手にショックを受けていると、コナンくんが足音を響かせて戻ってきた。
「名前お姉さんお待たせ!ホームズならまずはコレを読むのがいいよ!読んだら感想教えてね!」
「あ、うん。わかった。わざわざありがとう」
「ううん!早く名前お姉さんとホームズの話したいから、ボク楽しみにしてるね!」
眩しい笑顔で話すコナンくんは、文字通り救世主だった。このまま話を続けていて、さっき想像したことを言われてしまったら、私はもう立ち直れないだろう。よし、目的のホームズも借りれたし早いとこ退散しよう。数分前より安室さんの顔を見る事が一層困難になってしまった私は顔を伏せながら別れの挨拶を告げようとした。しかし、それを遮るかのように安室さんが両手を鳴らした為、中途半端に口を開くだけになってしまう。
「実は、僕のシフトあと少しで終わりなんです。名前さん、よかったら車で送っていきますよ」
「えぇっ!?いやいや、結構です!悪いんで!!歩いて帰ります!」
「僕が名前さんを暗い中、1人で帰らせたくないんです。・・・ダメですか?」
「ぐっ・・・。では、お言葉に甘えて・・・すみません・・・」
好きな人にあんな言い方をされて断れるわけもなく、了承してしまった。しかし、車で送ってくれるということは、すなわち、狭い車内に二人きりになるということで・・・。あ、だめだ。想像しただけでダメだった。私、今度こそ死ぬかもしれない・・・。
数十分後の死を覚悟していると、安室さんがエプロンを外しているのが気配でわかった。
「いいえ。じゃあ着替えてきますね。あ、そうそう。名前さんの事だから、勘違いしてそうなので言っておきますが、」
「?」
何を勘違いするのだろう、と首を傾げる私の耳元に、心底楽しそうに笑う安室さんが顔を寄せて囁いた。
「ポアロではなく、僕の事を好きだと言ってくれたのかと思ったので、少し残念です、と言ったんですよ」
あぁ、誰か動悸息切れによく効く薬をください。