#53




「はい。今日はこれで最後。お疲れ様ー」


緑水さんの声に、CTスキャンを終えた私は「終わったー」と安堵の声をあげた。パキパキとなりそうな身体をぐぐっと伸ばしながら起き上がる。

2ヶ月に1度の身体検査。年明け早々これを行うのはまあ、中々疲れるもので。


「今日はこの検査で終わりだけど、どうする?博士のとこ寄ってく?」
「なんかお父さん忙しそうだよね。年末もこっち篭りきりだったし」
「そうだねぇ。2人で研究室で悲しく年を越したのは、切ない思い出だよねぇ…」

何が悲しくておっさんとごん兵衛で年越し蕎麦を…と項垂れ始めた緑水さんに、なんかごめんと心の中で謝って。そこで思い出したようにぺこりと頭をさげた。


「言い忘れてた。緑水さん、明けましておめでとうございます」
「ああ。新年始めてだっけ。おめでとー。今年も宜しく」
「宜しくお願いします。どうかお父さん見捨てないでね?」
「あの人人使い荒いからねぇ」
「ほんとすいません」


そこまで言って、ニィと笑って緑水さんは屈みながら私の耳元に口を寄せる。

「で、黒っちとはどうなの?童貞捨てさせてあげた?」
「──セクハラ!」

もう!と緑水さんを押しのけて、赤くなっているだろう頬をパタパタと仰いだ。







クリスマスデートの後。

年末にうちに遊びに来た快斗君と、一緒に初詣に行った。
寒いね。と笑いあいながら、手を繋いで近所の神社でお参りをして。


快斗君とずっと一緒にいられますよーに。
なんて浮かれたお願いごとを神様にしながら、ちらりと横目で隣をみると。

意外にも快斗君が真剣にお参りしていることに驚いた。

私が見ていることに気づくと、その瞳を和らげて。頭にぽすん、と手が置かれた。

「来年も、一緒に年越ししよーな」
「…うんっ」

そうして一緒に居たいと思ってくれていることだけで、凄く嬉しい。


とまあ、そんないい雰囲気で年明けを迎えたにも関わらず。
その時も特になにもなく。



…お父さん居なかったのに。
…一緒に年越ししたのに。
お酒を飲んだ日のように、部屋のベッドで押し倒されて…!とかなったようにはならなかった。

むしろその日はキスすらしてない。
ど健全だ。ど健全。

なんなんだ。
本当なんなんだ快斗君。そんなにロマンチックに決めたいのか。




そんなことを思っていたら。
最近の快斗君はどこかおかしくて。

まず、異様な程私の家に入り浸るようになった。
ほぼ毎日ご飯一緒に食べている。

いや、嬉しいからいいんだけど。


ただ。やたらとスキンシップが多い。
気付くとぎゅってよくされてる。まったりする時は大抵快斗君のお膝元というバカップルぶりだ。

いや、いいんだ。それもいいんだ嬉しいから。


ただ、そんなに触れ合ってるというのに。
私の家だからかなのか、キスとか、そういうのは全くなくて。


キスして欲しいってわけじゃないけど。いや、して欲しいけど…っ。


ふと目が合うと、その吸い込まれそうな蒼い瞳が、どこかを映しているような、何かを決めているような。
なんだかわからないけど、普段のおちゃらけた快斗君じゃないみたいで。


それがなんだか、よく分からない不安にかられる。


こんなに近くにいるのに。手を伸ばせば触れられる距離にいるのに。


なんで不安になるんだろう。
なんで、遠くに感じてしまうんだろう。




体を重ねたからって、不安が消えるわけではないと頭ではわかってはいるけど。

でも、好きな人と繋がれば、少しは安心する気がする。

重いかな、こんな考え。

しかも処女が。痴女か!




そんな私の最近の日々を思い出し、それが顔に出ていたのだろう。緑水さんがあらーというような表情を浮かべた。


「黒っち、童貞拗らせてるねぇ…。──色々考えちゃったのか」
「?」
「うん。よし。お兄さんが良いこと教えてあげよう。杏ちゃん今日これからどっか行くの?」
「あ、うん。ちょっと米花町まで」


今日は哀ちゃんとお買い物に行くのだ。

コーヒーどこの買ってるの?という話から、一緒に行く?となったわけで。
楽しみだ。
一緒にお茶も誘っちゃおう。


そんな風にウキウキしていると、緑水さんが白衣を脱ぎ出した。

ん?


