#96




最近、快斗君はなんだか忙しそうだ。

それがキッドさんの方でなのか、なんなのか。理由はわからないのだけれど。


それでも時間を作っては、週に2度ほど我が家にやって来てくれる。


そうして、ぎゅ、と後ろから私にしがみついてくるのだ。



「大丈夫?疲れてるのに、うちまで来て貰ってばかりで…」

「だいじょぶ。…こーしてっと、元気出るから」


俺が元気貰いたいなら来てんの。とぐりぐりと肩にふわふわの髪の毛を押し付けてくる。



──絶対。全て終わらせたら、ちゃんと言うから。



怪盗キッドの姿で、真剣な瞳で言われた言葉。

多分。
いや、きっと。

何か、を全て終わらせるために。快斗君は動いているんだろう。


何を?いつ、どんな?
一体何が快斗君の身におこっているの?
何を背負っているの?

どうして、そんな愛おしげな表情で、私を抱きしめてくるの。

まるで。
別れを惜しむみたいな、縋るような仕草で。



何かが起ころうとしているのを、漠然と感じて胸がざわめく。



それでも。


──ちいっとだけ、待っててくれる?


そんな風に、いつも強気な快斗君が、どこか蒼い瞳を揺らして私に言ったから。



「──じゃ、私も元気もらおっかなー」


後ろから回された腕にしがみついて。
首元にぐりぐりと擦り寄ってる、ふわふわの髪の毛にむかって、頭を寄せて。

そうして身を寄せ合う小鳥のように、ひっ付き合う。


不安を少しでも、和らげるように。


聞かないから。
だから。

何でもいいからそばにいて。


快斗君はここにいるのに。

なぜか湧き出るそんな気持ちを、押し隠すように。
















「そういえば。杏、連休はどうすんの?学校は何日か開講してるみたいだけど。休みでも受験生は勉強しろってか。あー本当嫌、進学コース。経営学びたいから、大学は行きたいんだけどね」


かと言って受験勉強はしたくない。そう馨ちゃんは苦々しげな顔をした。

そんな表情まで、美人は様になるんだけど。



三年になり。

結局。経営学部をめざそうと思う、と私に告げた馨ちゃんにつられる形で、私も進学コースを選んだ。

まだ、何がしたいかすら、決まってないのだけれど。

決まってないからこそ、進学コース選んどけば、幅も広がるだろうから。


項垂れる馨ちゃんに「本当、なんか焦っちゃうよねぇ」と同意を示していると。

で?と馨ちゃんが私に詰め寄ってくる。


「臨時講習受けんの?それとも、休み中クロバが付きっ切りで手取り足取り勉強教えてくれるとか?」

やだー別の勉強が捗っちゃうー。


なーんてふざける馨ちゃんは、そのまま私のお弁当の玉子焼きを掠め取って。


赤い顔でもうっ、と文句を言いいつも。そういや今度のゴールデンウィーク、快斗君と何も予定とか作ってないな、とそこで気付いた。


クリスマスや、年末や、春休み。
何かしら快斗君からいつも、誘ってくれていたから、すっかり失念していた。


受験生だし、遊んでばかりもいられないから、家でいつものように過ごすくらいで、大きな予定を決めてない。

それだけの事かもしれないけれど。



──2人で過ごす、先の予定がない。


その事実に。なぜかすうっ、と肝が冷える。



私の表情を見た馨ちゃんが、怪訝そうな顔をした。



「──どした。アンタらなんかあったの?」

「いやいやいや。何にもないよ!」


そう。
何にもないことに、気付いただけだ。

ただそれだけの事で動揺するなんて情けない。

ぶんぶんと首を振る私を訝しむように眉を寄せた馨ちゃんに、隙あり!とお弁当の唐揚げを狙いに箸を伸ばす。

まあ、悲しいことに、かるーく避けられましたけど。


「杏が私の弁当のおかず奪うなんて、100万年早いわ」


はっ、と鼻で笑う馨ちゃんに、くそう!師匠さすがです!と言いながらも一緒になって笑った。


ただ。
妙な胸騒ぎのような小さな不安が、胸に燻ったまま。







その日の夜、快斗君がうちにやって来た。

一緒にご飯を食べて、ソファを背もたれにして、並んでテレビを観て過ごしていると。
快斗君が、ふと、こちらをじっと見つめてきた。



「そういや、俺。すっかり忘れてた」

「ん?どしたの?」


忘れてたってことは、もしかして、連休のお誘いかな。

そう、はやる気持ちで続きを待っていると。
甘く溶けるような声色で、快斗君が私の耳元へと唇を寄せて。



「──な、杏。俺のお願い、聞いてくれっか?」









「──痛くない?」

「…んっ…そこ、もーちょい…」

「…ここ?」

「…っ、ん…気持ちいー」




ゴロゴロ。そんな喉を鳴らす音が聴こえてくるかのようだ。
快斗君が気持ちよさそうに私の膝元で目を細めて、頭を預けている。


そう。
私は今、膝枕をしながら、快斗君の耳掃除をしております。



…んっ。とか。なんかそういう声出すのやめてほしい。
無駄に色気が!


