#44_K

真っ赤な顔で、潤んだような瞳でこちらを見上げてくる杏の唇を誘われるままに貪って。

時折漏れる感じているような声に、身体は嫌が応にも煽られた。


可愛い。やばい。たまんね…え?



ぐわんぐわんとめぐる脳みそ。胃のむかつき。口に残る酒くささ。






「き、もち、わりぃ…」

そこで、目が覚めた。



口に残る酒が気持ち悪い。
やり過ぎた。
日本酒とワインはちゃんぽんしちゃいけねぇ。


てか、ここ、どこだ。

軽く頭をふると、それだけでズンズンと響くように痛い。大分やられてんな…。込み上げてくるような吐き気を抑えつつ、周りに視線をやると、隣で可愛らしく寝ている杏の姿があった。

俺が起き上がって寒かったのか、眉を寄せて俺の足に擦り寄ってくる。


──ちょ、まって。たんま、朝の生理現象が…!
あ、くそ、動くと気持ち悪ぃ…なに、この天国と地獄!?


込み上げてくる気持ち悪さのおかげで俺の息子は落ち着きを取り戻したが、可愛らしく横で眠っている愛しい彼女に何もちょっかいもかけれないこの体調は本気で恨めしい。

一瞬状況把握に時間がかかったが、うん、思い出した。


酔った勢いのまま嫉妬をぶつけて。
ほんで可愛いこといってくるもんだからそのまま襲っちまおうとして、寝落ちして、今に至るわけだ。

…うわー。酒、控えよ。


隣で寝てるっちゅーことは。
まあ、多分、怒っては、ない、よな?

さらり、とその髪を首元から払うと、白い首筋が見える。
そこには、傷1つない首筋があった。

「ま、わかっちゃいたけどな」

俺のものだと、そんな独占欲丸出しの行為の爪痕は、綺麗に消えてなくなっていて。
こいつの身体を蝕むパンドラの存在を、嫌が応にも突きつけられる。

──ぜってぇ、守ってみせる。

何度目かわからないその誓いを、その首元に込めて。





つう、とその首筋をなぞると、ぴくり、と体が動いた。


いやいやと言うように身をよじる杏は、それでも落ち着くと俺の脚にまた擦り寄ってくる。

何この子。可愛すぎて辛い。

こんだけ可愛いと色々イタズラしたくなるんだけど、二日酔いの身体は重く。


あー、くそっ。せっかくのチャンスが…。



そんなふうに悶々としながら杏の寝顔を眺めていると、ぴくり、と瞼が震えた。


ゆっくりと開かれたその瞳が、俺を捉えた瞬間ほにゃりと微笑んだ。


──!!可愛すぎか!



寝起きの笑みにノックアウトされていると、目を何度か瞬かせた杏ががばりと起き上がった。

「わ!快斗君!起きてた!!ごめ、勝手に横入って寝てた!」

あわあわと起き出す杏は朝から元気で。

「いや、もともと杏のベッドだし、寝落ちした俺のがひでえし、横で寝てくれるのは嬉しいからいーんだけど。…わりぃ、もーちょいボリューム落として…」
「…二日酔い?」
「すません…」

ジト目の杏も可愛いけど、ほんと、すいません。

もー、と言わんばかりの顔の杏が、ベッドから立ち上がり。
どこいくんだ?と目で訴えると、「水分補給した方がいいでしょ?OS2とってくる」とのこと。

俺の彼女は二日酔いでも優しい。


リビングの方から「おとうさーん!!おきてーー!!ここ、片付けしてよねーー!!」という叫び声が聞こえてくる。

多分でかい声なのはわざとだろう。呻く親父さんの姿が想像つく。
ご愁傷様です。

ん、そういや緑っ君はどうしたんだろう。



戻ってきた杏はOS2のボトルを俺に手渡すと、「お父さん、楽しみにしてた日本酒全部飲みきったことにショック受けてた。自業自得だよね」とケタケタ笑っていた。
やっぱ、一人シラフで過ごした恨みは自分の父親に向かっているらしい。
俺に酒勧めたのも親父さんだしな。重ね重ねご愁傷様です。

多分、あの飲みの誘いは俺と緑っ君の仲を取り持つためなものだろうとは、今なら検討はつくけどな。

我が身可愛いのでフォローは致しません。


礼を言って、OS2を飲む。
普段ちょっとしょっぱいだけで、クソまずいと思っていたこの経口補水液が、生命の水のように感じる…。
ああ、身体に染み渡る…。

気持ち回復した俺は、ベッドからは未だ立てないが、なんとか脚だけ床につけ、ベッドに腰掛ける体勢へと居住まいを正した。

「そいや、緑ッ君は?どっかで寝てんの?」
「昨日のうちに帰ったよー。あの人酔っ払いはするけど、お酒アホみたいに強いから。いつもお父さん潰しては普通に帰ってる」
「まじか。あいつすげえ飲んでたのに。くっそ負けた気分っ」