「じゃ、送ってったげる」
「え、緑水さん仕事は?」
「いーのいーの。今博士ここに居ないしねぇ」


さ、行こうか。とずるずると引き摺られる様に、私たちは東都大を後にした。


お父さんの叫び声が聞こえる気がする…。








緑水さんの車は、黒のH社のコンパクトカーだ。
小回り利いて走りやすいのが一番。とは緑水さん。

何気にハイブリッドなので、乗り心地も良かったりする。


車内に乗り込むと、ほんのりとタバコの匂いがした。


「あれ。緑水さんタバコ吸うっけ?」
「たまにねぇ。なきゃダメって訳じゃないよ。なんか考え事するときとかねぇ。あと、口寂しいとき?」
「へー」
「いや、そこは、じゃあ私がその口、寂しくないようにしてあげる!って言うところでしょー」
「はいはい。緑水さんにはあの甘ったるい飴で十分でしょ」
「あれは脳みそ疲れた時用ー。口寂しい時は女子高生のキスがほしー」
「はいはい」

そんなあほな話をしながらも、車は順調に進んでいる。
横目でチラリとみた緑水さんは、いつもの通り、飄々としていた。

運転中でも前髪で目元隠れてるけど、ちゃんと見えてんのかな?

そんな失礼な事を考えながら、車に乗り込む前に奢ってもらった缶ジュースでコクリと喉を潤した。
緑水さんって何かにつけてセクハラまがいだよね、とつくづく思う。慣れて麻痺してきてるけど。

そんな中、緑水さんが急に話題を切り替えた。


「杏ちゃんはさ、ヤローが女の子をセックス誘うのに、どんだけ勇気いるか知ってる?」

「ぶっ…!ごほごほ!げほっ!」


急になに言い出すんだこの人!驚いて飲んでたジュースが変な器官に入ったじゃないか!

むせる私に大丈夫ー?とゆるく尋ねながらも、緑水さんは言葉を続けた。

「余裕を装っててもね、心ん中はバクバクもんよ?特に童貞なんてねぇ」

これは。もしかして快斗君のことを言っているの?
真意がわからなくて、続きを黙って待つ。


「まあそんなわけで。頑張って練りに練ったシチュを失敗した哀れなチェリーボーイは、中々もう自分からは前に進めないんだよ」


え。そうなの?そういうもんなの?

私の表情を見てもいないのに、「そういうもんだねぇ」と緑水さんは同調する。


「まあ、だからね。お兄さんが思うに」

「うん」

「先に進むには、杏ちゃんの頑張りが必要になるわけ」


え。わたし?


「…え、何したら」


そこで、信号が赤になり、ゆっくりと車が一時停止する。緑水さんがこちらをむいて。ゆっくりと耳元で囁いた。






「私の○○○に快斗君の○○○○○を突っ込んで。って語尾にハートでも付けて言えば、イッパツだよ」



ばっしーん!


車内に響く破裂音。グーじゃないだけありがたいと思ってくれたらいい。
車動いてなくて良かった。

この人最近、本当時と場所わきまえないよな!

私の精神衛生上伏せておいたけど、そのまんま言ってるからね!


私、純粋な女子高生!



青になり、車が再び動き出す。
緑水さんの頬は少し赤くなっていた。

セクハラ料だ、セクハラ料。


「痛いねぇ」
「自業自得!」


全く。人が真面目に聞いたっていうのに!

私がぷりぷりしていると、緑水さんはにぃ、といつもの大きな口を釣り上げて。


「まあ、それは冗談にしてもねぇ。いや、多分それ言ったら黒っちすっごく興奮すると思うけど。…まぁーとにかく、杏ちゃんから、次は動いてあげてよ」



──あの子多分、うだうだ考えちゃって動けないんだろうからねぇ。



最後の呟きは、だからどう動けばいいんだと助手席で頭を抱えていた私には、もちろん届かずに。







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