#61_K
「では。お約束通り、『龍の灯火』頂戴致します」
変装を解き、キッドの姿になった俺は手にした獲物を片手に不敵に微笑んで。
「ま、まてっ!!」
そう叫ぶおっさんは、先ほどまでの自信満々の顔から一転して、蒼白な顔をしていた。
待てと言われて待つ怪盗がいるかっての。
煙幕を投げ、喧騒の中を脱出して。
母さんの昔の怪盗稼業の後始末をちょいちょい頼まれてる俺は、今日も今日とて、キッドに扮して無事依頼を終わらせた。
本当、千影さんは人使いが荒い。
キッドなんてしないで、普通の高校生として過ごして欲しいの。的な事を言ったかと思えば「よろしくね、月下の奇術師さん」なーんて手のひら返してお願いしてくる。
調子いいったらねぇよ。
まさか遠路はるばる長野まで来て、宝探しする羽目になるとはな。
隠し場所が見つかるわけねぇと高を括っていたおっさんの顔はまあ、見ものだったけど。
さーて。あとはこいつを元の持ち主のとこに返してやんねぇとな。と、獲物に傷が付かないように保管して。
にしても長野なめてた。
雪ねぇし、色々準備の荷物もあるしで、大丈夫だろと軽い気持ちでバイクでここまで来たけど。
凍え死ぬ。高速とか本気で寒さで死ぬかと思った。防寒ばっちししてきたけど、そんなレベルじゃねぇ。
今日はどっかの温泉泊まってあったまろう。ほんで明日お日様が登ってる時に帰ろう。温泉代は依頼料として母さんにたかろう。そうしよう。
そんな風に温泉へと思いを巡らせながら、バイクの中に隠して置いた携帯をチェックしようと電源をつけると、不在着信が。
着信先をみると、哀ちゃんと、浅黄教授で。
2人が同時に電話してくるなんて。
どくり、となんだか妙に嫌な予感がした。
どくどくと音を立てる心臓の音を自覚しながら、浅黄教授へと折り返しをかける。
暫くのコールの後、留守電に切り変わる音声案内が聞こえイライラと着信を切り。
何故か上手く動かない手を叱責しながら哀ちゃんへと電話を掛け直して。
数コール後に、電話がつながった。
『──黒羽君?』
その声がいつも以上に大人びた、落ち着いた声色な事が。
俺の嫌な予感を倍増させた。
「──哀ちゃん…杏になにか、あった…?」
そんなわけないじゃない、そんな言葉を頼むからかけて欲しくて。
尋ねた声が掠れたような声しか出なかった。
俺のその言葉に、小さく溜息を吐いた哀ちゃんは言葉を続けた。
『…今どこ?』
「──長野」
『…そう。いい?落ち着いて聞いて。杏さんが、腹部を刺されたわ』
目の前が真っ暗になった。
哀ちゃんの言っている言葉が上手く飲み込めない。
ふくぶ。
さされた。
頭が理解しようとしてくれない。
「…っは。え?」
『こっちは未だばたばたとしてるから。詳しい説明は出来ないけど。馨さんの知り合いの男に、馨さんを庇って刺されたの。…重体だけど、命に別状はないわ。皮肉にも、彼女の体質のおかげでね。普通だったら、危ないところだったと思うわ』
まあその体質のおかげで麻酔が効きにくくて大変だったから、手術も色々大変だったんだけど。麻酔量のキツさに杏さんも吐き戻しがあったりね。
おかげで意識はまだ戻らないけれど、なんとか無事手術は終えたから。
いい?だから落ち着ついて。もう暗くなっているし、そちらで休んで明日こっちに来た方がいいわ。
どちらにしろ、意識が戻って安定するまでは家族以外面会謝絶だから。
つらつらと説明された言葉が俺の耳を上滑りする。
気付いたら携帯を切って、バイクに跨っていた。
「──杏」
この時。どうやって東京まで戻ったか、あんまり覚えていない。
──快斗君っ。
ただ。
笑って俺によびかける杏の顔が、ずっと頭に浮かんでいた。
