モノクルを付け、手袋を嵌める。ハットを正して。
空を見上げた。
この格好の時、いつもそこにある月は、今日はその身を隠している。
今日は、新月で。
とうとう、この日が来た。
ばさり、マントを翻し、俺はビルの屋上から飛び立った。
目指す先は、東都大学。
──次の新月。
その時に、東都大の僕の研究室で待ってるよ。
杏ん家で飯を食った、その日。
親父さんが職場に戻る別れ際、俺にだけ聞こえるようにそう言った。
新月までには時間もある。
殆ど情報もないまま会うよりは、と母さんに家に帰った後電話をかけた。
が、全て留守電。折り返しも無く。
あの人一体何やってんだか、と呆れるしかない。
寺井ちゃんにも親父さんについて聞いたが、聞き覚えがないとのこと。
そんな人が、パンドラの名前、そして、キッドのことまで言い当てた。
──味方と言っていたが、まだ、確証もねぇ。
杏は、どうなんだろう。
あの後、親父さんから何か、言われたりはしてないだろうか。
あの日以来。また来ても良いというお言葉に甘えて、二度ほど家に飯を食いに行った。
杏の飯は想像以上に美味かった。
美味い!と言うと嬉しそうに笑う杏。
俺の栄養を考えて、タッパに日持ちするおかずも詰めて、渡してくれる。
「いつでも来てね!1人も2人も3人も一緒だからっ!あ、いや、気が向いたらで、来れるときだけで全然いいんだけど…!」
顔を赤くして、そうやって誘ってくれる杏。
──あいつは、きっと。
俺のことも、俺の親父の事も知らねぇままだ。
それにどこか安心する自分がいて。
出来れば、そのまま、何も知らずに。
ただの、黒羽快斗と浅黄杏として。
上空から、研究室を確認する。
場所は調査済。
普段は関係者以外立ち入り禁止で。許可がないと入室することが出来ない。
見廻り時間も把握済みだ。
ぼんやりと明かりが付いている部屋の窓へと降り立つ。
カギが、開いていた。
ご丁寧にいつでもどうぞ、ってわけね。
「博士、資料、ここに置いておきますよ?」
「ああ、ありがとう──って」
親父さんが、俺を見て目を見開いた。
「怪盗、キッド…」
「今晩は。月下の奇術師を月の隠れる晩に招待するとは、中々無粋な真似をされますね、博士?」
「はは、すまないね。…てっきり、窓からくるものかも思っていたから、驚いたよ」
あそこまであからさまにどうぞ、と招待されたら、俺を見くびられているようで。
貴方の力を借りずとも、ここに侵入するくらい造作無いですよ。と事前に作って置いた偽IDカードで、変装しつつも堂々と潜入させていただいたのだ。
中に入り、博士ひとりと確認後、変装を解いて声をかけ。
驚いてもらえたようなので、なによりだ。
「成る程。流石あいつの息子。実力は折り紙付きと言うわけか」
「お褒め頂き光栄です。では、お話頂けますか?」
警備の人や、研究員。いつだれが来るかもわからないので、早く本題へと入りたい。
そんな気持ちで催促すると、博士はゆっくりと研究室のデスク横のベッドに、腰掛けた。
「今日は人払いしてあるから、余程のことがない限り誰もこないよ。調査済みだろうけど、この部屋も監視カメラも設置してないしね。だから、そう。まずは僕の昔話から、聞いてくれないかな?」
「──まぁ、いいでしょう」
なにか。
話したい何かが掴めないまま、嫌な胸騒ぎだけが残る。
頷くと、博士は薄く笑って話し始めた。
「──昔。それを持っているものは呪われる、そんな風な曰く付きの宝石があったんだ。名前は『ピンク バーヴ』…誘惑と名の付く宝石さ。ダイヤモンドの中でも希少なピンクダイヤで、カラット数は世界最大級。権力者から権力者へ。持つものが次々と破滅に追い込まれるそれ。でも不思議なことに、持ち主は皆、こぞってそれを追い求めてね…。──そんな曰く付きの宝石を、とある怪盗が盗み出した」
