#64_K





ぞっとした。




杏は、俺が思ってる以上に自分の身体を軽んじていた。


治癒力の高さが。その、異常さが。


自分を軽視させちまってんだろうか。


もちろん、馨さんを守る為なのはわかる。
わかるし、あいつの性格だってのも、わかる。


わかるけど。あの、危うさは。




いつか俺の手もすり抜けて、どっかに行っちまいそうな。


そんな空恐ろしさを感じた。












「…ほんっと、余裕なしだよねぇ」

呆れたようにこちらを見遣る緑っ君に、うるせぇよとジト目で返して。


今日は杏の退院日。

当たり前の様にガッコを自主休講して、病院に迎えに来た。


まだ全快したわけじゃねえのに、いきなり1人で家とか。危な過ぎるし。


しかも緑っ君が送るとか。


色々危な過ぎるし。



そんな俺を見て、杏もあははと苦笑して。


「お父さんより過保護になってない?」

とかつれない一言を言ってくる。


んなこたわーってんだよ。
俺だって自分がここまで過保護になるとは思ってもいなかったっての。


ぶすくれていると、杏が俺の服の裾をきゅっと摘んだ。



「…でも嬉しい。ありがと」



そんな一言で簡単に機嫌が治ってしまう俺は、こいつ限定で随分チョロくなっちまったようだ。







緑っ君の車はH社の黒のコンパクトカーだった。

いいよなぁ。車。
車さえあれば杏送ってくのも、俺1人で事足りたのに。

どっかいくにも送ってけるし。どこだって迎えに行けっし。
早く誕生日来ねえかな。運転は問題なく出来っけど、免許がねぇとなぁ。


バイクじゃ杏はドジが怖すぎて後ろ乗っけらんねぇしよ。

…まあ、全部解決したら。

こいつを後ろに乗っけて海とか行きてぇな、とは思ってるけど。


海岸沿いとか、一緒に歩いたり。

山でもいいし。テーマパークでもいい。

俺が見たことある綺麗なもん、一緒に観てえし。

新しい景色も、一緒に見つけていきたい。

色んなとこに連れてってやりたい。



きっと俺の好きな、あのめいっぱいの笑顔で笑ってんじゃねぇかな。






…今度、杏用のなんか良さげなヘルメットでも探しとくか。
安全性高くするために阿笠博士に改良もしてもらわねぇとな。クッション性を高くしてもらって、なんか転倒したらエアバックみたいなの出るようにとか出来っかな。博士ならやってくれそうだな。

…こういうとこが、過保護って言われちまうんだろうけど。
もう杏には条件反射でこの思考になっちまうんだからどーしようもねぇ。




そんなことを考えていたら、車は大分と進んでいた。




気付けば杏と緑っ君が何やら鼻唄イントロクイズを始めていて。

緑っ君がふんふんと軽快に鼻唄を奏でていた。
杏は後部座席から身を乗り出して聴きに徹している。


「ふふふ ふふふ ふふふ ふふふ ふーふふふ ふーふふーふーふ」

「金星!!」

「せいかーい」

「次私!ふーふーんふーふふふん」

「make a wish」

「正解!!さすが早いっ!」


いえーい!と喜び合う2人。


…なんか、仲良いね。おめぇら。








「緑水さん、ごめんね忙しいのに。ありがとうございました!」

ぺこりと丁寧にお辞儀する杏の荷物を持って車を降りる。

なんだか久しぶりにこのマンションの前に来た気がすんな。つっても一週間かそこら空いただけだけど。

運転席の窓を開けてそのお礼に応えながら、緑っ君はいつもの食えない笑みを浮かべている。

「どーいたしまして。…ああ、そうそう。黒っち、まだ杏ちゃん全快したわけじゃないんだから、がっつくんじゃないよ?」

「わーってんよ!」

「あと、バタバタしてたから、大事なコト言い忘れてた。黒っち」

何やらにへらとした口元が真剣に引き締まったので、思わずこちらも身構える。

なんだ?なんか、杏の身体に異常でも?





「童貞卒業オメデトー」






そんな言葉を置き土産に、緑っ君はひらひらと手を振って去って行った。
真面目な顔して言うことかよっ!いや、大事なことだけどな!


