#67_K




怒涛のような1月が過ぎて。
気付けば2月も半ばに入っていた。



先日は雪が少しだけアスファルトを白く染めていて。

朝一見たその光景に、おー、雪だ。と思わずガキみてぇに興奮すると同時に、うちの可愛いドジっ子が滑って転んで頭でもぶつけちまうんじゃねえかと速攻で頭をよぎり。

あわてて、気をつけろって電話をかけた。

靴は底がギザギザになってるやつ持ってるか。凍ってる場所には気をつけろ。雪が水に混ざると滑りやすいんだから、いつも以上にゆっくり歩け。送り迎えすっか?なんなら休め!

思いつく限り口々に言うと、

わかってるってば。と苦笑した声が電話ごしに響いて。


その笑い声は、まったく、快斗君は過保護なんだよ。と思っているであろうことを、有言に語っていた。


いや、オメェぜってぇ転ぶだろだって。


雪見てすぐさま思い付くのが、杏が危ねぇんじゃねえかっちゅー過保護思考なのはまあ、自分でもちいっとばかし呆れちまうが。






そんな杏の今回の怪我は、もうすっかりしっかり完治している。
素肌を暴いてる時になぞった脇腹には、傷跡ももちろん無くて。


その滑らかな手触りに、ほっとすると同時に、生まれる焦り。

今回のは、そりゃ、元どおりになってくれてよかったさ。
でも。
これは、杏の身体のパンドラが、そこにいる証となって、俺を追い立てる。



俺たちの計画が、失敗したら。



杏の笑顔が、遠くに霞んでいくような。そんな訳の分からない焦燥にかられそうになる自分に、ぶんぶんと首を振った。


落ち着け、俺。
マジシャンは、どんな時でも不安はみせねぇもんだ。
こんな気持ちで、でっけぇヤマを乗り越えられる訳がねぇ。


気分を浮上させようと、今日家に来ることになってる杏にどんなエロいことをしてやろうかな、と思考をそちらに移そうとしたところで。


ピンポンピンポン、と呼び鈴を連打する音が聞こえた。

遠慮の無い連打をする奴は、俺の覚えでは一人しかいねぇ。



久しぶりのその連打音に、俺なんかしたっけか?と首を傾げつつ、ゆっくりと階段を降りていった。













「あんだよ」


確認もせずにかちゃりとドアを開くと、予想通りそこには青子が立っていた。


なんだか知らねぇが、少し怒ったような表情で。
なんか手には紙袋をひとつ持っている。

…すこーしばかり妙な予感がするも、いつも通りに「休みの日の朝早くにチャイム連打すんなっつの」とあくびを噛み殺しながら続けた。


青子は、きゅ、とその紙袋を握りしめてどこか決意を秘めた表情で、こちらを睨むかのように見つめてくる。そうして、意を決したように言葉を切り出した。


「...快斗、青子の名前呼んでみて」


なんだか意味深な顔で切り出してきた言葉は、拍子抜けするような内容で。思わずんあ?と変な声がでた。


「何だよいきなり?あ──」


青子と、名前を呼ぼうと口をあにした瞬間に、口中に甘い匂いが広がった。
青子が俺の口めがけて、何かを押し込んだのだ。
避けれないこともなかったが、甘んじて受け入れたそれは。

しっとりした少し重みのあるスポンジと、香るココアの風味。
多分、チョコマフィンかなんかか?


「ほは、はひほへひひはひ」


オメェ何これ、いきなり。と、口をいっぱいにしながらも聞くと、顔を真っ赤にした青子がそこにいた。


「バ快斗のことだから。バレンタインデーが今日なんて、覚えてもなかったかもしれないけど!」


少し潤んだような瞳で、俺の方をでも、しっかりと見据えて。



「青子なりに、精一杯考えた結果だよ!──お願いだから、ホワイトデーまで返事は言わないで」



それだけ言って、俺の胸元に紙袋を押し付けた青子はバタバタと去っていった。

紙袋を持ったまま、口をマフィンいっぱいにしてポカンと立つ俺は、側からみればさぞかし間抜けな姿なんじゃなかろうかと、見当違いなことを、考えつつも。


今起きた出来事を、反芻する。



口の中に広がるチョコの甘み。紙袋の中には、多分今食ってるのと同じチョコマフィンが入ってるんじゃねえかと思うが、可愛らしく包まれた袋が1つ。


青子の表情。赤い顔。



──いくらこの前までバレンタインデーを知らなかった俺だとしても。



気付かねぇほどマヌケじゃねぇよ。



…あー。

思わず、宙を仰いだ。





食いきれなかったマフィンのカスが、咽頭に入りゴホゴホと咽せる。


「っケホ…っあーくそ」


大切な幼なじみだ。
いつも騒ぎ立てる俺の仲間も、中森さんまじフェアリー!とか訳のわからん事を言って騒いでるが、青子は確かに可愛いとも思う。



でもそれは。



杏に対する気持ちとは、全然違うもので。




ホワイトデーまで待てって…俺がホワイトデー知ってると思ってんのかよ。
いや、知ってっけど。
だって俺もはや、脱チェリーの彼女持ちですし。


そんなわけでもちろんバレンタイデーもがっつり記憶済みだけど。
何気に今日を楽しみにしてたし。


休日にバレンタイン重なったらそりゃ、期待するもんだろ?




でもな。
そんなイベント毎に対して思考を巡らせるのって、それもこれも全部、杏に対してだけなんだよなぁ。




…どうすっか。

どっかしかで、ちょっとだけそうなんじゃねえかとも、思ってた。

でも青子とは普通の幼馴染でいてぇから、やんわりと線を引いたつもりだった。



青子のあの表情を見ても、俺の心に広がるのは困惑だけで。

小せぇ時からずっと知ってる、正義感が強くて、ちょっと子供っぽいところもある、元気な女の子。

今日のあの表情は、子供っぽいなんてこた、全然なかったな。
ちゃんと、女の顔してた。


大事な幼馴染なんだ。
…泣かせたくは、ねぇんだけどな。





とにかく、杏に早く会いてぇ、なんて。

こんな時にすら、無性に杏が恋しくなって。





ああくそ。
腕の中の紙袋が、妙に重たく感じる。


──どんな想いで、あいつはこれを作ったんだろう。