#40

なんとなく、月夜が見たくなったのでベランダに出た。
今日がキッドさんの予告日だったからかもしれない。


もうすっかり寒くなってきたので、カーディガンを羽織り、タンブラーにホットミルクを淹れてベランダに向かう。


「うー、寒っ」


ふるりと震えながら、ベランダの柵に腕を乗せ、空を見上げた。

見上げた先には、白い鳥が月夜をバックに空を舞っていて。


ほら、やっぱり怪盗キッドには月夜が似合う。



…いやいや、じゃないぞ、私。

え、幻?思わず目を擦っていると、とん、と何かがベランダに降りた音。



「今晩は。可愛いお嬢さん。また、会いましたね?」

「──キッド、さん」


どこか苦笑しているかのような怪盗紳士。

私のこと、覚えてくれていたんだ、とミーハー心が騒いでいる。
まあ、出逢いも二度目となれば、前回みたいにギャーギャー実際に騒ぐような暴挙には出ずにすんだけど。
いや、心の中では叫んでるけどね!

「可愛らしい小鳥が空を見上げていたので。つい、私も羽根を休めにきてしまいました。少し、ご一緒しても?」

…小鳥って、私のこと?
相変わらず怪盗紳士の言葉回しはなんていうか、気障だ。

ちょっと赤くなってるだろう頬を隠すようにこくりと頷き、白い息をしているキッドさんに「ちょっと待っててくださいね」と一度リビングにもどり。
同じようにホットミルクを持って、ついでにフリースのブランケットを2つ持ってベランダに戻る。

どれだけここに滞在するかわかんないけど、なんかキッドさん寒そうだし。この前のお礼もろくにしていないし。

本当は一ファンとしては部屋に入ってゆっくりしてもらってもいいんだけど、やっぱ男の人と2人きりで自室にっていうのは、快斗君に悪い。

例え相手がミーハー万歳怪盗キッド様でも、そこら辺の節度はわきまえないとね。


「ありがとうごさいます」

受け取ってくれた。良かった。

にしても、ブランケットを身に纏い、ホットミルクを飲む白い怪盗紳士…中々お目にかかれない光景だよね。と、少しおかしくなる。

笑っていると、キッドさんがこちらを見つめていた。
モノクルの反対の瞳が、優しくこちらを見ている気がして、少しドキリとする。

もちろん、その表情は窺えないのだけど。なんか、そんな気がしたのだ。


「これらも暖かいんですけど、出来れば私の隣で可愛らしく笑っている小鳥さんに、直接暖めて貰いたいのですけどね」

「え!あ!いやあの…!」

これは、からかわれてる?

あんまりこういうの慣れてないから、素直に動揺してしまう。
私の様子など意に介さずに、キッドさんは私がもたれかかって居た柵のすぐ横に身体を預けた。


「──触れても?」


甘い声で、囁くように言われ。

一瞬で腰が砕けそうになった。恐るべき怪盗紳士の威力。
揺らいでごめん快斗君、だってファンなんだもん。

「だっ、、だめ、ですっ!」

なんとか断って、少し遠ざかる。

「──前は、抱きしめさせてくれたのに?」

首をかしげながら、一歩、こちらへと近付いてくる。

「あ、あう…あれは不可抗──」

言い切る前に、目の前が白くなる。

どうしてだろう。キッドさんなのに、快斗君に包まれているような感覚に陥る。

って、いやいやいや、落ち着けわたし。

違う違う相手はキッドさんだし、これは駄目でしょ!


一生懸命手を使って離れようとするが、逆にさらに腕に力を込められた。


「…私にこうされるのは、お嫌ですか?」

なんだか声が寂しげに聞こえた。

私みたいな一ファンの前でそんな風に言うのは卑怯だと思う。そんな声出されたら、強く言えない。

「嫌じゃ、ない、ですけど…ダメなんです」

「もっとちゃんと拒絶しないと。貴女に焦がれる馬鹿な男は、調子に乗るだけですよ?」

耳元でそんな風に諭された。
断ってるのに抱きしめられたまま窘められるって理不尽。

包み込まれるように抱きしめられているが。
暖めて、と言った通り、キッドさんの身体は大分冷たかった。まあ、この寒い中空を飛んでれば冷えるよね。

本当に寒くて暖めて欲しいだけかもしれないなぁ、と考え、どうにか離れようとしていた手の抵抗をやめた。
ちょっとでも私の体温が、彼に移って暖かくなればいいと思う。

「──そんな、されるがままな体制をとられると。自制が効かなくなりますよ」

「え?」

ぐい、と顔を持ち上げられた。
キッドさんの顔が間近に迫る。

…え、え!それはダメ!


