#66





そんなぶーぶー快斗君は放っておいて。


入院中頭は洗って貰えたけど、怪我も怪我の為、碌にシャワーも浴びれなかったので。早々にシャワーを浴びさせてもらう事にした。

お風呂に浸かるのは今日はまだ一応控えて、ということだったのでシャワーだけ。それでもとてもすっきりした。




怒って帰っちゃうかなぁと思いながら浴室から出てリビングに向かう。

扉を開けると、ふわふわの艶のある黒い髪の毛が、ソファーの端から見えた。

どうやらソファでふて寝しているようだ。

足音を立てて近付いても、テレビから視線を外さない。うーん、これは大分不貞腐れてそうだ。


「なんか飲む?」

「…飲む」



ぶすくれた声だけど、返事はしてくれた。
無視する気はないらしい。


なんだろうなぁ。言ってることエロオヤジで、不貞腐れてる理由もアレなんだけど。

こうして子供みたいに拗ねてる感じとか、可愛いなぁと思ってしまう。


なんていうか、頬をつんつんしたくなる。

更に拗ねちゃうかな?






夜でもコーヒー派な私は、2人分のコーヒーを入れてソファーに戻った。


つんつんしたい気持ちを抑え、はい。と渡すとのそりと起き上がって。

ちらり、とこちらを上目で見遣る。
お風呂上がりの私を見て、ため息ひとつ。


「…本当に一人で入っちまうし」
「そりゃそうだよ。入れるもん」


身体洗われるとか、どんな羞恥プレイだよ。絶対恥ずかしくて死んじゃう。
しかもこんだけ食べた後にお腹とか見られたくないよ。

…お腹の傷も、薄くはなってきているけど。
まだ残ってるし。


余計な心配とか、かけたくない。



「──そんなに、俺と風呂入るのが嫌?」

しゅん。
そんな音が聴こえてきそうなほど、悲しげに快斗君が首を傾げた。

物凄く母性本能を擽られるその顔に、なんだか自分が悪いことをしてしまった気分になる。


「…嫌とかじゃないけど、恥ずかしいし」


身体洗うとか。そんなの絶対恥ずかしくて大変な事になる。


「恥ずかしいから?…絶対、入りたくない?」

だからなんでそんな捨てられた子犬みたいな表情で聞いてくるの!

…もしかして、思ってるより傷つけちゃったのかな。
普通、恋人だったらお願いするものなの?
もしかして、私が快斗君を嫌がってるとか思われた?


「…絶対、ってわけじゃ、ない、けど──」

「──俺が、嫌?」

「そんなわけないじゃん!」


悲しげな蒼い瞳に慌てて否定すると、その瞳が伏せられた。
切ない表情に、胸が締め付けられる。


「でも、一緒に入りたくねぇんだろ?」

「入りたくない、わけじゃないよ」


恥ずかしさが勝ってるだけで。一緒に入るのが嫌というわけではないよ!


「そっか。…じゃあ、今度。俺が嫌なんじゃなかったらでいいから。俺ん家来た時は俺と一緒に入ってくれる?」

「もちろんだよ!!」


──あ。思わずかぶりを振って頷いちゃった。

ふと我に返ると、先ほどの子犬快斗君はどこに消えたんだと思うくらい、すっかりいつもの快斗君に戻った彼がけけけと笑っていた。


ん?快斗君、落ち込んでたんじゃなかったの?
あれ?なんかおかしいぞ?私何を返事しちゃった?


「じゃ、今度俺ん家で。約束な」



不敵に笑って、優雅にコーヒーを飲み始める彼を見つめながら、首をかしげる事しか出来ない。



んん?あれ?なんでこうなった?











