親バカすぎる父親のせいで幼稚園から大学まで女子高に通っていた私は、ものの見事に夢見がちな女へと成長した。男性の知識といえば少女漫画で仕入れたものばかりで、中学校や高校、大学で中途入学してきた友人達にはよくからかわれたものだ。それでも、きっと私の運命の王子様にいつか出会えると信じて疑わず、本日、遂に私は20歳を迎えた。
私の誕生日である今日、友人たちがお酒も解禁だということで飲み会を開催してくれた。母と二人がかりで父を説得し、なんとか23時まで門限を伸ばしてもらうことに成功した私は、初めての飲み会で大いにはしゃぎ、祝ってもらった。友人達が気を利かせて私の家から近い所の店にしてくれた為、徒歩で15分程度なのだが、また次があった時にも遅くまで許してもらえるように父の心象をよくしておきたい。22時を少し過ぎた所で私は友人達に別れを告げて店を後にした。
初めてのお酒という事で一杯だけ飲んだのだが、私は強くもなく、弱くもなくという所らしく、少しだけふわふわとした思考で繁華街を家に向かって歩く。ネオンがチカチカと輝き、酔いの回ったサラリーマンや学生達が次のお店を探して彷徨っている。好きな友人と好きなだけ遊ぶことができる人達を見て、羨む気持ちが少し心の中に芽生えた。しかしその直後、家を出る前の心配そうに見送る両親の顔を思い出し、首を振ってその気持ちを振り払う。
「お姉さん、一人?」
「え?」
前をしっかり見ていなかったからか、目の前には私より少し年上だろう男性が人の好さそうな笑みを浮かべて、私の行く道を遮るようにして立っていた。誰に話しかけているのだろうか、とキョロキョロと回りを見渡していると、お兄さんは可笑しそうに笑って私を指さした。
「君に言ってるんだよ」
「私ですか?今は一人ですけど・・・」
「そっか!そりゃよかった!今から俺と二人でバーにでも行かない?」
「バーですか?・・・すみませんが、もうすぐ門限の時間なのでご一緒できません。他にいい方を探してください」
ぺこりと頭を下げてお兄さんを避けるように歩き出そうとしたら、何かに引っ張られて進めなくなってしまう。びっくりして振り返ると、お兄さんがにんまりと笑って私の肩を掴んでいた。先程までは人の好さそうな笑顔だと思っていたものが、急に恐ろしいものに見えて背筋にぞっと悪寒が走る。もしかして、これは所謂ナンパというもので、私は少し危ないのではないだろうか。一人でこんな遅い時間に歩く事はなく、普段友人といる時に声をかけられた時も気が付けば友人達が対処してくれていて、私にまで被害がこないようにしてくれていた。つまり、実質ナンパ初体験の私に上手く断ることなどできるはずもなく、恐怖も相まって身体が固まってしまった。
「門限?そんなの破っちゃえばいいじゃん。いい年して親の言いなりなんでつまんないでしょ、いいから行こうよ」
「い、いえ・・・つまんなくなんかないです・・・。父と母は私を心配して、」
「あーはいはい。そういうのいいから。来いよ」
「きゃっ」
軽薄にそう言ったお兄さんは、私の肩に添えていた手を腰に回して、自分の方に私を引き寄せた。自分の意志とは関係なく近寄ってくる見知らぬ異性の顔に、思わず口からひぃと声が漏れてしまい、お兄さんの眉間に皺が寄る。
怒らせてしまった。そう思った瞬間じわりと涙が浮かんできて、零れないように下を向く。表情だけではあるが、男性に怒りの感情を向けられる事がこの20年なかった私は、様々な感情が心の中を渦巻いてしまい、うまく呼吸もできなくなりそうだった。とりあえず涙を止めなければと、うつむいたまま目に力を入れてお兄さんの靴を見つめていると、もう一つ男性のものらしいつるりとした革靴が視界に飛び込んできた。
このお兄さんの友人だろうか。いよいよ家に帰れそうになさそうだ、と思っていると、想像していた軽薄な話し方とは程遠い優しい声が頭上で響いた。