「…快斗、君っ!!」


思わず大好きな彼の名前を呼ぶと、キッドさんの動きがぴたりと止んだ。
危なかった…。

ただ、抱き締めている腕の方は揺るがない。
どうしよう、今の行為もあいまってなんかドキドキしてしまうんだけど。

これは、暖まりたいだけ、でいいんだよね?
ほんとごめん快斗君。浮気じゃないんです。

「…杏さんは、私のしていることは、馬鹿みたいな行為だと思いますか?盗んでは元に返し、を繰り返す、ただの愉快犯だと」

いきなりの話題に、よそ事を悶々と考えていたので、少し驚いた。

…なんか、ちょっと様子がおかしいと思っていたけど。これは本格的にどうしたんだキッドさん。
この前会った時のような、正しく大胆不敵、神出鬼没な大怪盗の雰囲気から一転、少し弱っているように感じる。


なんだろう、前に快斗君が私の背中に頭を預けて来た時も感じた。同じ空気。

こんな風に弱いところを見てしまうと、放って置けなくなってしまう。
私ってダメな女なのかもしれない。
でも前も思ったけど、キッドさんはどこか、快斗君を彷彿とさせるんだもん。


そろりと、その背中に腕を回した。
ぽんぽん、とその背中を叩く。

こんな小娘にそんなことされたくないかもしれないけど、私がしたくなったので許してもらおう。

だって。こんなキッドさん、らしくない。

「私は、ただの怪盗キッドの一ファンなので。キッドさんが何の為に怪盗をしているかはわかりませんけど。それでも、こうして実際に会う貴方は、決して愉快犯には見えないです。何か、理由があって怪盗をしているのなら。それが馬鹿みたいかどうかは、自分で決めないと」

えーい。ごめん、快斗君!

ぎゅ、とその白い身体を抱き締める。



「少なくとも、神出鬼没、大胆不敵な怪盗キッドをカッコ良いと応援してしまう馬鹿なファンは1人、ここにいますから」



暫く動かず、私を抱き締めたまま黙って話を聞いていたキッドさんが、ぽすり、と私の肩辺りに頭を預けた。だんだんとキッドさんの冷えていた身体も私の熱が移ったのか、暖かくなってきている。良かった。

でも、えと。いつまでこの体制…。キッドさんの吐息が首元にかかり、擽ったいし、恥ずかしくなってきた。


「──本当、そんな事を他の男に言っちゃいけませんよ?私だけ。約束して下さい」

「えと、まあ、怪盗でファンなのは、キッドさんだけなんで…」

そしてこんな事をしようと思うのも、きっとキッドさんにしか思えないので他の の人に言う機会はまずないだろう。あ、でもルパンもちょっとファンだった…まあ、言うことでもないな、うん。


「また、ここに羽根を休めに来ても良いですか?貴女の側は、心地が良い」

…快斗君、つくづくごめん。

こくり、と頷くと、ぬるりとした感触が首筋を這った。その感触にびくり、と身体が跳ねる。
ふ、と笑うような息遣いの後、そのまま噛み付かれた。

ええ。文字通り、ガブリと。


「ひぅ…!!」


ぞくぞくとした感覚が身体を巡り、変な声を上げてしまった。
身体の拘束が解け、ひどい、と見上げると、大胆不敵な怪盗に戻ったキッドさんが笑っていた。


「…次にここに来る時まで、悪い虫が付かないように。マーキングです」


くれぐれも、悪い男に気をつけて。

そう、耳元で言い残して。




ぽん、と私の前からキッドさんは姿を消した。

残ったのは、綺麗に折りたたまれたブランケットと、タンブラー。

そして、赤い薔薇が一輪。



「悪い男って──キッドさんのことだよ、それ…」


首元を手で抑えながら、私は赤い顔で呻く。


見上げた月は、先程と変わらず、優しい光をたたえていた。








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