テレビを見ながら、2人でだらだらして。
時計は9時を過ぎた。
いつもならそろそろ快斗君は帰る時間。



ただ。
なんだろう。

今日はそれが、無性に寂しい。




そんな中。快斗君がさて、と立ち上がった。

思わず、あ、と声が出てしまう。


「ん?どした?」

優しく尋ねてくるその瞳に甘えてしまいたくなるけれど。
ダメだ、快斗君は明日学校なんだから。


「ん、なんでもない」

軽く首を振って、笑っておく。

「そうか?──じゃ、そろそろ」


ああ。行っちゃうんだなぁ。とぼんやりと思っていると。


「風呂借りていい?」

思ってもいなかった言葉が返ってきた。

「え?」


思わず聞き返してしまうと、快斗君がだめか?と聞いてきたので、ぶんぶんと首を振る。


「でも。え、帰らない、の?」

「退院したばっかでひとりでこの家で寝るって、杏、寂しいだろ?ああ、ちゃんと学校はここから朝行くから安心しろって。用意もしてきたし」


そう、事も無さげに話して。じゃあちょっとシャワー借りるな、と快斗君は浴室に向かっていった。






なんで。

寂しいってわかっちゃうんだろう。


基本ひとりには慣れているけど。
大怪我して。そりゃもう殆ど治っているけど。
誰も居ない部屋で眠るのが、心細い気持ちがどこかにあって。


快斗君は、そんな私の気持ちに気付いてたのだろうか。
その優しさに、心がぎゅっとなる。


まるで子供のような私の心の内を見透かすかのように、寄り添うように甘やかされて。

ああもう。快斗君が居ないとダメな女になっちゃいそうだよ。







ん。でも。

泊まるってことは。




今日、するのかな。



そこに思考が行き着いてしまって。

いま、快斗君がシャワーを浴びているという状況に、うわあ、と思わず悶えた。

シャワーの音とかこっちまで聞こえなくてよかった。多分、変質者のように挙動不審になってたと思う。




泊まりって、でもそういうことだよね?

あ、どうしよう。今下着別に気合入れたやつじゃない。
なんか可愛いパジャマあったっけ。


そんなことを悶々と考えていたら、快斗君が浴室から上がってきてしまった。






シャワー早い。カラスの行水じゃないか。
まって、まだちょっと、心の準備が!

うう、髪がまだ濡れてる。
首にかけたタオルに、いつもふわふわな髪の毛がしっとりと落ちていて、それがまた無性にカッコよくて色っぽい…!




「ま、まって」

「ん?ああ、いいよいいよ。俺洗っとく」



私の待ってを片付けの事と捉えたのか、食器の片付けを軽くこなされた。


「ほら、まだ完治したわけじゃねぇんだから。今日はもう寝ようぜ」


優しい微笑み。
私を甘く溶かすこの人の温もりを、たしかに私は欲していて。



まだそんなに経験もないというのに。

いつのまに、こんなに欲深くなってしまったんだろう。









「ほれ」


ぽんぽん、と私が入っている布団をリズム良く叩いて。

私の横に入りながら、肩肘をついて快斗君が笑っている。


「子守唄もいるか?」




どうやら。


私は盛大な勘違いをしていたみたいで。




──寝るって、まさかそのままの意味だったなんて。


…そうだよ、快斗君言ってたじゃないか。
完治してないんだから、早く寝ろって。


いや、でもさ。

あんな、風呂でゴネてた人が。まさか本気で私と添い寝するだけなんて、思わないじゃない!?



スケベな癖に。
どうしてこんな時は無駄に紳士なんだ!

おかしい。馨ちゃんだって、脱童貞後は覚えたてのサルかってくらいにヤりたがるとかなんとか言ってたのに。



私の身体を心配をしてくれているんだろう。

それはわかる。わかるんだけど、変に期待をしてしまった分。
何というか…私ばっかり求めているみたいじゃんか。




「──おやすみのキスが欲しい」


悔しいので、わがままを言ってみた。

軽く蒼い瞳を瞬かせたあと、苦笑をひとつ。

まるで大人が子供を宥める時のようなその表情に、むう、と思わず口を尖らせてしまいたくなる。



いつも勝手にキスするくせに!
なんなの!さっきから!



さらり、と前髪を掻き上げられて。
柔らかな唇がおでこに優しく触れた。




「はい。ほら、もう寝ろって」


「──快斗君はズルい」


私を振り回して。こんな時は普通、そういう感じになるもんじゃないの。

なんでチューのひとつもしてくれないんだ。



ぶすくれているのが分かったんだろう。
快斗君が、軽くため息ひとつ吐いて。


…うざかっただろうか。少し、不安になった。

嗜めるように、快斗君が続ける。

「杏、あのな。俺、すっげえ我慢してるわけ。好きな女と同衾して、何もしないって、男子高校生には大変な忍耐を要すんだぞ。そんな状態でちゅーのひとつでもこんなとこでしてみ?大変なことになるから」


…別に、大変なことになったっていいんだけど。

私の表情で思考が読めたのか、ぐしゃぐしゃに髪の毛をかき混ぜられた。


「だから、そういう顔すんなって。おめぇ自分が怪我人だってこと忘れんな。ったく。風呂は嫌がるくせにこういう時だけ…」


それはまるまるこっちの台詞です!!
なんでこういう時だけ無駄に紳士!



「ほら、いいから寝ろ寝ろ」

「…じゃあ、せめて、ぎゅってして。じゃないと眠れない」



──生殺しか。


そんな地を這うような呟きが聞こえた気がしたけれど。

暖かな温もりに包まれた私は、身体を重ねたいとか思っていたはずなのに、それだけでひどく安心してしまって。



思った以上に疲れが出ていたみたいで、そのままゆっくり眠りに落ちていった。









「──本当、振り回してくれるよなぁ」


そんな呟きと、優しく髪を撫でる掌の心地良さを感じながら。