#22


ばん!!
がつ!!



2つの音が鳴り響いたと同時に、「杏!!」という声が聞こえた。


「え、黒羽、君?」
「無事か!?…って、おい、白馬?」

血相を変えた表情で部屋に入ってきた黒羽君は、蹲っている探君と私を交互に見ていた。

「ごめん、探君、つい、条件反射で」
「…い、…え…」

蹲りながら手を挙げて、大丈夫です、と示しているみたいだけど。
全然大丈夫そうじゃない。

ほんとごめん、条件反射が…。



馨ちゃんに、「あんたは危なっかしいから、これだけは仕込んでおくわ」と、仕込まれたのが。

いわゆる、まあその、急所蹴りで。

いや、探君があんな風に近づくから。驚いて。クリーンヒットしたよね。ごめん。


「──探、君、ね」


いつもより幾分低い声が聞こえ。

こちらに近付いてくる黒羽君。
展開がよく理解できない頭で思うのは、泣き腫らしたゾンビ顔の私は見られたくない、というなけなしの乙女心で。

思わず、顔を背けた。


黒羽君の息を飲む音が聞こえ、「あーもー!!」と叫ぶ声が聞こえたので顔を向けると、ぐしゃぐしゃと頭をかきむしっていた。

過保護な黒羽君だから、心配をかけてしまったのかもしれない。

ほんとでも、なんでここに?
びしょ濡れでで大泣きしてる女がいたって、学校で噂になってた?その女が探君と一緒にいたとかさ。探君もきっと学校で目立つタイプだし。

あ、やばい、他校で噂とか。泣きたい。


もしかして、それで心配して来て、くれた?



でも。

もう、優しくなんてしないで欲しい。
これ以上、気持ちを傾けたくはない。

ああ、やだ。せっかく落ち着いてたのに、鼻がつーんとしてきた。
堪えろ私!


「──白馬、起きれるか」

「…やれやれ。貸し、1つですよ、黒羽君。──杏さん、気にしないで。僕も少し揶揄いが過ぎてましたね。ちょっと発破かけて危機感を持たせようとした出来心で、つい。…手痛いしっぺ返しを頂きましたが」

最後の苦笑は、自らの身に起こった災難を言っているのだろう。
大分回復したみたいだけど、まだちょっと辛そうだ。ほんとごめんなさい。

でも危機感って。
私だって普段からこんな弱々ではない、はずだ。

今日はもう、色々ダメだったから。



「──いいから、早くしろってっ!」
「はいはい。余裕ないなぁ。あ、杏さんの洋服が乾くのにまだ30分はかかりますからね。ここにいてもらいますが、くれぐれも変なことしないように。ここは僕の家ってことを忘れずに。では、杏さん、また後で」
「え、探、君?」


また後でって、え?


思う間に、探君は部屋を去って行った。




ぱたん、と扉が閉まる。

部屋には、黒羽君と、私だけで。

こころなしか不機嫌そうな黒羽君。
ただでさえ今、一緒に居たくないのに、二人きりとか!







気まずい雰囲気が流れる。

最初に言葉を発したのは、黒羽君だった。


「とりあえず、座ろーぜ」
「…うん」

黒羽君がどさり、とさっきまで白馬君が座っていた所に腰掛けた。
距離を置きたい私は斜め正面の所に座ろうと移動をはかる。

「──こっち。そこじゃ話出来ねぇ」

有無を言わせない態度に、大人しく隣へ座る。

少し距離をあけようとしたら、ぐい、と引っ張られた。そのまま抱きしめられて。

「ごめん、黒羽君…本当、勘弁して」

黒羽君の胸からドクドクと鼓動が聞こえる。
触れた所から伝わる温もり。急いできたのか、汗ばんでいるのがわかり。


無理だと思った。

こんな風に好きな人に抱きしめられたら諦められなくなる。
心配かけたのは申し訳ないけど、だからといってこのスキンシップは、もう私には嬉しい分、辛いだけだ。

胸を押し返そうと力を込めると、さらにきつく抱きしめられて。


「無理。お願いだから拒絶しないで。俺、今余裕ねーから、杏に拒否されたら多分ひでぇことしそう」

「な、」

「まず、聞かせて?その目が赤いのは、俺のせい?それとも、白馬?」


なんなの、と思った。
感情のリミッターが振り切れる。涙が溢れるのを止められない。


「…くろば、君だよ!お願いだから期待させないで!もう、優しくしないで…!これ以上好きになったら、諦められなくなるっ…!」


喚き、無理やり身体を引き離そうとした瞬間だった。

後頭部に手が回され、ぐ、と頭を持ち上げられ。

眼前には、黒羽君の、蒼い瞳。

その瞳が閉じられるのと、唇に生暖かい感触を感じたのは、同時だった。


「──!!」


すぐに離れていったようにも、すごく長いようにも感じた。



固まっている私の両肩に、黒羽君の手がかかる。

真剣な表情。澄んだ蒼い瞳に映った自分は、ひどく間抜けな面していた。




「好きだ」



────ばふんっ

何が起こったか理解した瞬間。
自分からそんな音が聞こえた気がした。


瞬間湯沸かし器になっているのがわかる。
え、今私、黒羽君とっ、!うわ、顔中が熱い!