ゆっくりと語り始めたその話に、俺は黙って耳を傾けた。
──────
「どうだ?なんとかなりそうか?」
急かすように僕にせっつく黒羽に、僕は力なく首を左右に振った。
「──今の所は、なんとも。硬度が普通のダイヤモンドより遥かに硬い。本当にダイヤなのか?って言いたくなるよ。融解点も、まだ把握出来ない状況、しかも僕はしがない研究員で使用できる機材は限られてる。こいつを壊すのは、至難の技だね」
「そうか…参ったな」
「どこかに隠しておいたらどうだ?」
「こいつの厄介なところは、所有者を不幸に陥れるってやつでな。所有者じゃなくても、半径何メートルかはわからないが、その周辺で何かしらが起こるらしい。そんなものを保管したとして、その辺りで何か起こったら、きっと話題になる。気付かれるのも時間の問題ってやつさ」
「うーん…今のところは、特になにも起こらないけど──あ!そういや今朝三番の機械の調子が悪いって!不具合だと思ったけど、もしかして!」
「多分、そうだろう。俺も、なぜそんなことが起こるのか、いつ起こるのかは把握してないんだ。わからないからとっとと壊してしまいたいっていうのが、本当のところでな」
「ったく。黒羽が持ち込んでくるもんはいつも変なもんばっかだよな」
「悪いな。お前しか頼れる奴が居なくてね」
「とりあえず、もう少しどうにかならないか調べてみるよ。ようは、こいつの中の『パンドラ』をどうにかすれば良いんだよね」
「ああ。こんなものが、世の中に出るわけにはいかないからな」
そうして僕は、本格的にこの『ピンク バーヴ』を分析しだした。
本当に不思議な宝石だったよ。未加工品…まあ当然だよね。
当時の技術では、有効な加工方法が見つからなかったはずだから。
それなのに、どれだけ素晴らしいカット加工を施したどの宝石よりも、光り輝いていてね。
月にかざさない限り、中に宝石が入っているのは全然わからない。試しに他の様々な光線に当ててみても、その姿を現さなかった。
光の屈折点によるものだろうとは思うんだけど、その仕組みがどうなっているのか。
正直。一科学者には最高の実験材料だと思うよ。こういうものを分析、解析出来るなんて。と若い僕も馬鹿みたいに興奮したのは、否めない。
不思議な現象も、その原理がどうなっているのか、非常に興味深いものでもあった。
まあ、ただ。僕のいる研究室であまりにも多くの不具合が出てきてしまってね。
「──何か、方法は見つかったか?」
深夜。
再び研究室を訪れた黒羽に、僕はやややつれた様子で首を振った。
「壊す方法は皆目見当も付かない。マントルまで地球を掘削して、そこに放り投げるとか、宇宙船で宇宙のブラックホールに投げ入れるとか?そんな荒唐無稽な方法くらいしか、ね」
「…そうか。最近、この研究室が話題になっているのは知っているか?」
「ああ。機材が大体ダメになったからね。こいつのことは隠してこっそりやってるからこいつが原因だとはバレてないはずだけど。時間の問題かも。もうお陰でこっちはこれ以外の仕事もてんやわんやだよ」
「そうか…。いや、こちら側にまで噂になっていてな。あの宝石がここにあるという事が、わかるものにはわかるかもしれない。とにかく、こいつの在り処を隠せるような方法だけでもあるといいんだが…」
「──色々、僕なりに調べたんだけど。この宝石の中に入ってるパンドラは、なんかしら…磁力のようなものを発しているようだ。何かまではわからないのだけど、それを弱める方法が…ひとつ」
それは、あまりにも無謀過ぎる方法で。
なんの保証も、確証もない。
でも、それしか。
僕たちには、あの時、他にどうすることも出来なかったんだ。
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