「ごめん、遅くなって」
「なんだよお前」
「彼女の連れなんだけど・・・とりあえずその汚い手を放してもらおうか」
その声の主はそう言って私の腰にあったお兄さんの手を引きはがしてくれ、私を隠すように自分の背中にそっと匿ってくれた。顔を上げると、思いの外大きな背中が目に飛び込んできて、きょとりとしてしまう。そのまま思考が固まってしまっているうちに、どうやら優しい声の主がナンパのお兄さんを追い払ってくれていたようで、その場には私と助けてくれた男性しかいなくなっていた為、私は慌ててお礼を告げる。
「あ、あの!ありがとうございました!」
「いえいえ。・・・しかし、まるでおのぼりさんの様に夜の繁華街をキョロキョロと見回しながら歩くのは感心しませんね。ああいう輩に目をつけられてしまいます。家はどの辺りですか?よろしければお送りしますが」
ナンパのお兄さんとは似ても似つかぬ柔和な笑顔でそう言った男性の顔を、その時に初めて直視した私は、雷に打たれた。いや、実際に打たれた訳ではなく感情的な話であるが。はちみつを溶かし込んだような金髪に、夏の空のような綺麗な青い瞳。それがはめ込まれているえらく整った顔。そんな素敵な男性にナンパから救われるというシチュエーション。私は彼に一目ぼれをしてしまった。
やんわりと注意を促しながらも送ろうかと聞いてくれるその人は、社交辞令である事はわかっていたが、それを断ると二度と会えないだろうことは明白だった。私はなるべくがっついているのがバレてしまわないように心掛けて口を開いた。
「す、すみません・・・。家はここから歩いて10分程の所にあります。お手数でなければ近くまでお願いできますでしょうか」
「・・・えぇ構いませんよ。では行きましょうか」
笑顔を崩さないまま私に歩くように促してきた男性は、どうやら本当に送ってくれるようだった。恋はイケイケドンドン。押せ押せ引かずに押しまくれ。酔っ払いながらではあるが、先程そう教えてくれた友人達に心の中で感謝の気持ちを贈り、どうやってこの男性と距離を縮めようかと思案しながら歩き出したのだった。
そして家まで送ってもらうまでの間に安室透さんという素敵な名前を教えて貰うことができた。ここからどうやって連絡先等を聞けばいいのだろう、と必死に考えていると、いつのまにか自宅付近まで来ていたようで、玄関先で待っていた父が私と並んで歩いてくる安室さんを見て「安室君が必要な事態になったのか!?」と叫びだした為、安室さんは父が私を心配するあまり雇った探偵さんだという事が判明した。娘の飲み会にボディガードを雇うとは心配性すぎる、とは思ったが、今だけはグッジョブを送っておこう。
それからというもの、父から連絡先をゲットした私はアプローチを開始した。毎日だと鬱陶しいだろうから、2、3日に1回程度メールを送り、時には食事に誘い、自分を必死で売り込んだ。安室さんは遅くなっても必ず返事をくれたし、最初は断られていたが、いつの日からか5回に1回程は食事にも応じてくれるようになった。メールが返ってくる度、食事に行く度どんどん安室さんに惹かれていった。だが、親密になれている気が全くしない。彼は、きっと私に本心を許してはいない。どんなにアピールしても夜は22時までには家に送り届けられるし、不意にでも触れた事など一度もない。いつも笑顔を絶やさず完璧なその人は、心の奥底で何を思い、何を感じているのだろう。ほんの少しでもいいから、私の事を考える日はあるのだろうか。
危ない仕事をしているのだろうなと、時折感じる。それは、探偵とはまた別の仕事なんだろうとも。私は抜けてて世間知らずではあるが、馬鹿ではない。付き合いたい訳でも、愛を囁いてほしい訳でもない。ただ、ふとした時に私を思い出して、少しでも安室さんの人生の枷になりたい。どこか浮世離れしたこの人を、この世に繋ぎ止める枷に。
