#103
さあ。
くよくよしてばかりしてちゃダメだ。
快斗くんが、何を成し遂げにいったのか。
──自分の目的の為だと、キッドさんは言ったけれど。
その言葉に甘んじて。
私はこれ以上、何も知らないままでいたら、きっと、ダメだ。
──その身体。貴女の知らない、貴女の事実を、私が知ってるとしたら。どうする?
小さな身体に見合わない、大人びた笑み。
思い浮かんだ、そのままに。
携帯から、1つのアドレスを呼び出した。
数コールもしないうちに、電話がつながって。
思わず、すぅ、っと息を吸い込んだ。
「──哀ちゃん、いま大丈夫?」
「…電話、くると思ってたわ。聞きたいことが、あるんでしょう?──うちにいらっしゃい。一人で来れる?」
「──いらっしゃい」
チャイムを押すと、すぐに扉が開いた。
優しい声色で、静かな微笑み付きで。哀ちゃんに迎え入れられて。
「ちゃんとタクシーで来た?転ばなかった?怪我してない?」
見上げてくる体は小学生そのものなのに、まるでどっちが年上なんだという、お姉さんのような心配付きで。
なんだかそれだけで、鼻がつーんとしてしまいそうになるのを、必死で堪えた。
やっぱり。
きっと、哀ちゃんは、快斗くんが何かを成し遂げにいくことを、知っていたんだ。
私を受け入れたこの表情が、それを物語ってる。
「ごめんなさいね。わざわざ来てもらって。今日は、博士も、子供達とアウトドアしに行ってるから、うちの方が静かに話せるかと思って」
「全然、むしろ突然ごめんね!というか、一緒に行かなくてよかったの?」
「良いのよ。たまには江戸川君ひとりであの子達の相手してもらうわ」
女二人で、ゆっくりしましょ?
そう、まるで旦那に子供の相手を任せたお母さんのような事を言う。
江戸川君、とは確か。
クリスマス、快斗君と仲良く喋ってた男の子だ。
あの子も、どこか大人びている雰囲気があったり、妙に子供っぽくしていたりと、不思議な子供だった。
…哀ちゃんのような、秘密があるのだろうか。
まあ、他人のことをあまり詮索する趣味はないので、深く考えないでおこう。
私自身、今はそれどころではないし。
そう脳内で結論付けていると、哀ちゃんがリビングへと進んでいっていたので、慌てて後を追った。
「コーヒー、ホットで良いかしら」
「あ、ありがとう」
キッチンからそんな声が届くとともに、コーヒーを挽くミルの音がして。
そのまま、コポリ、と心地よい音と、コーヒーのいい香りがリビングまで漂ってきた。
哀ちゃんの淹れてくれるコーヒーは、とっても美味しいんだ。
阿笠さんはいつもこれ飲んでるんだよね、羨ましい。
そんな風に鼻をひくひくとさせていると、哀ちゃんがすぐにキッチンからこちらへと戻ってきた。
──以前ここへ来た時は、コーヒーが入りきるまでは、キッチンにの方にずっと居たような気がするので。
いまの私を少しでも、1人にしたくない。
そんな、哀ちゃんの優しさなのかもしれない。
ああだめだ。
優しさに触れると、簡単に喉の奥が詰まってしまいそうだ。
ごめんね、哀ちゃん。ありがと。
そう、心の中で、感謝を込めた。
「さて。コーヒーがはいるまで、ちょっと待ってね」
「…ごめん、そういえば今日手土産もなしに来ちゃった…」
「馬鹿ね。いいのよ、そんなの」
そう、控えめだけど、優しく微笑まれる。
そこで、しばしの沈黙が訪れて。
コポコポと、コーヒーの落ちる音だけが、部屋に優しく響いていた。
勢いよく、自宅まで押しかけてしまったけれど。
…なんて切り出したらいいんだろう。
そういや前に、《私の大切な人が秘密にしておきたいなら、私はそれを聞かない》的なかっこつけたこと言ってしまったような…。
いまさら、やっぱ教えて?とか、どうなの。
「──ごめんなさいね」
そんなふうにぐだぐだひとりで悩んでいると。
哀ちゃんから、思ってもいない謝罪の一声が届く。
目を瞬かせた私に、伏せ目がちに、哀ちゃんは言葉を続けて。
長い睫毛だなぁ、なんて、場違いなことを思ってしまう。
「…以前だったら、もう少し簡単に、話が出来たと思うんだけれど。──あなた達のこと、色々と知ってしまうとね。どうやって話すべきか、って重巡してしまって」
らしくないわね。と苦笑する哀ちゃんに、ぶんぶんと大きく首を振る。
哀ちゃんに甘えずに、ちゃんと、私から聞かないといけないのに。
たとえ哀ちゃんが見た目より大人だとしても、自分のことなのに。
甘えてんじゃないぞ、バカ!
そう、自分を叱責して。
意を決して口火を切った。
「哀ちゃん…。私、ずっと、さ。秘密って、聞かない方が良いことなんだって、思ってたの。私の、この身体のことがあって。誰かに、自分の言いたくない秘密を話すことって、とても怖くて。嫌われたら、どうしようとか。思い出したくないことまで、思い出してしまったり。言葉に表すことで、有耶無耶にしたかったことが、現実味を帯びてしまうこととか、さ」
息を、すって、吐いて。言葉を続ける。
「──だから、相手が話してくれるまで、聞かないことって、たくさんあって」
「──ええ」
うだうだでぐだぐだな話をしだした私の言葉に、静かに、哀ちゃんは頷いてくれている。
「話すのもだけど。聞くのもやっぱり少し、怖いんだ。何か、知ることで。もしかしたら、私の何かが、変わってしまうんじゃないかっ、て」
そこまで言って、哀ちゃんに真っ直ぐに顔を向けた。
真っ直ぐに、哀ちゃんも私を見据えてくれている。
また、すぅ、と息を吸って、吐いて。
うん。大丈夫。
「──でも。今回のことは。私から、動かないとダメなんだって。そう、思ったの」
「そう」
静かな、綺麗な通る声。
つっけんどんにも聞こえそうだけれど、哀ちゃんのその返事は、私の話に真剣に耳を聞き入れてくれてるそれで。
その相槌に促されるように、私は軽く唾を飲み込んだ。
今まで、ずっと有耶無耶にしてきたものを、真っ直ぐに見つめるのはやっぱり少し、こわい。
そして何より。
──お父さん。
優しげな表情が曇る時は、大抵いつも、私の身体のことに関する時だ。
…私がそれを知ることで、悲しい気持ちにさせたらと思うと。
胸が詰まりそうになる。
でも。
それでも。
きゅ、っと首に付けたネックレスを握りしめる。シルバーのクローバーが、しゃらりと静かに音を立てた。
──泣いてほしくねぇ、って。
──私を、刻み込みたい。
貴方にだけ。そんな思いさせて。
わたしだけ、なにも知らずにいるなんて、やっばり嫌だ。
ぐ、と眉に力を入れて、哀ちゃんを見つめて。
そうしてやっと、本題に入った。