一度も休まずにバイクを走らせて。それでも付属病院の前に着いた時には夜の10時を回っていた。
当たり前だが、表の入り口は閉まっている。
まあ開いていても家族以外面会謝絶だから会えないんだが。
殆ど上滑りしてた哀ちゃんとの会話を無駄に記憶力が良い頭で脳内再生して、部屋番号を思い出す。
そうしてすぐさま、グライダーで飛び立てそうなビルを目指した。
誰も居ないことを確認し、杏が居ると聞いていた病室窓を開ける。
暖かな空気を感じた。寒いだろうと静かに、手早く窓を閉めて。
ベッドに横たわっている杏に、ゆっくりと近づいた。
顔色が悪い。
固定された手と、点滴が痛々しい。
繋がっているコードから計測されている脈数の機械音が動いていることはわかっていたが。
ゆっくりと、その頬に触れる。
キッドの姿でビルから飛んできたので、手袋越しだったのだけど。
──あったかい。
「──杏」
──生きてる。
「──杏」
どうしようもないくらい、手が震えた。
この目で杏を確認して、その温もりを感じて。
泣きたくなった。
生きてる。
──ここに、いる。
全身の力が抜けて、ベッド際にずるずると崩れ落ちてしまった。
地べたに座り込みながらも、ぎゅ、と杏の手のひらを包む。
俺より幾分小さな手のひら。
華奢な身体。
馬鹿野郎、何やったんだからわかんねぇけど、俺の居ねぇところで無茶しやがって。
目が覚めたら絶対叱ってやる。
どのくらいそうしていたかわからない。
がらり、と扉が開く音がした。
「──。快斗、君」
のろりと顔をあげると、憔悴した顔の浅黄教授がそこにいた。
「…そんな格好で──窓から?」
「…すいません」
「…いや、いいよ。気持ちはわかる」
長野にいるって聞いていたけど。無茶するね。寒かったろう、顔色が悪い。
そう苦笑して、浅黄教授は言葉を続けた。
「皮肉なもんだよね。杏の身体を蝕むパンドラに助けられる形になってしまったよ。まあ、哀君の的確な処置があったおかげでもあるけれど。あそこに哀君が居たのが不幸中の幸いだった。杏の身体は特殊だからね。普通に手術するわけにもいかないから、そのまま哀君は一時的に志保君の身体に戻って、術中も緑水君と一緒に陣頭指揮をとってくれて。…情けないことに、僕は動揺しすぎててんで役に立たなくてね」
自嘲気味にそう言いながら、杏を見つめている。
色々大変だったことは、なんとなく哀ちゃんの電話で感じていたが。
やはり、あの声色は哀ちゃんが元の姿に戻っていたからなんだな。
今度、お礼言わねぇと。
浅黄教授の言葉に、危険な状態であったことが容易に想像出来て、ゾッとした。
「いつ、意識は戻るんですか」
「麻痺させる、というのがどうやら細胞組織の再生力が強いとうまくいかないみたいで。麻酔量が多くなってしまったから──あの量は普通なら意識レベルが戻るか微妙なラインなんだけれど…僕達の杏の身体に対する現在の再生レベルの計算が正しければ、明日明後日には、きっと」
どれほどの麻酔を投与して手術を行ったんだろう。普通の人なら昏睡状態に陥るほどなんて。
本当に目覚めるのかと思わず問い質したくなったが、そうでもしないと手術が進まなかっただろうことは、俺にだってわかる。
辛そうな表情を見せる浅黄教授に、そんな風に当たる事は出来ない。
「──まだ暫く、ここにいてもいっすか」
浅黄教授は俺の言葉にゆっくりと目を伏せて、何も言わずに部屋から出て行ってくれた。
寝ている杏の顔色は、未だ青い。
規則的にたてている寝息に、じっと耳を澄ます。
「──杏」
手触りの良い前髪に手を伸ばし、その髪を梳かすように頭を撫でる。
普段だったら照れたように笑う顔がそこにあって。
なあ。
早く、目を覚まして。
俺に笑いかけて。
なあ。
お願いだから。