「安室さん、好きです」
そして耐えきれなくなった私は、遂に気持ちを言葉にして伝えてしまった。私の気持ちはわかっていたのだろうが、曖昧なままだから会ってくれていたということは感じていた。だからこそ、気持ちを口にしたことはなかったのだが、いつか私の前から消えてしまいそうな気がして言わずにはいられなかった。せめて私の気持ちだけでも知っていて欲しくて。
私の言葉を聞いた安室さんは、少しだけ目を見開いてから、またいつもの完璧な笑顔で微笑んで、
「ありがとうございます」
と言った。それがなぜだかとても嬉しくて、ぶわっと何かが胸いっぱいに広がって幸福感でいっぱいになる。否定も肯定もしなかったが、受け入れてくれた。本当に優しい人だ。きっと、迷惑なだけなのに。キラキラと輝く、あの日私を恋に落とした青い瞳をしっかりと見据えて、私は口を開く。
「私の方こそ、ありがとうございます」
「・・・あなたがお礼を言うことではないのでは」
「いいえ。私の好きな人は本当に優しくて素敵な人です」
でもやはり、返事を貰えないのは少しだけ、ほんの少しだけ悲しい。ぽろり、と堪えきれなかった涙が一粒だけ零れたが、私はそれを拭うことなく微笑んだのだった。
その後、これ以上涙を見せたくなかった私は俯いてしまい、安室さんが右手を少しだけ持ち上げ、その後すぐに下ろしてしまったのには気が付けなかった。
*
後悔しても後の祭りなのだが、気持ちを伝えた後安室さんが引き続き会ってくれるかどうかを考えていなかった。あんなに男前なんだ、言い寄られることは日常茶飯事だろうが、だからこそ好意を持たれている事を確信したらもう連絡を取ってくれないのではないだろうか。
いつものように家まで送り届けられて、寝る支度を終えて安室さんへ今日のお礼のメールを打っている時に、その事実に気がついた私は絶望した。恐る恐るメールを送り、いつもなら返事が来るまで起きているのだが、なんだか怖くてすぐに寝てしまった。スマホのアラームで目を覚ましいの一番にスマホを確認すると、いつも通りの安室さんの返信がとどいており、一先ずはほっと一息をついたのだった。
それからというもの、おかしな事が起こった。安室さんが優しくなったのだ。というか安室さんは今までも優しすぎるくらい優しいのだけど。私の扱いがより、なんというか・・・恋人にするような事をしてくれるようになった。話し方はくだけたものになったし、夜遅くなりそうならば車で迎えに来てくれて、家まで送り届けてくれる。電話もメールも今まで私からしかしてこなかったが、安室さんからも世間話などの取り留めのないものから、次の会う約束の話等もをしてくれるようになった。相変わらず触れてはくれないが、そんな事はもうどうでもよかった。きっと、私が好きだと言ったからこうやって夢を見せてくれているだけとは思うが、今が私の人生で一番幸せだと胸を張って言える。
そして、想いを伝えてからしばらく、今日は安室さんと晩御飯を食べる約束をしていた。お気に入りのワンピースに身を包み、髪型は大人っぽくみえるようにセットして、化粧も控え目に見えつつしっかりと。最後に姿鏡で全身を確認してから、ひらりとスカートを翻して家を出る。玄関を出ると、目の前には安室さんの愛車である艶やかなRX-7が停まっており、もたれ掛かるようにして安室さんもそこにいた。思わずふにゃりと笑顔が漏れ出して駆け寄ると、安室さんは少しだけ眉間にシワを寄せて、勢いづいていた私を静止するように片手をあげた。
「こら、走ると危ない」
「ごめんなさい・・・。会えたのがが嬉しくて走っちゃいました!」
「僕は逃げないんだから、次からは歩いてくるように」
「はーい」