「杏ちゃんの太もも、やーらかくて、気持ちいー」



これよこれ。膝枕で耳掃除。男の浪漫よなー。


そんな風に、至極ご満悦そうな快斗君。




あんな、耳元で囁くようにお願いされて。
一体どんなことされちゃうのかと耳があっつくなっちゃったんだけど。

そんな破壊ボイスで言って来たのが、まさかの耳掃除。


なんなんだ。

いや、いいんだけど。
彼氏の耳掃除とか、なんかときめくからいいんだけど。



ふわふわの黒髪がもぞりと太もものあたりで動くのが、少しくすぐったい。
耳にかかる黒髪を手ですくいながら、柔らかな髪の毛を思わず撫で撫でしてしまう。私が撫でると、快斗君も気持ちよさそうに瞳を閉じた。

快斗君の髪、ふわふわで触り心地抜群なんだよなぁ。

っと。いけないいけない。
危ないので耳元にちゃんと集中しないと。



「あー…気持ちよくて寝ちゃいそ…」

「寝てもいいよ?」

「ダメ。もったいねぇ」


ちゃんと堪能しねぇと。
そんなやけに気合の入った言葉と共に、なんだか手のひらが怪しく動き出して。


膝小僧をさわさわと手のひらでくすぐる様にさわってきた。


「ちょ…快斗君っ。くすぐったいよっ。耳かきしてるから危ないってば」

「──杏の太もも、あったかー」


そうして膝から内腿に自身の手のひらを挟み込んで。

うぅ。内腿がなんかもぞもぞしちゃうんですけど。



「危ないって」

「わーったわーった。こっからは動かさねぇから」

「え!挟んだまま?」

「今俺の黄金の右手は栄養チャージ中なの」



なんだそれ。
キリッとした顔で言われたけど。
どうなのそれ。

どうにも触りかたがセクハラちっくな気がしなくもないけれど。
仕方ないので、そのまま耳かきに集中することにした。


ご満悦。とその表情が語ってるので、まあ良いんだけどさ。







柔らかな黒髪を耳元で抑えながら、耳のふちをくるくると耳かきで掻いて。

時おりくすぐったいのか、肩がぴくりと動くのが、なんだか可愛い。


こっちはおしまい、と私が告げると、えー。もうちょっと…と不満そうにしながらも、もぞりと反対側へと向き直った。


…というか。
深く考えてなかったけど。

私のお腹に快斗君の顔が向くのって、なんだか恥ずかしいな。



「…杏ちゃん、今度耳かきするとき、スカートでな。こっち向きだとこう、色々出来そう」

あ。セーラーのままでとか、良いな!
と何やらウキウキと言っている快斗君の頭をぱしりとはたいた。

ひとが耳かきしてる時に、何する気なの!もう!


「ってー。なんで!男のロマン!」

「耳の中痛い目にあっても知らないよ!」

「いやん。杏ちゃん、優しくシテ?」

「もうっ」


けたけたと笑う音が、お腹のあたりに響く。


…こうしてると、当たり前にいつも通りの快斗君で。



──いや、うん。
いつだって、快斗君とすごす日々は何も変わってないんだ。

こんな不安。私の気のせいに違いない。
うん。だから、聞いても大丈夫。いつものように、切り出せば良い。

そう、自分に言い聞かせて。口火を切った。



「そ、そういえばさ。連休中は、どーしよっか。やっぱ受験生だし、勉強もしないとだよね。
黒羽大先生の短期集中講座とか、我が家で開講しちゃう?馨ちゃんも受講したがってたよ?」


そんな私の切り出しに、ほげーっと耳を掃除されていた快斗君の身体がぴくりと動いた。

さっきまでアホみたいな事を言ってた快斗君とは違う、どこか静かな声が届く。




「──わり。ちぃっと、連休中は無理だ」

「あ、そ、そか!ご、ごめん」



どくん、と心臓が嫌な音を立てて。

妙な空気が部屋に広がる。



「…杏」



どこか張り詰めたような、快斗君の声。



「──ちぃっと、ベランダ行かねぇか?」



こくり、と頷いた。その瞬間だった。


全ての電気が消えて、辺りが真っ暗になる。


「え…」


いつのまにか、ベランダへ続く掃き出し窓が開いていて。

ふわり、とカーテンが風に揺らぐ。
揺らいだ先に、月が夜を形どっている。



その。月明かりの下に。

キッドさんが居た。