#21




「失礼致しますね」


なんだか物凄く座り心地の良いソファー。

そこに身体を埋まらせていた私の前に、暖かな飲み物が置かれる。
湯気が昇っているそれは、白色で。ホットミルクのようだ。

出してくれた、ばあやと呼ばれていたと思わしき人物にお礼を言うと、お婆さんは優雅な所作で部屋を出て行き。

私はすごく広い客間と思しき場所に1人になった。


出された飲み物をこくり、と一口。

「…甘い」


タイミング良く、ノックの音がして。
はい、と小さく返事を返す。


「落ち着きました?」


そのまま入ってきた彼は、柔らかな笑顔でそう言った。








学校で大泣きし始めた私を、スーツの上着を脱いで隠しながら。探偵さんは迎えに来た車に私を乗せた。

なにやら運転しているお婆さんに指示していたが、頭が痛くなるほど泣き続けていた私は、もはやゾンビみたいだったので。ほぼなにも覚えていない。


気付けば豪邸にいて、屋敷に居たこれまた品の良いお婆さんにお風呂場へと案内され。

すでにあったまっていたお風呂に浸かった後、正気に戻ったのだ。


…バスタブ、猫足だった。
ヨーロピアンなお風呂場だった。
なんだか薔薇の香りしてた。


恐る恐るお風呂を出たら、脱衣室には、なんか暖かそうなピンクのルームウェアが置いてあって。
柔らかな触感のシャツとショートパンツに、もこもこのカーディガンだった。

私の服はどこ行ったのかもわからなくて、それを着るしかない状況で。
来てみたら着心地めちゃくちゃ良かった。しかも可愛い。


そうして脱衣室を出たら、またお婆さんに案内されて。

客間と思われる部屋に入り、この高そうなソファーに座らされ。

ホットミルクを飲んで今に至る。



そして、きっとそこまでしてくれたのは。


この、目の前の探偵さんに違いなくて。


「…大変申し訳ございませんでした!!」

もう、地べたに這いつくばって土下座したいくらいだ。

すぐさま立とうとすると、「ああ、そのまま座っていて」と制される。


「良かった、落ち着いたみたいですね」


いやもう、この状況はむしろ落ち着いて居られないくらいなのですが。
安心したように笑う彼に、申し訳なさしかない。
どれだけご迷惑をお掛けしたことか…違う意味で泣きたくなってきた。


「ほんと、ごめんなさい…」

「いえいえ。構いませんよ。レディを助けるのは当たり前のことですからね。ああ。申し遅れました。僕は白馬探と申します。気軽に探とでも呼んで下さいね。レディのお名前を聞いても?」

「浅黄杏です」


白馬さんは、自己紹介をした私ににこりと笑い、少し距離を置いて隣に腰掛けた。


「杏さんですね。綺麗な名前だ。差し支えなければ、どうしてあんな格好であの場所に居たのか、伺っても?誰かに何かされたとか?」

「い、いいえ、違いまして」

この前のような誘導尋問みたいじゃなく、心配そうに尋ねられたので。私もぽつぽつとあった出来事を話すことが出来た。

まあ、自分のドジ話なんだけどね。


「そう、ですか。暗幕が。下にバケツ、と」
「以前も白馬さ──」
「探、でいいですよ?敬語も結構です。ああ、僕は敬語が普通なので、お気になさらず」
「──以前探…君に、助けて貰った時のあれも、私のドジが原因で。よくやるんだ」


キッドさんによると、私と同い年なんだろう。落ち着いた雰囲気の探君にはお世話になったこともあり、敬語で話していると、そう指摘された。
ので、名前で呼ばせてもらい、敬語もなくさせて貰った。

呼び捨ては流石にレベルが高いので、君付けだけど。



話していると、お婆さんが探君の飲み物と、ケーキを持ってきた。

「今、汚れたお召し物は勝手ながら洗濯して、乾燥機にかけております。乾くまでこちらでごゆっくり為さって下さいね」
「何から何まですいません…!この洋服も貸してくださり、ありがとうございます!探君も、本当にありがとう!」

お婆さんに深々とお礼をすると、優しく微笑まれた。

「坊っちゃまが珍しく慌てて電話してこられ、言われたとおりに用意しておくと、ずぶ濡れのお嬢さんと共に戻ってこられた時には驚きましたが。随分と顔色も良くなったようで、安心しました。気にしないで下さいね、あんな姿のお嬢さんを放っておくような坊っちゃまに育てた覚えはありませんので。当たり前のことをしたまでですよ」

我が子のことのように誇らしげに探君のことを話すお婆さんに、探君は少し恥ずかし気だった。

大きいお屋敷だし、ばあや呼びだし、多分血の繋がりがあるわけではないのだろうけど。とても素敵な関係なんだろうな、と思った。

「さ、良かったらどうぞ」

お婆さんが置いていったケーキを勧め、探君は自らのコーヒーを手に取った。

ケーキはイチゴタルトだ。美味しそう。

誘惑に負け、ありがたくフォークを刺す。
何このタルト、タルト生地半端なく美味しい。イチゴとの相性抜群じゃんか。

思わず目を見開いていると、隣からふふ、と笑い声。


「甘いものは、心を癒すでしょう?少しは、泣いていた気持ちも軽くなりました?──泣いたのは、バケツの水を被ったから、というわけではないんでしょう?」

「…好きな人に、彼女がいたっていう、まあ、良くある話なんだけど、ね」


あったかいミルクと、美味しいケーキ。

優しい瞳に、殆ど面識の無かった探君に思わず話し出してしまう。


「私、彼のことを、優しいなぁ、かっこいいなぁ、素敵だなぁとかはずっと思ってたんだけど。こんなに好きだったんだって自覚したのが、好きな人に彼女がいたのを知った瞬間でさ。今まで、このドジのせいでロクなことなかったから、多分無意識にブレーキかけてたんだろうと思うんだけど。仲良くしてるとこを直接見ちゃって。ちょうどその後に、探君に優しくされちゃったから、なんかもう、ダメだったんだ」

好きになっても、この体質じゃ。
きっといつか私に呆れるか、嫌になってしまうだろう。

そんな気持ちがあって。

好きになっちゃだめだと、どこかでストップかけてたものが。
メッキががらがらと崩れた後は、黒羽君への想いと、ダメだった事実でいっぱいいっぱいになってしまっていた。



「ごめんね、すごくびっくりしたよね」
「いえいえ。むしろあの場で立ち会えて良かったです。あんな所で貴女1人のままだったら、危険でした」
「…たしかに。さらに被害が」


ぼーっとして、さらに泣きすぎゾンビと化した私はきっと、ものすごく大怪我してたかもしれない。


「いえ、そうでなくて。ずぶ濡れ、放心状態の女性が一人でいるなんて、襲ってくれと言わんばかりですからね?」


言いながら、探君はソファーから立ち上がり。カーテンのレースを引いて、窓を覗いていた。何を見たのか、不敵に笑っている。



「あはは!足元絵の具にまみれた女を襲わないでしょー!」
「知ってます?男はね、弱ってる女性に弱いんですよ?」


こちらへと戻ってくる探君。

ぎしり、と軋むソファー。


へ。と思う前に頭上に探君がいて。



「慰めが、必要じゃないですか?」



ん?と思う前に頭の両横に探君の両手が。
ぎしり、とふかふかソファーがさらに軋んで、探君が屈んでくる。



「え、探、君?」

「──忘れさせて、あげますよ」



そんな言葉が聞こえたのは、色素の薄い髪が、触れるくらいの距離で。









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