#41


朝起きて、首元を部屋の鏡で確認する。

昨日くっきりとあったはずの歯型が、綺麗さっぱり無くなっていた。

本当、私の身体の再生能力の高さハンパないな。こういうのも綺麗に治っちゃうんだな…。

付けられたあたりを手でなぞる。

昨日キッドさんと会ったのは夢物語だったのではないかと、何もない首筋をみて考えてしまうけれど。
ベッドのサイドテーブルに飾ってある赤い薔薇が、昨日の出来事は夢じゃないぞと教えてくれる。


首筋の歯型が無いのは、安心するはずのことなのに。

どこか残念に思ってしまう自分がいて。


本当、どうしようもない奴だ私は。



また、来ると言っていたけど、本当なのかな。

次はもう少し距離をとって話そう。
そうすれば大丈夫だ、きっと。


何が大丈夫なのか、むしろなぜ大丈夫じゃないのかは、もはや自分でもよくわかっていないけど。
とにかく自分にそう言い聞かせ、ぱちぱちと頬を叩いた。


そういえば、昨日はキッドさんで色々あったから気付かなかったけど、快斗君のいつものおやすみ電話なかったな。


今日ご飯食べに来るかどうか確認するのも込めて、おはようの電話してみようかな。
大体いつも金曜はきてるもんね。

でも朝は忙しいかな?
LINEにしておこうかなー。


そんなことをつらつらと考えつつリビングへと進むと、珍しくお父さんが起きていた。


「おはよう」
「お父さん、早いね。おはよー」
「ちょっとひと段落つけたからね。コーヒー飲むかい?」
「うん」


元々二杯分淹れておいてくれていたのだろう。
自分の分を飲みながら、お父さんは私用のマグカップを取りに行った。


カウンターテーブル脇に置かれているコーヒーメーカーから、淹れたてのコーヒーの香りが漂っている。

うちのコーヒーメーカーもミル付きだから、豆から挽いて淹れてるんだよね。
やっぱ香りが違うし。

哀ちゃんはコーヒーメーカー使わずサイフォンで自分で入れてたよな。
めちゃめちゃ美味しいコーヒーだった。本当、すごい小学生だ。

淹れ方もあるだろうけど、哀ちゃんのことだ。コーヒー豆もきっと拘っているに違いない。
今度どこの豆か聞いてみよう。
せっかくあんな可愛い子の連絡先ゲットしてるんだから、親交を深めていきたい。


戻ってきたお父さんに軽くお礼を言って、一緒にコーヒーを飲む。


「そうだ、杏、明日の夜って何か予定はあるかい?」

「ん、特にないよー」

「じゃあ、緑水君久しぶりに家に呼んでもいいかな?ひと段落したし、疲れてるから肉食わせろってうるさいから…すき焼きでもしてあげようかな、って」

「あははっ、緑水さんらしい。わかったよー、準備しとく!良いお肉買っちゃっていいの?」

「むしろ良いお肉買わないと何文句言われるかわかんないから、国産ブランド牛奮発していいよー」

「わーい!」


やっぱすき焼きだし、鹿児島黒牛かな?
うちの財務省からの許可も降りたし、金に糸目はつけずに良いの買っちゃおっと!

そんな風にウキウキと考えている私に、お父さんは言葉を続けた。

「あ、折角だし、快斗君も誘っていいよ」
「え、ほんと?」
「うん、すき焼きは人数多い方が楽しいしね──あの2人、ちょっとは交流深めとかないと、なんか険悪っぽかったし」
「へ?」
「ああいや、なんでも」

緩く首を振って、お父さんはじゃあよろしく頼んだよ、と私の肩をぽんと叩いて、リビングから出て行った。

お疲れだろうし、今からまた寝るのだろう。

よくコーヒー飲んだ後寝れるなぁ。






顔を洗い部屋に戻ると、快斗君から着信が入っていた。
ほんのちょっと前だったので、慌てて掛け直す。

数コール後に、快斗君の声が聞こえた。


『杏、はよ』

「おはよー」


うわ。なんかこれモーニングコールみたいで、なんかいい。
いつもより、寝起きなのか快斗君の声が掠れている気がして。
ドキドキしてしまう。


『わり、昨日寝ちまってたわー』
「いいよいいよー」
『…あのさ、俺。なんつうか、さ』
「うん?」

めずらしく言い淀むような喋り方に、少し不思議に思っていると。

爆弾を落とされた。



『杏のこと、すげー好きだわ』

「…!!!」



電話越しのいきなりの攻撃に携帯を落っことしそうになる。

顔が熱い、声が出ない。
え、快斗君いきなりちょっと何っ!?


『おーい、杏ちゃん、息してる?』
「…と、とまってた…」

ふはっと笑う声が電話越しから聞こえる。


『なんかそれだけすげぇ言いたくなったから電話した。じゃな、今日またそっちお邪魔するわ』


ツー ツー ツー


耳元で通話終了の音が鳴り響く。


とんだ言い逃げをされたおかげで、切られた携帯を耳元から離す事が出来ない。

もうダメだ、とベッドにダイブして、ジタバタと悶えまくった。


やばい!なにいきなりさっきの!
死んじゃう!!!