よし、と満足そうに笑った後、助手席のドアを自然に開けてくれる。こうやってお姫様扱いしてくれるのが嬉しくもあり照れくさくもあるが、乗らなければ永遠にこのままであることを体験した事がある私は、お礼を告げて乗り込む為に助手席へと目を向ける。すると、座席にはこの車と同じ白い色をしたガーベラが、一輪だけ置いてあった。傷つけないようにそっと手に取って、未だドアを押さえてくれている安室さんを見上げる。
「いつもありがとうございます」
「名前さんに似合うと思ったから。さぁ、早く座って」
私が想いを告げた日から、安室さんは何故か会う度に小さな贈り物をしてくれるようになった。それは花だったり、綺麗な石だったり様々だが、いつも何か意味のあるものを私にくれる。そうだと気がついたのは何度目かに贈り物をされた時だったが。白のガーベラの花言葉もまた調べておかなければ。
グーグル先生の事を思い浮かべながら助手席にしっかりと座った私を確認してから、安室さんは運転席に回り、目的地であるご飯屋さんへと車を進めたのだった。
お洒落なお店で晩ご飯を食べ、21時には家に送り届けてくれる。門限は23時であるにも関わらずだ。それがいつもの安室さんとのお出かけのパターンだった。今日も同じように21時前になり、店を出て車に乗り込むと、安室さんが珍しく顔を正面に向けて私の方を見ないままで、口を開いた。
「・・・今日はもう少しだけいいかな」
「も、もちろん!!」
「よかった。22時までには必ず送り届けるから」
初めての2軒目のお誘いに舞い上がってしまい、頬に熱が集まる。やっと、大人だと認めてくれたのだろうか。成人を迎えてから夜に友人と遊んでいると、必ずと言っていい程、2軒目に向かう。そこは大体バーやこじんまりとした居酒屋などお酒を楽しむ所で、お洒落なお店だけでは飲み足りない女子大生達はこぞってバーに行くのだ。勿論、目的はお酒だけではなく男の人をひっかけるという事もあるみたいだが、私には安室さんがいる為、私がいる時は御遠慮いただいている。
つまり、何が言いたいかというと、安室さんとお酒を楽しめるということがとても嬉しいという事だ。いつも行くようなお店では食事を楽しむところばかりで、一度お酒を頼もうとすると安室さんにやんわりと止められてしまい、それからはソフトドリンクですませていたからだ。確かに、車を運転する安室さんはお酒を飲めないのに私だけ飲むのも申し訳ない。ということでいつのまにか飲まないということが当たり前になっていた。
いや、しかし今日も安室さんは車で来ている。ということは、普通にカフェとかに行くのかもしれない。
一人で百面相していると、目的地に到着したのか隣の安室さんがシートベルトを外す気配がしてはっと顔を持ち上げる。
「着いたよ」
「あ、はい。・・・ちなみに、どこに行くのでしょうか?」
「あぁ、言ってなかったかな。たまにはお酒もいいかなと思って、バーに行こうと思ったんだけど。一杯だけ飲んでいこう」
「え!ほんとですか!で、でも帰りは・・・」
「帰りはタクシーで帰るから心配しないで」
にこりと、いつもより少し硬い表情で微笑みながらそう言った安室さんに、二つ返事で了承した。
そこから安室さんに連れられて、駐車場から歩いてすぐのバーに二人で入店する。カランコロン、と古いベルの音が鳴り、店内を一望すると、薄暗い店内ではバーテンのおじさんが一人グラスを磨いているだけで、私達の他にお客さんはいないようだった。流れるように一番奥のカウンター席までエスコートされ、少し高めの座席にえっちらおっちら腰掛けると、隣に安室さんがなんの苦もなく座っており、地味に自分の足の短さに絶望した。
いや、安室さんがスタイルよすぎるだけだから、私はきっと日本人では平均だから。安室さん本当に素敵。と自分を慰めていると、目の前にひとつのカクテルがそっと音もなく置かれて、首を傾げた。
「僕から名前さんに」
「え、あ、ありがとうございます・・・」