「ごめん、すげー可愛いから、気持ち伝える前に手ェ出しちまって」


さらっとなんて事を言うんだこの人!


パクパクと金魚のようになっている私は、もはや声も出ない。

黒羽君は愛しげに笑いながら、「聞いてくれる?」と尋ねてきた。
こくり、と頷くと、そこでやっと肩から手を外された。

居住まいを正し、隣りに座る。


「あれだよな、杏、学園祭見に来てくれたんだろ?ほんで、俺と一緒にいた、青子っつーんだけど。そいつ見て、誤解したんだよな」


黒羽君の言葉に、今日見た風景が蘇り、またもずーんと落ち込みそうになる。

そんな私を見て、黒羽君が、手をぎゅっと握ってきた。
ちょっと勇気が出たので、ぽつりぽつりと話出す。

「──学校中の、公認カップルって、言ってた」

お揃いのコスプレ着て。
楽しそうで。仲好さそうで。

かたや私はずぶ濡れドジ女で。


そんなタイミングで、探君に会ったんだ、と。


「うん。わかった。まず1つ。青子は幼馴染。長い付き合いだし、幸せになって欲しい大事な女の子だ」

大事な女の子。その言葉に胸がずきりと傷んだ。

「聞いてくれ。でも、幼馴染以上でも以下でもねぇ。あいつがどっかの男と遊びに行こうが、それが余程碌でもない男じゃねぇ限りは、良かったな!ってなる。誰を名前で呼ぼうが、なんとも思わねぇ」

そこまで言って、黒羽君は自分の頭をくしゃりと掴んだ。


「さっきから、杏が、白馬のこと名前呼びしてんのにすげーイライラしてんの、わかる?こんなことで余裕無くしたくねぇのに」

「え、さぐ…」

ここでなんで探君が、と言おうとしたら遮られ。

「それ!マジありえねぇよ、俺のこと黒羽君なのに、なんであいつだけ!──っとまあ、だから、つまり」
「つまり」



──俺が、誰にも渡したくねぇのも、一緒にいたいのも。
全部、杏なんだよ。



そう、俯き加減で言った黒羽君の顔は、少し赤くなっていて。



喜びで胸が震えるなんてこと、あるんだ。

嬉しくて涙が出るなんて、知らなかった。



胸がいっぱいになって、しゃくりあげて言葉を返せない私を見て、黒羽君はふわりと笑って。
優しい仕草で私の目元を拭ってくれた。そのまま、私の肩に顔を埋めて。


「お願いだから、泣き顔はこれからは俺の前でだけみせて?どんだけそそられると思ってんの。もう、他のヤローになんて見せんなよ」

「〜〜っ!!!」


とんでもない殺し文句に、顔の熱で涙が蒸発した気がした。

真っ赤っかになった私の頬に、黒羽君の手が添えられる。
マジシャンの卵の、長い指の、大きな手。
見つめてくる瞳が甘すぎて、経験不足な私のキャパは遥かに超えている。


「なんでそんな可愛いの。もっかい、キスしていいか?」
「え、いや、ここ、さぐ──白馬君家だし!」

探君と言いかけて黒羽君の目が光ったので、慌てて言い直し。さっきまで忘れかけていたけど、そうだ、人の家でなんてことを。

「大丈夫大丈夫、ちゅーだけだから。舌入れていい?」
「は、え、ええ!?」


あれれ、いつのまにか座っていたはずのソファに押し倒されてるよ!?
え、なにその色気たっぷりな表情!

待って待って!心の準備が!!!




「そこまでですよ黒羽君」


いつのまにか、扉が開いていたらしい。

白馬君が戻って来ていた。呆れたようにため息を1つ。


「全く、人の家で盛んないで下さいよね。乾燥、とっくに終わりましたの?杏さん、着替えをどうぞ?案内します」

ソファに押し倒されてる所を、平然とそんな風に言われ。

あわあわとしてしまう。
黒羽君は、舌打ち1つして、何事もなかったように元の位置に戻った。


あ、危なかった…。
とんでもないところ見られるところだった。


「あ、ありがとう白馬君、いま、行きます」

起き上がりながら言った私の言葉に、白馬君は意地悪く笑いながら黒羽君を見た。


「本当、余裕ナシですね?」
「うっせーよっ」


さすが探偵、すぐに色々お見通しなんだな、と感心していると。

白馬君は私に向き直り。


──よかったですね。


そう、口元を動かして、ウインクを1つ。



私も、いっぱいの笑顔で頷いた。







この時の私は、ただ嬉しくて。



あなたの覚悟も、決意も。

どれほどの思いで、気持ちを伝えてくれたのかもさえも。



なにも、考えてなかった。










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