…なんで脱童貞したとかわかんだろ。





まあいい。気を取り直して。

赤い顔をして苦笑している杏に、じゃあ行くか、と手を差し出す。

俺の仕草に、杏は嬉しそうに口元を綻ばせて。
その手を伸ばして、重ね合わせた。







…そういや、こうして手繋いで歩くのも、久しぶりになんのか?
まあ、そんな経ってもねぇんだろうけど。

ドジしねぇようにって、しょっちゅう当たり前の様に手を繋いでいたからか、なんだか久々な気がしてしまった。



まあ、こいつがドジしてもしなくても。

きっと俺は、なんがしかの理由をつけては、こいつに手を伸ばすんだろうけど。




「身体、大丈夫そうなら。ちいっと公園辺りぐるっと周ってくか?久しぶりの外の空気、もうちょっと吸いてぇだろ?」

「うん!」


おお。いいお返事。
病院で寝て過ごしてたら、やっぱ外が恋しくなるもんだよな。


まあ。理由つけて、もうちょっとこうして手を繋いで歩きたかっただけなんだけど。



寒いからなっつって、マジシャンらしく、どこからともなく杏からクリスマスにもらった手袋を取り出して。
手を繋いでない方のお互いの手に着け。

まるでどこぞのバカップルのようだと、2人で笑う。



ぎゅ、と繋いだその手を握りしめ。

そうして、ゆっくりと歩き出した。



「あー、頬を刺す冷たさすらなんか嬉しい。もう1月も終わりだね」

「本当になぁ。この前新年明けたと思ったんだけどな。にしても、お日様射しててもやっぱ風がつめてぇな」

「こう寒いと、肉まんが恋しくなるねー」

「コンビニ寄って買ってくか?公園で食う?」

「食べるー!今ね、確か中華の名店とコラボしたやつがヘブンイレブンに期間限定で出てるらしくて。気になってたの!なんか、肉汁じゅわー!って!話題に!」

「…本当、杏には花よりだんごっちゅー言葉がお似合いだよなぁ」

「…!!」


う!っとなってる杏に、けけけと笑って。
杏も、仕方ないの!冬といえば肉まんだから!とかよくわかんねぇ自論を展開しながら笑ってて。



こんな風に。

一緒に歳を重ねてさ。
一緒にじいちゃんばあちゃんになってさ。


そうやって。

こいつと笑って手を重ねて歩きてぇんだよ。







その為に、こいつと暫く離れなきゃなんねぇんだけど。


それが今回のことで。

ガキみてぇだけど、離れるのが怖くなった。




俺がいない間に、またこいつに何かあったら?



簡単にその身を盾にしてしまうこいつはだって、俺の思っていた以上に危うい気がして。



また、同じことを繰り返したら?

あの野郎はそんな気二度とおきねぇように、留置所に侵入して色々とやっといたけど。

ああいう輩はトラウマの1つや2つ持ってるもんだから。
ちょいと周辺調査して、ほんであいつが1番メンタル抉られる奴に変装して、ちょっと、な。



こいつはでも、馨さんだけじゃなくて。きっとそれが緑っ君とかだとしても、その身体を簡単に盾にしちまうんだろう。



あんな、身体中の血が抜けていくかのような感覚。
俺は二度と味わえる気がしねぇし、味わいたくもねぇ。



こうして側にいねぇと、そんな不安が首を擡げて。

本当は、四六時中側に張り付いていたい。
そんな不健全な考え、ダメだっつーのはわかってんだけど。


怖いんだよ。
側にいねぇと、こいつの何かが、音を立てて崩れていきそうで。


こうして笑ってる姿は、いつもの杏にしか見えねぇけど。


以前、真っ青になったあの顔が、脳裏をよぎってしまう。


ふとした沈黙に、ちらりと、その顔を伺う。
どこか真剣な表情で、前を見つめていた。



こんだけ、早く治ること。
今はそりゃ、ありがてぇけど。


こいつはどんな思いで、自身でそのことを受け止めてんだろう。


なあ。今、何考えてる?

俺にくらい、弱音吐いていいんだけど。







「快斗君!大変!カレーまんもCoRo壱と期間限定コラボしてる!!」





…そっちかい。


なんも考えてねぇかもしんねぇな…。




どっちを食べようかと真剣に悩んでいる、食い気満載の可愛い彼女のため。
肉まんとカレーまん両方買って半分こしてやったら、すげえ喜んでた。




ま、こいつが楽しそうに笑ってんなら、そんだけでいいんだけどな。