ヌーディーな雰囲気のバーで、好きな人が私の為にカクテルを選んでくれて、肩肘をついてこちらを微笑みながら見ている。これ以上ないシチュエーションに、私は安室さんの顔をまともに見ることが出来ず、意識的に提供されたカクテルへと目を向けた。
わずかに濁っているカクテルが、店内の光を余すことなく反射してキラキラと輝いている。安室さんが私にという事であればきっと美味しいのだろう。いつのまにか頼んでいたのか、安室さんのグラスと自分のグラスを軽く当てて乾杯する。持ち上げたそのまま口元へと運び、ごくりと一口飲んだ。想像していた味とは異なり少し辛口の味ではあったが、スッキリとしていて飲みやすく、思わずもう一口飲んでしまう。
私が気に入ったのがわかったのか、安室さんがからかう様に喉で笑った。なんて贅沢な時間なんだろう。しかし、多幸感に包まれていた私は、次の安室さんの言葉を聞いて一気に地獄へと突き落とされた。
「そのカクテル、XYZって名前なんだ」
先程までの柔らかな雰囲気とは異なり、少し硬い雰囲気でそう言った安室さんは、自分の顔を隠すように自分のグラスに口をつけた。
しかし、私はもう何も考えられなくなっていた。今までもたくさんの贈り物をもらい、その度に言葉の意味を調べて勝手に喜んできた。しかし、今回のXYZのカクテル言葉は既に知っていた。友人に聞いたからだ。その意味とは「これで、もう終わり」。バーなどで嫌な男に絡まれた時やんわりと制するのに使うんだよ、と教えてくれた友人の顔が頭に浮かんだ。
つまり、安室さんは、もう私とは終わりにしたいということなんだ。元はと言えば始まってすらいなかった関係で、安室さんの好意で続いていただけだったのが終わるだけ。私はもう充分思い出もらったでしょ。いつかこの日がくると分かってたはず。ほら、泣くな泣くな。安室さんもきっと今日だけは今まで通りいたくて、このカクテルを出したんだ。今まで迷惑をかけてきたのだから、今日の今この時くらいは我慢しろ。
体が冷えきり震えそうになるが、自分を奮い立たせて奥歯を噛み締め涙を我慢する。
「そ、うなんですね。とてもおいしいです・・・ありがとうございます・・・」
「・・・いえいえ。気に入ってもらえてよかった」
なんとかお礼は伝えることはできたが、正直ここから先は全く覚えていない。気がついたら自宅の自分の部屋で泣いていた。次の日は泣きすぎて熱が出たし、精神的に落ち込んだ私はさらに風邪までひいて、こじらせてこじらせて4日は布団から出れなかった。
5日目にやっとまともな生活を送れるくらいには回復し、久々にスマホを手に取る。すると、あの最後の日に安室さんからメールが来ていた。いつものお礼メールを私が送らなかったから安室さんからくれたのだろう。これで終わりだというのに最後まで律儀な人だ。内容を見てみると、今日のお礼としばらく会えない旨が書かれていた。連絡を返せないとも。そんな言い方をされたら期待してしまうではないか。しかし、私のような箱入り娘に正直に伝えると傷つけてしまうと気を使ってくれているのだろう。勘違いしてはいけない。このメールは大事に取っておいて、いつか思い出にできる日が来たら消そう。私は返信もせずにメールを閉じたのだった。
*
あれから何ヶ月も経ち、あの時のカクテルの意味を確信づけるように、安室さんからの連絡は一切なかった。私は忘れようと必死だったが、あんなに素敵な人はもう二度と現れないだろう。男性に会う度に「安室さんなら」と考えてしまう。これではいつまで経っても思い出にできそうにない。
はぁ、と一つため息をつきながら繁華街を歩く。今は友人との飲み会の帰りで、また私だけが門限の為先に帰っているところだ。そういえば、安室さんに初めてあったのもここだったなぁ。また安室さんを思い出してしまって落ち込んでいると、誰かから声をかけられた。
「おねーさん、落ち込んでるの?」
「え?・・・えぇ、まぁ」
