01

アラーム音が部屋に鳴り響く。皇は布団から手を伸ばし、スマホのそれを解除した。窓から見える外は仄暗く、鳥の鳴き声も聞こえない。暦では春に入ったが、まだ少し肌寒さが感じられた。空気の冷たさに身じろぎながらもベッドから降りて、ジャージに着替える。寝起き特有の浮遊感を感じながらも、習慣化された動きが滞ることはない。顔を洗って、いつものように走りに出よう。目的を達成するためには、体力を落とすわけにはいかないのだ。スニーカーを履き、夢の中の母を起こさないようにそっと家を出た。今日は少し早めに切り上げることにしよう。

ランニングから帰れば、母ももう目を覚ましていた。ドアを開けると、卵が焼ける香ばしい匂いが漂っていた。

「おかえり。朝ごはん出来るから、早く汗流してきなさい」

母は台所からひょっこりと顔を出して、すぐ戻っていった。わかった、と返事をして風呂場に向かう。じゅうじゅうと何かを焼く音が聞こえて、皇はお腹を鳴らせた。
ランニングの汗を流して、真新しい制服に袖を通す。誠凛高校に入学してまだ数日。鏡に映る皇に制服は未だ馴染んでいない。シュシュで髪をまとめると、台所へと向かった。朝ごはんはトーストとハムエッグにヨーグルトだった。
今日から部活動の仮入部申請が始まる。何せ誠凛高校は新設校だ、新入部員の獲得に躍起になることは想像に難くない。朝からそれぞれの部の勧誘が活発になることだろう。いつもの時間に登校すれば人混みに揉まれてしまうに違いない。皇にはそんな状況になるわけにはいかない理由があった。
早めに家を出て、人の少ないうちにバスケ部の入部届けを貰わなくてはいけない。皇はこのミッションを何が何でも達成しなくてはいけなかった。誠凛へ来る前にそういったフォローを最大限すると約束してくれた中学からの友人──黒子テツヤにもこればかりはどうにもなるまい。それは皇が考えるよりも明らかな事実であったし、誰かに容易に頼るという考えを彼女は持っていなかった。
皇が学校に到着しても、まだ新入部員の勧誘準備に追われている人が多いようだった。当たり前だ、まだ授業開始時間の一時間前なのだ。新入生に構う余裕のありそうな生徒は少ない。これくらいならきっと大丈夫だ。そう安堵して、皇は男子バスケ部の部員の顔を探した。きょろ、と辺りを見回す。背が高いから見つけやすいだろうと思っていたが、案外高身長の生徒が多い。部活勧誘なのだし、きっと部長はいるだろう。短髪で眼鏡が特徴の生徒だ。しかし、できるなら皇は監督をつかまえたかった。男子バスケ部の人は───

「ねえキミ、新入生だよね?どう?ウチの部興味ない?新設だし、すぐ先輩とも仲良くなれるよ!」
「ああ、いえ。すみません、もう決めてますので。」
「じゃあウチは!?漫画から小説まで何でも来いの読書部!」
「いえ、もう決めてますから。すみません。」

辺りを見回す様子に新入生だと判断したのだろう。一人が勧誘しだすと、我もと皆勧誘をし始めた。準備はどうした、もう終わっているという雰囲気は見受けられない。皇は勧誘を交わしながら、目的の部を探す。こうも意識を逸らされながら探すのは難しい。足を進めながらそうしていると、見覚えのある顔を見つけた。確か、あの人は。駆け寄って声を掛けた。

「あの、すみません!男子バスケ部の方ですか?」
「へ?え、ええ、そうだけど…あ、もしかして入部希望の子!?マネージャー!?」
「はい。すみません、こんな早くに。よろしければ、入部届けをいただきたいのですが。」
「もちろん!こっちよ、着いてきて。」

唯一の女子部員を引けたのは運が良かった。確か、そう、相田リコさんだ。彼女の言われる方へ着いていく。

「もしかしてマネージャー経験者だったりする?」
「はい、中学でマネリをしていました。」
「やだプロじゃない、どこの中学?」
「帝光中です、1軍のマネリをしていました。」

少し中学の頃を思い出す。仕事を務めていられたのは、彼女の力のおかげもあったけど。皇は心の中で零した。桃色が脳裏を掠めた。
帝光、と聞いた相田の目がキラリと輝く。

「帝光のそれも1軍ってことは──」
「おーカントク帰ってきたか」
「あ!だれだれ!?入部希望!?ていうかマネ希望!?」

相田と話すうちにバスケ部のスペースに着いていた。すると相田の帰りを待っていたらしい声が上がった。場には準備を終えかけていたであろう部員の面々が揃っていた。
相田の連れてきた皇が目に入ったらしい、小金井が興味深々に声を掛けた。一歩引いて、応えた。手が届かない距離を努める。どうやら部の中心人物と見受けられる相田は続けた。

「ふっふっふ、なんと聞いて驚きなさい!この子は入部希望者、それもあの!帝光中の1軍のマネリだった子よ!」
「帝光って…あの!?」
「い、いいの!?ウチ帝光みたいにすごくないよ!?」
「こらそこネガティブなこと吹き込まない!」

愛想笑いを浮かべながらも、心中で帝光のネームバリューに感嘆する。良くも悪くも名前だけは大きいのだ。帝光とは言え、ただのマネージャーにすらこの反応を見せる部員たち。これでは、黒子にはさぞ拍子抜けすることだろう。気付けなければ、第一印象は放課後になるだろうが。その時の反応を予想して、少し心が浮き立った。


バインダーに挟まれた入部届けに情報を記入していく。希望するポジション。…名目上はマネージャーだ、皇はその欄を空けておいた。この部でトレーナーとして動けるかどうかは、これからの話なのだ。皇には黒子にも話していない目的がある。皇と、この場にはいないもう一人しか知らないことだ。
書き終えた用紙を相田に渡す。

「皇清麗ちゃんね。早速だけど。今日の放課後、体育館に来てくれる?色々と確認したいこともあるし。」
「わかりました。よろしくお願いします、相田さん」
「うん、よろしく!」

皇が学校に到着した頃から数十分経ち、登校してきた新入生の姿が増えた。そろそろ混雑してくる頃合いだろう。この場から離れることにした。混まれると非常に困るのだ。部員たちに軽く礼をして、その場を後にした。
一瞬、黒子を待つか彼女の頭に浮かんだが、クラスが同じなのだ。わざわざ待つ必要もなかろうと判断して、急ぎ目に教室へと向かった。

「あれ?そういえば私、名乗ってたっけ…?」
「どうかしたか?」
「ううん、なんでもない。さあ、張り切って勧誘していきましょう!」
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