#10







天国から地獄。今、私はまさにそんな気分に陥っていた。


ドキドキもあったけど、とても楽しかったデートから夢現で帰ってきた私は。
幸せ気分いっぱいで、着の身着のままの制服のままでお風呂にも入らずそのまま眠ってしまった。

結局スイーツミュージアムで掛かったお金の殆どを黒羽君が払ってくれた。
数学のお礼としてチョコレートアイスを奢ったあとは、なぜか私の分まで全部黒羽君が支払っていて。

私ばっかり食べてたんだから私が払うよ!と言っても、ここはヤローにかっこつけさせて?と口の端を上げて返されるばかりで。

そんな仕草も無性にかっこよくて、お願いします、と下がってしまったのだ。今度なにかお礼しないと!


またもマンションの前まで送ってくれた黒羽君は、楽しかった、と言ってくれて。


「私もすごい楽しかった!! 本当にありがとう!!」
「ケーキも、美味かったしな」


そう、言いながら私の口端に軽く指を添えて、にかりと笑う黒羽君に、うぎゃー!と叫んだら爆笑されたけれど。


「じゃ、杏、またな。今日、楽しかったぜ」

また、と言ってくれた。それが無性に嬉しかったのだ。


にまにまと笑いながら眠っていただろう事を思うと、そんな私をもし馨ちゃんが見ていたら、「杏、きもい」と一蹴されていただろう。





そうして夢も見ずに、ぐっすり眠って起きたのは、11時。

もはや朝とは言えない時間で。
いったいどれくらい眠ってしまったのだろうと、軽く焦ったりもして。

スカートが皺になってしまった。アイロン上手くかかるかなーと考えながら、お風呂に入っていない体はどこかべたべたしていて。
とにかくシャワーを浴びようと、部屋から出たところで、お父さんがキッチンに居た。

「おはよう、杏。いや、もうおそよう、かな」

へにゃりと笑いながら眼鏡が日の光で少し反射しているお父さんに「おはようお父さん」と返事をして。

軽く瞬きをした。


「めずらしいね。日の日中に家に居て、しかも起きてるなんて」


お父さんは、なにかの研究を専門にしているらしく、東都大学の大学院で研究をしたり、生徒に教えたりしている。

いわゆる科学者、と呼ばれるもので。

とても忙しいみたいで殆ど家に帰ってこずに研究三昧である。

帰ってきても夜中だったりで、私が起きる頃には眠っているし、私が寝ている頃に帰ってくるみたいなので、顔を合わすことがあまりないのだ。


なので、キッチンにホワイトボードを置いて、お互い連絡事項はここに書く、としている。
携帯での連絡ばかりでは味気がないと、お父さんが買ってきたのだ。


『ヨーグルトが賞味期限近いから食べてね』

とかは私が書いて。

『今日はね、生徒が反抗的で凄い大変だったんだけど、杏の寝顔みたら元気になったよ』

とかはお父さんが書いて。

私に「勝手に部屋に入ったの!?」とか怒られたりしている。


他人の親をまじまじと知っている訳ではないが、うちの親はどちらかというと親バカに入ると思うのである。


ちなみに、私のドジっ子を心配してか、うちの家の家財道具を極力危険が少ない設計にしたのもお父さんだ。
床がクッションフロアだったり、家具は角が極力なく、棚から物が落ちて来ないようになってたりする。

いや、もちろんそれでも色々やらかしてますけどね…。


キッチンのサイドテーブルで、薄手のセーターを着て、コーヒーを飲んでる姿は、40手前には見えないくらい若々しい。


「昨日、いつもより早く帰れてね。今日は夜まで時間があるんだ。早くシャワー浴びておいで。久しぶりだし、一緒にお昼しよう。今日は、僕が作るよ」


ぱちり、とウインクをする父親ってどうなんだろうと思うが。
少しインテリ気味の、肩まである髪を一つにくくった白衣姿が素敵な眼鏡男子!とどうやら大学ではもてはやされている(以前書類を届けに言ったときに、とある女生徒がそう言っていた)らしいお父さんの場合は、困った事に様にはなっているので。

突っ込まずにいることにしている。


はーいと返事をして、お風呂場に向かった。



問題は、脱衣場で制服を脱いだところで起こった。

「──ネックレスが、ない」


首元をみて、愕然として。
慌てて鏡に張り付くも、首元に光るものは、何もなくて。


「うそっ!!」

思わず大声で叫ぶと、遠くから声が。

「杏、どうかしたかい?」
「な、なんでもないよっ」


慌てながらも返事をするも、心臓はせわしなく動き、背筋にはたらりと汗が垂れる。
自分がドジである自覚は十二分に在るが故に、普段は大事に机の一番上の引き出しに閉まっている、私の宝物。

昨日は私にとって大切な大切な、デートの日だったので、お守りとして付けていたのだ。


お母さんの、ネックレス。


お父さんが、お母さんと付き合い出した最初のデートの日に、お母さんにプレゼントしたというもの。
シルバーチェーンに、リボンのモチーフ。リボンの端の部分の片方には、小さいけれどダイヤモンドが一つ。


真っ赤な顔して、僕と付き合ってくれてありがとう、といって渡してくれたのよ。

そう、幸せそうに笑うお母さんは、幼い私に、とても素敵に映った。



高校時代に貰ったというそれを、結婚して、子供が生まれてからも大切に首元につけていた。
そのネックレスが羨ましくて。
子供特有のわがままを発揮して欲しい欲しいと強請っていた。

「これはお母さんのだから駄目ー」

お母さんは子供相手にもしっかり断って。

それで泣き出した私に、仕方ないなぁ、と笑いながら、じゃあ、と切り出した。


「杏が十歳になったら、じゃあお母さんが、杏だけのネックレスをプレゼントしてあげるわ!」


そう、にっこり笑って言っていたくせに、お母さんは、私が9歳の時に亡くなった。


サーカスの団員だった母は、私を生んでから引退して、子育てに専念して。
そのときは、たまたま団員が欠員して。

人手が足りない、ということで頼み込んで来た一回こっきりの出演だった。

「お母さんの晴れ姿、しっかり目に焼きつきときなさいよ?すっごいんだから」

そう、笑っていたお母さん。

その日ばかりは、いつも忙しいお父さんも時間を作って。
二人で、そのショーを眺めていたんだ。


お母さんの演目は、剣の丸呑みと、空中ブランコだった。


空中から舞うようにステージへと落ちた姿は、それすらショーのように思えた。



私が十才になる前にお母さんは亡くなったので。

約束のネックレスは、果たされなかった。


だから私は、お母さんのお父さんとの思い出の詰まったネックレスを代わりに貰うことにして。大切に保管していたのだ。


高校受験や、入学式とか卒業式。
大事なときだけ、大切に付ける、お守りとして。


「……どうしよう」


学校か。スイーツミュージアムか。部屋の中か。

昨日は大分ドジをやったが、LHRまでは付いていたのを覚えているので、その後だろう。
黒羽君に会ってから、浮かれまくっていたのでいつまで着いてあったかさえ覚えていないのだ。


いくら浮かれていたからって、これはない。

失くしたなんて、お父さんには絶対言えない。
お父さんとお母さんの大切な、思い出だもの。


──絶対、見つけ出さないと。


お父さんとお昼を食べたら、今日中に探し出す!と心に決めて。
まずはお父さんに心配かけないために、私の動揺を落ち着けよう。


蛇口を捻り、出来るだけ冷たいシャワーを体に浴びせ、頭を冷やした。









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