ああもう、携帯録音モードにしておけばよかった…!!



ひと通り悶えて、そろそろ動かないと遅刻しちゃうと、なんとか気を持ち直し。

起き上がったところで、サイドテーブルの赤い薔薇が目に入った。



──あんな甘い声で私に好きだと言ってくれる大切な彼氏がいるのに。
キッドさんにもドキドキしてしまった私は、最低最悪の馬鹿野郎なんじゃないのか。


浮かれていた気持ちが一気に萎れた私は、制服に着替えて、辺りの角にぶつかりながら学校へと向かった。








「馨ちゃん!!私を殴って!!」
「意味わかんないんだけど」

なんとか1限に間に合った私は、腐った性根を叩き直してもらおうと馨ちゃんに駆け寄った。

いきなりなに、といった感じの馨ちゃんは、それでも椅子から立ち上がる。
廊下出ろ、と顎で指されて、廊下へ向かった。

「とりあえず両足肩幅まで開いて脚に力入れな」
「はい!」

軽く指を振った馨ちゃんの拳が近づく。

ゴス、と物凄い衝撃が二の腕上から肩にかけて駆け巡り。
力を入れてたはずなのによろめいてお尻から倒れた。


…痛い。痛すぎる。内出血コースだコレ。
でもきっと全然まだ力入れてないんだろうな。さすが馨ちゃん。
そして何も言わずに肩パンにしといてくれるその優しさがありがたい。


「どう、気は晴れたの?」
「ん、すっきりした、ありがと」
「浮気?」
「違う!…でも、気分が確かに浮ついてた!気をつける!」
「よくわからんが、まあ、ほどほどに頑張んな」
「うす!」


「…そろそろ授業始めていいかー?お二人さん」


モリチョーごめん、授業のこと、すっかり忘れてた。

俺ん時も流行ったなぁ、肩パン…とかしみじみしているモリチョーからのお咎めはラッキーなことに無く。

馨ちゃんに迷惑かけずに済んだ。良かった。









無事授業も終わり、家に帰って夕食の準備をしていると。

ピンポンと音が鳴った。
快斗君だろう。

急いで玄関へと急ぐ。


快斗君なら良いだろう、とエントランスの暗唱番号と、うちの階に上がるエレベーターの暗唱番号はもう教えてある。

なので快斗君はいつも部屋の前まで1人で来れるのだ。


逸る気持ちでドアを開けると。

ほら、やっぱり快斗君がそこにいた。
嬉しくて笑ってしまう私に対して、快斗君はどこか仏頂面で。

「いらっしゃい!」
「杏、インターホンで確認せずにいきなりドア開けちゃ危ねぇっていつも言ってるよな?」

相変わらずの過保護だ。
どこの誰が押すかわかんねぇんだから、気をつけろっていつも言ってんのによ…と後ろでまだぐちぐち言っている。

早く会いたくてドア開けちゃうんだから仕方ないじゃないか。
話題を転換しようと今日の献立を伝えた。

「今日は豆腐ステーキのきのこソースと、小松菜たっぷり麻婆豆腐と、なんちゃって唐揚げだよ!」

明日がすき焼きなので、今日は節約豆腐スペシャルにしてしまった。
あ、そういえばすき焼きのことまだ快斗君に言ってなかった!これではただ節約料理を彼氏に食べさせるなんとも可哀想なことに!

「ごめん!豆腐ばっかりなのは、明日すき焼きにしようってなったからなの!でね、明日、もし良かったら快斗君もこれたらいいなぁって。国産和牛のすき焼きの予定だよ!」
「まじ?すき焼き食いてぇし、来てもいい?」
「もちろん!だからごめん、今日は豆腐スペシャルに…」
「いや、豆腐でここまで色々作れんのがすげぇなって感心してっから。これも豆腐なんだろ?うまそー」

キッチンに着き、冷凍豆腐のなんちゃって唐揚げをつまみ食いする快斗君。

おお、肉っぽい!と喜んでいるので、ほっとする。


「待っててね。あと味噌汁だけ作ったらご飯にしよう」

これまた節約兼ねて、もやしとワカメとお揚げの味噌汁の予定です。
出汁はもうとっていたので、すぐ出来るだろう。

手を洗ってカウンターキッチンへと進む快斗君は「腹減ったー」と呟いている。
すっかり我が家にも慣れて、勝手知ったる顔でリモコンを弄っていた。

「あ、あとね、ごめん明日のすき焼きなんだけど、お父さんの助手さんも来るけど、気にしないでね!変な人だけど、悪い人じゃないから!」

がたり、とリモコンを落とす音がした。


「…へ?」

「あ、ごめん、知らない人と一緒じゃ嫌かな!?」

「ああ、いや、それは大丈夫。助手…」

──あいつかよ…。



快斗くんがそんな言葉と共にうな垂れていたとは、キッチンに立つ私はさっぱり気付いていなかった。








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