完全なる愉快犯な雰囲気を醸し出す緑ッ君は、話し出すと、思ったより良いやつだった。


杏の事を可愛がってはいるようだが、実際杏の事をどう思ってんのかまでは良く分からなかった。

ただ、2人の間にそういう空気は、最初のチョコの礼の所以外特になく。
ちょいちょいセクハラ気味なのは気にならなくもないが。

んでまあ、チョコも俺の勘違いだったことだし。

多分、最初に感じたような、嫌な予感は気のせいだったんじゃねぇかと思いなおしていた。

つーか、ちょっとしたことで敵意剥き出しにしちまうとは、俺も大概嫉妬深ぇよな…。



俺が座り込んでるベッドの端に立っている杏を、ちょいちょいと手で招く。
首を傾げつつも、すぐにこちらへと寄って来た杏に、隣に座るようにぽんぽんと手で指し示すと、すとん、と隣に座った。こちらを見つめる瞳は、呆れを含みつつも若干心配そうで。

OS2で若干復活した身体で、首筋へと指を這わせた。

くすぐったそうに身を捩らせる杏は、なかなかに敏感さんだ。

うんうん。とても宜しい。


「昨日、ごめんな?」
「ううん、いいよいいよ。全ての元凶はうちの父だし」
「にしても、綺麗なもんだよなぁ、首。跡、全く残んねぇのな。まあ、ちいと残念だけど」

まあちょっとじゃなく大分残念だけど。軽い気持ちでそう言うと、杏の顔が真っ青になっていた。


え、どした。


「…どした?」
「──変、だよね?ごめん」





──やっちまった。



こちらはとっくに全て知ってて、思わずそんな風に言っちまったけど。


そうだ。

『黒羽快斗』が、杏の体質を知ってるわけじゃねぇ。


この表情。
こいつは、俺には隠したかったのかも知れねぇ。

思い出すのは、杏の学校に潜入した時にちょっと聞いたあの噂。いつも元気でにこにこしてっから忘れちまってたが、こいつはああいった悪意を浴びたりしているわけで。

人とは違う身体を、特に俺には。知られたくねぇと思ってもおかしくはない。

俺がこうして、杏に何も知らせず、ただの黒羽快斗として側に居たいと思ってるのと同じように。



俯く杏の手の上に、自分の手をゆっくりと重ねて。

その手は、ひどく冷たくなっていた。



…最低だな、俺。




「ごめん。俺、親父さんから杏の体質について少し聞いてた。でも、そんなん、特に変なことじゃねえし、気にもならねぇよ。でもだから、深く考えずにひでぇこと言っちまってごめん」

上手に伝えることが出来なくてもどかしい。
パンドラのこと。俺のこと。

言うべきかなのか、その、正解もわからなくて、結局言えないまま。


案の定、杏は微妙な表情を隠すように笑っている。

違くて。そういうことが言いたいんじゃなくて。



「──俺きっと、杏が実はかぐや姫みてぇに、月に住まうお姫様だったとしても。人魚姫みてぇに、実は海に住まうお姫様だとしても。俺の側にいてくれれば、杏がどんなであっても、それでいいんだけど」


たとえ、お前が永遠の時を生きなければならなくなっても、側にいたい。
それが、杏を苦しめることになっても。

決して言えない自分勝手な考えは、心に秘めて。



少し気障っぽくなってしまった言葉に「なにそれ、すごい気障!」と、今度こそ杏はいつものように笑った。

「ごめん。快斗君に、嫌われたくなくて。言わなきゃなぁとは思ってたんだけど、言えなくて。ドジしても、すぐ治っちゃうから、快斗君もそんなに過保護しなくていんだよ?すごく嬉しいんだけど、ね」


いつも笑ってるから。わかってたつもりで、わかってなかった。


普通じゃないと、異常だと、そう言われる事の恐怖。

人とは違う体質。

こいつはきっと、沢山傷付いている。


それでも、そんなこと何とでもないというように、いつも笑って過ごしてるってことに。


多分、それは、最初は親父さんの為に。今はきっと、俺とか、友達の為にも。



堪らなくなって、杏の身体を引き寄せた。その小さな身体を、ぎゅっと抱きしめる。


「覚えといて。俺にとってのお姫様は、杏しかいねぇし、俺はお前にとって、姫を助ける王子様でありたいってこと」


こつん、とおでこをくっ付ける。


俺がどんなにお前を好きか、ちゃんとわかって。

少し赤くなった頬に、ほっと胸を撫で下ろす。



「快斗君、どしたの?今日本当に気障!まだ酔ってる?」



照れてるのをごまかすように、そうやって笑う君。



その笑顔を守る為なら、なんだって出来る気がした。








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