#39_K

マフラーを巻いて、家から出る。
随分と寒くなった。

気付けばもう12月。


ボレー彗星の最接近まで10ヶ月を切った。
こんな風に、のんびりとしてて良いのだろうかと、時折不安になる。

今出来ることは、とにかく杏の身体の中にパンドラがあることを、あいつらに悟らせないようにする為。
キッドとして、ビックジュエルを狙い続けること。

狙いの宝石を盗み出すのは、まだ時じゃない。


わかってはいるが、焦る気持ちが出てきてしまう。


杏と一緒にいる時は、焦りも感じないでいられるんだけどな。
1人になると考えちまう。

俺はこんなに弱かったっけ。


こういう時は、杏に無性に会いたくなる。
あいつの笑顔がみたい。
抱きしめてその温もりを感じたい。


かといって、今日はキッドとして予告を出しちまったから、あいつの家に飯食いにも行けねぇし。




先日。
杏が俺の家に来た。


俺の部屋に入るなり、親父のパネルに向かってあいさつをしたのには驚いた。

…親父がいなくなって。
悲しんでる母さんを励ます為にと、俺は努めて明るく過ごしていた。

俺にいろんな事を教えてくれた親父。
俺の根底には、親父の言葉がそこかしこにあって。
親父と話がしてぇ、そんな時は、パネルに馬鹿みてぇに話しかけたりして。

馬鹿みてぇだけど、パネルにペコリと頭を下げる杏を見て、そんな俺をまるごと包んでくれた、そんな気がして。


…ちょいと男らしくはなかったけど、その背中に募ってしまった。
いつも俺が触れると慌てる杏はその時ばかりは何も言わずにされるがままだった。


なんつうか、敵わねぇわ。



なんとか気をとりなおして、イチャイチャしてやろうとその身体を後ろから抱え込みながら映画を見たときは、面白いくらい固まっていたけど。

ほんのりピンク色に染まった首筋。
柔らかな身体。
髪の毛から香る甘い匂い。

その首筋に齧りついて、廻した手で甘く柔らかな身体を暴きたい衝動を我慢するので大変だった。


貪った杏の口内は、当たり前だけどチョコの味がした。
本能のままに舌を啜り、歯列をなぞり、口内全てに俺を刻んだ。

息継ぎもせずにいっぱいいっぱいな杏に、加虐心をくすぐられたが。
これ以上やっては止まらなくなる、と後ろ髪を引かれながらも唇を離して。

ちょっと深めにキスをしただけで死にそうになっている杏だからな。
あんましがっつき過ぎて、ビビらせたくはねぇし。

唇を離した後。俺の太ももに倒れこんだまま、顔を両手で隠してた杏。
髪を撫でながらその手を外してみると、その瞳は、欲を孕んだように潤んで俺を窘めていた。


…あんな顔をされては、次俺の部屋に来たら我慢出来る自信は、実はあんまなかったりする。






教室に入り、タブレットで新聞をチェックする。
今日から開催のメソポタミア特別展が、ニュースに載っていた。

その展示品の中に、俺の狙っているビックジュエルがある。遺跡の中に埋まっていたといういわく付きのソレを、パンドラを狙っているという体裁の俺が狙わないわけにはいかねぇ。


──無駄な行為。そう、あの野郎が言った言葉を思い出し、ムカムカとタブレットの電源を切った。





──パンドラ計画。
そう名付けられた浅黄教授のプロジェクトには、思ったより沢山の協力者がいた。

あの小僧の相棒的存在の女の子。哀ちゃんもその1人だ。

まさかあんな場所で会うとは思わず驚いた。あっちもキッドがいるということに、少しばかりは驚いていたみたいだけど。


そして。

浅黄教授の助手として、紹介されたあの男。
第一印象からいけ好かなかった。


「緑水君、こちら、黒羽君ね。ピンクダイヤを盗み出す計画の、最重要人物だから。黒羽君、この人は緑水君といって、僕の助手をしてもらってるんだ。君が盗み出すピンクダイヤを使って杏の身体の中のパンドラを取り出す、その計画を立てたのは、実は彼なんだよ」

「どうも、よろしくお願いします」

ぺこりと頭を下げ、男を見た。
白馬より高い背丈、長い手足。
癖の強い髪はボサボサで、前髪は目元までかかっている。
どこか飄々とした雰囲気に、線の細い輪郭。常に笑っているようなチェシャ猫の様な大きな口が特徴的だ。

