#63





自分の身体の再生能力の速さは、自覚していたけど。

まさかここまでとは思わなかった。


目が覚めてから3日。

気付けばもうすっかり痛みもなくなり、傷も閉じていて。
ちなみに2日目にはもう抜糸も済ませていた。
普通だったら傷口から細菌が入ったりするものなんだけど、私の身体は特にそういうこともなく。


…そういえば、私、風邪とかもひいたことないな。


そんなこんなで、なんと明日には退院できるそうで。
普通だったら1ヶ月近く入院が必要らしいのだけど。


自分で言うのもなんだけど。化け物並だな、本当。


まあ、早く治るに越したことはないか。
皆に心配かけたし、早く治った方が安心するよね。



にしても。
刺されて、入院して。色々な事がここ数日で目まぐるしく起こったなぁと、しみじみと思考にふける。


馨ちゃんが看護師さんに拉致られるように連行された後。

一通りの流れにぽかんとしていた私と目が合った哀ちゃんに、志保さんと同じような笑顔でにっこりと微笑まれた。


その微笑みに、もはやそういうことなんだと、確信するしかなくて。


嘘みたいだけど。

あの女性はやっぱり、哀ちゃんなんだろう。



なんで子供の姿?とか思わなくもないけど。
私が立ち入れる理由でないものを、無理やり聞くことは出来ない。


まあ、あれだけ大人びた女の子がただの小学生だっていうほうが、驚きだよね、と思わず納得してしまった。







そして。
私を刺して、馨ちゃんの足に傷をつけた犯人は、殺人未遂で起訴されているらしい。
顔を見たことはなかったので確信してはなかったけど、犯人はやはりあのストーカーもどきの元彼のようで。

確実に殺すために、改造したBB弾で馨ちゃんの足を負傷させて包丁で刺しにきたくせに、当初殺す気はなかったなどほざいていたらしい。
その翌日には何が起こったのか、蒼白になり、殺すつもりでやった。と態度を変えたとか。
ストーカーをしていたことも全て認め、なにやらずっと何かに怯えている様子だということ。


私が寝ている間に私以外の証言が集まっていること、重症だということもあるのか、私自身はなぜか警察からの調べはほとんどなかった。


刑期が開けて、また馨ちゃんを狙いに来たらどうしようかと心配する私に、横にいた快斗君は「まあ、もうそんな気おきねぇだろうから安心しろ」って、さらりと伝えながら。

するするとりんごの皮を剥きながらなんでもない事のようにそう告げた快斗君は、はい。とウサギのリンゴを私の口元へ持ってきて。


「美味い?」

「美味しい、です」


しゃりしゃりと咀嚼する私に、満足げに笑った。


…えーと。快斗君がなんかしたわけでは、ない、よね?




そんな快斗君はというと、あの後も張り付くようにここに居座らんばかりの勢いだった。
快斗君も学校もあるのでそれはいくらなんでも、と渋る快斗君になんとか丁重にお断りして。