「そっかー。じゃあ俺が話聞いてあげるし、どっか酒でも飲みにいこーよ」
またか。あれから何度も繁華街を歩いているがその度に誰かしら声をかけられてしまう。大人しそうだから仕方がない、と友人には言われたが、毎回上手く交わすのが下手で時間がかかってしまうので勘弁して欲しい。
よし、今日こそ頑張って追い払うぞ。と意気込んで顔を上げ、安室さんとは似ても似つかない染めた金髪の男に目を向ける。その瞬間、ナンパ男と私を遮るように誰かが割り込んできた。その誰かと目が合ったその瞬間、心臓が大きくはねる。その人ははちみつを溶かしたような金髪に、夏の空のような青い瞳を持った、私の大好きな人だった。どうして、と声に出さずに口だけ動かすと、その人はにっこりと笑って私の頭を撫でた後、男を見るように私に背を向ける。
「ごめん、遅くなって」
「なんだよお前」
「彼女の連れなんだけど・・・」
あの時と同じ場面、同じセリフ。どうやら私は夢を見ているようだ。自分に都合の良すぎる夢。だって安室さんが私に触れるはずがない。あんな、大事なものに触れるみたいに優しく頭を撫でてくれる訳がない。夢なら早く覚めて。
そう思っているうちに安室さんは男を追い払ったのか、あの時のようにいつのまにか私と安室さんだけになっていた。安室さんは何やら私に話があるらしく、とりあえず道の真ん中は危ないからと、道の端の邪魔にならない位置まで二人で移動する。
なぜ今更私の前に現れたのか全く想像出来ず何を話したらいいかわからない私は、ただ黙って安室さんの胸元あたりに目線をやり、顔を見ないようにしていた。
「なぜ返事をくれなかった」
「へ、へんじ?」
「最後に会った後。いつもなら何かしら返事をくれるだろう」
安室さんの雰囲気が少し異なり、いつもよりキリッとしている事と、安室さんの言っている意味がよくわからなくて、私は首を傾げた。返事って言われても、もう終わりなのだから必要ないのでは。という事をしどろもどろになりつつ答えると、安室さんがぴしりと固まってしまった。
「・・・なぜ終わりだと思った」
「え、あの、か、カクテルが」
「あぁ、そのカクテルが問題だな。僕が意味を持つものをいつもあげてるのは気づいていたのか?」
「はい・・・なので、今回のカクテルも『これで、もう終わり』という意味だと・・・」
「『これで、もう終わり』!?」
珍しく声を荒らげる安室さんにびっくりして、ずっと安室さんの胸元辺りでうろついていた目線を顔に向けた。その安室さんは、そういえばそういう意味もあった、だの、やっぱりストレートにいくべきだった、だのぶつぶつと何かを後悔しているようで、私には何が何だか分からずただじっと安室さんが落ち着くのを待っているしかできなかった。
一通り考えて落ち着いたのか、眉を寄せて少し辛そうに安室さんが話し出す。
「君は・・・もう終わりだと思ってそれでよかったのか?」
「そんな訳ないです!私は、安室さんの事が、」
私の一世一代の恋をそんな簡単なものにしてほしくなくて、安室さんの瞳をしっかり見て叫ぶように想いを吐き出そうとすると、唇にやわらかな感触がして邪魔をされてしまった。目の前には褐色の肌の綺麗な顔が目を伏せており、空は隠れていた。私はキスをされている。しかも安室さんに。それに気がついた瞬間、ぶわわっと顔が赤くなるのが自分でもわかり、あまりの恥ずかしさと戸惑いで、逃げるように一歩後ろに下がる。その場から動かなかった安室さんの唇が、私の唇からちゅ、と音を立てて離れ、思わず口に手を当てて安室さんを睨むように見てしまった。
「あのカクテルの意味、他にもあるんだけど知りたくない?」
そんな私を安室さんは、さも愛おしいというようなとろけた瞳で見つめていた。どうやら私は大きな勘違いをしていたようだ。真っ赤な顔を見られるのが恥ずかしい私は、俯きながらこくりと頷いて一歩安室さんに近寄ったのだった。