白衣姿の男は、ニヤけた顔でこちらを見下ろした。




「…へぇー。君が、杏ちゃんの?ふーん」

杏ちゃん。親しみを込めたその呼び方に少しばかりムッとする。どうやらコイツが杏を救うための大事なbrainのようなので、なんとか堪えたが。

「君、まだ怪盗続けるんだってねぇ」
「はい。あいつを、守りたいんで」

俺が盗みをやめたら、俺の親父や、多分杏の母親をも手を掛けたあの組織がどこで杏のことを嗅ぎつけるかわからない。ハイエナのようなあいつらには、俺が囮になっておかなければ。

「でもさぁ、それ、無駄な行為だよねぇ。結局今のところの計画には、君のその動きは全く関係ないわけだし?逆に、キッドやってる君の彼女ってことで、君の正体がバレでもしたら、杏ちゃんが狙われちゃうんじゃない?」

「緑水君っ!!言い過ぎ!!──僕は、正直、ありがたいと思っているよ。最近の杏の身体は、再生能力が上がってきている。ボレー彗星が近付いて来ているせいだと思う。これから先も、きっとどんどん杏の体質に変化が訪れるだろう。今まで以上に注意が必要な中、なにかの拍子に気付かれたら、大変なことになる。黒羽君はその目眩しをしてくれているのだから。…ただ、うちの娘のために、手を汚させて申し訳ない。緑水君の言う通り、計画に支障が出るわけではないから、辞めてくれたって構わないんだよ」

「もし。俺の正体が奴らにバレたら、二度と杏には近づく気はありません。今何もしねぇで突っ立ってるより、何かちょっとでもいいから、杏の為にしてぇから。俺は、怪盗は辞めねぇ」

睨むように男を見る。緑水と呼ばれている男は、意に介した様子もなく、「じゃー精々頑張って」と気の抜けたような言葉を返してくるりと踵を返した。

「ごめんね、緑水君、ちょっといじめっ子気質というか何というか…。僕もいつも振り回されてるんだけど、悪い子じゃないんだよ」

「…いえ。あいつの言うことも、もっともだと思いますから」

ただ。
飄々とした雰囲気の中。前髪の隙間から見えたあいつの俺を見る目が、どこか険を含んでいた。
わざとらしく俺の前で杏ちゃん、と呼んでみたり。

「──あいつと、杏って、仲、良いんすか?」

「仲?んー、そうだねぇ、僕の下についてもらってもう四年だからなぁ。たまにうちでご飯も食べてたしね。最近は時期も迫ってきて缶詰状態が多いから、家にはほとんど呼んでないけど。普通に仲は悪くないとは思うよ」


俺より先に、杏の家行って、飯も食ってたわけか。
俺より先に、杏の事も知っていて、しかも、パンドラ計画のbrain的存在。


チリ、とどこか焦燥心が煽られる。杏は俺のことが好きだと言ってくれている。それは見てても十分伝わってくる。

でも、こいつが本気でもし、杏を狙ってきたら?


「黒羽君、緑水君のことは気にしないで。あの子、からかうのが生き甲斐なだけだから。ちょっと頭良すぎて頭のネジおかしいだけ。いつも杏のこともセクハラまがいに可愛がってたもんだから、ちょっと寂しいんだよ」

「はあ」

浅黄教授は、あの目を見てねぇから、そんなことが言えるんじゃねぇかな。
てかセクハラってなんだよ。







「あーくそ!」

思わず叫んだ俺は、そこが教室なことを思い出した。

驚くセンセに気分が悪いんで早退しまっす。と声をかけ、教室を出た。

青子が、心配そうにこちらを見ていた。悪いが、青子のことを構える心の余裕も、今はない。









ビルの屋上。いつものように、月に、宝石をかざす。

当たり前だがそこには何も浮かんでは来ない。


もしかしたら、杏の身体に入っている宝石は、パンドラじゃなくて、偽物だったりはしないだろうかと、期待して。こうして別の宝石を盗んだ時、今も確認してしまう。

「──坊っちゃま」

待ち合わせ場所に居た寺井ちゃんが、後ろから俺を心配そうに見ていた。

寺井ちゃんには、教授と母さんに確認をとって、全部話をした。ここまで協力してくれている寺井ちゃんには、何も言わずにいるより、完全に協力者になってもらおうと思って。


「…わり、今日はちょっと調子出ねぇから、もうとっとと帰らせてもらうわ。寺井ちゃん、悪りぃけどコレ、またいつものように返してもらっといてもいいか?」
「もちろんです。…大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫。わりぃな、頼むよ」



ビルの屋上から飛び立った俺は、気付けば杏の家の方向に羽を進めていた。








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