それでも学校が終わり次第、飛んでくるような勢いで、部屋に入ってきては、面会時間が終わるまで殆どここにいてくれているんだけど。

そこまでしなくていいよ?って言っても「嫌だ」と頑なに返事を返されて。

ウサギのリンゴの様に、何かと世話をやいてくれている。


すごーく嬉しいんだけど。

…重荷になってないか不安になる。



多分、あの時。
もう二度とすんな、と言われた時に。


わかった。もうしない。


と、そう応えてあげれたら良かったんだ。

そしたら、ここまで快斗君も私に張り付かんばかりの勢いにはならなかったんじゃないかな。

過保護な快斗君は、多分。

私が目を離すと何をしでかすかわからない、くらい思ってる。



快斗君がたまたま長野にいるときにこんなことになったのも、彼が今私にべったりな理由なんだろう。



どうしたら、安心してもらえるのかな。



…あれ。
なんかこれ、この前までまったく反対のこと思ってたような。




そんなことを一人で考えていると、コンコン、と扉を叩く音が聞こえた。


「杏ちゃん、ご飯持ってきたよー」

「ありがとうございます」

立ち上がろうとすると、トレイを持ってない方の手で制される。

「いくら傷口塞がってるっていっても、まだ3日だからねぇ。入院中は大人しくベッドに居なさいな」

そうしてトレイをベッドのテーブルに置き、自らはサイドに置いてある椅子に腰かけた。


「ごめんね、緑水さんも忙しいのに」

「だいじょーぶだいじょーぶ。おっさんと研究室に篭ってるより余程有意義な時間だから」



私がいる部屋は、知らなかったけど特別室だ。
…凄く豪華な部屋って意味ではなく。


多分私が特殊な身体だから、普通の病棟ではなく、研究室に近いこの個室が選ばれたのだろう。

馨ちゃんは本来の病棟からここまで結構遠いのに、あの怪我でこんな所まで歩いてやってきたというわけだ。

凄すぎる。


そんな私の世話をするのは殆どお父さんか、緑水さんか、哀ちゃんだったり。

看護師さんにも頼めない私の身体に対し、お風呂に入れない私の身体を拭くのを誰がやるかで軽く揉めた。


「俺がやる」
「黒っち、杏ちゃんは今、怪我人なわけ。ここは手術も参加した俺が適任だよねぇ」
「歩くセクハラ人間な緑っ君にだけはさせらんねぇ」

そんな口論の後に、ブリザードな空気を纏った哀ちゃんが「私がやるに決まってるじゃない」と一言で収めた。

哀ちゃんかっこいい。


そんな風に、皆には大変迷惑をかけているんだけど。

それも今日明日までだ。



「はい。あーん」
「…いや、自分で食べれるよ?」
「いいからいいから」

ニィ、とその大きな口を釣り上げて緑水さんは譲らない。
私の眼前まで迫っている箸に、なんとも言えない気持ちになる。


…緑水さん、私にあーんして何が楽しいんだ。

そう思いながらも仕方なくその箸を口に運んだ。


「もう少し恥じらいながら食べてくれるのが理想なんだけどねぇ」

ぶつぶつ文句を言いながらも、次々とおかずとご飯を箸で私の口に持ってくる。


…なんだか雛になった気分だ。



緑水さんにも、マイペースで表情は読めないけど、大変心配をかけてしまったようで。

目覚めた私の前に来た緑水さんは、いつも以上に髪がボサボサで。
前髪から少しのぞく瞳が、切なげに揺れた気がした。

「ほんっと、杏ちゃんは…」

そんな言葉を1つ吐いて、私の頭をくしゃくしゃにした。




まあ。私に餌付けしてる今はもう、すっかり元の緑水さんだけどね。

「せっかくだからバナナ持ってくれば良かったねぇ」

とか呟いてるし。
なんとなく理由を察してしまう私は、この人に結構毒されてると思う。
緑水さんの前でバナナだけは食べちゃだめだな、うん。


何が楽しいのか、上機嫌に箸を私の口へと運ぶ緑水さんに、苦笑しつつ。




「あ、明日だけど。俺が杏ちゃん家まで送ってくけど、いい?」


今、博士ちょっとバタバタしてるからねぇ。



そう言って、緑水さんは私の頭をぽんと叩いた。
このポンは、心配するな、の意味だろう。




私のことで、何やら色々面倒くさいことになっているのかも知れない。だってこの特別待遇も。多分手術も。
結構無理に敢行しているんじゃないか。

大学に無関係な哀ちゃんまで引っ張りこんでるし。
指揮とってるのは研究畑の者だし。
病院側からしたら、面白くないよね。
お父さんはそんなこと、お前の所為で、なんて1つも私に愚痴らないから。




私が目覚めたときだって、優しく良かったと微笑むばかりで。


「…桃乃もね、無茶ばっかりする人だったから。──似ちゃったんだろうね」


その笑顔が、寂しげに揺れていたこと。
お父さんは気付いているんだろうか。


お母さんが死んだのは、サーカスの事故だ。

久しぶりにサーカスに出る!っていきなり言い出したそれ以外に。お母さんが何か無茶をしているようなところ、私は見たことがない。

──お母さんは、どんな無茶をしたんだろう。


サーカスのアレは、事故、だったんだよね?









そんな風に、色々なことが脳内を駆け巡りながらも。

早く日常に戻らないと、と心から思う。





沢山迷惑を掛けた私も、明日には退院だ。