#69





「…泡だけじゃねぇのがぬるぬるしてる気がするんだけど。これ、俺の気のせい?」


楽しそうにそんな風に聞いてくる快斗君の手が、後ろから不埒に私の身体を這い回っている。


「っ…だ…って…んぁ…!」


シャワーの水がザーザーと流れる音と共に、私の掠れたような、媚びたような声が反響して浴室内に響いて。

のぼせそうな程茹る身体は、彼の手によって文字通り、泡まみれだ。

くぷり、と音を立てながら快斗君の指が私の中に入ってくる。

思わず身体が震えるが、泡でぬめる身体が彼の身体から滑り落ちそうになるのを、胸の下を片腕で抱えられて支えられて。


逃げも隠れも出来ない状況に、私の息は荒くなるばかり。





とんだことになった。
やっぱり快斗君はエロ親父だ。やることが、エロエロだ。

どこかぼーっとする頭で、そんな文句を頭に並べたまま、彼の掌に踊らされていた。



お家に行くって時点で、そりゃ、そういうことはするとは思ってはいたけど。

こんなことまでするとは聞いてない。

最初はほんわかした雰囲気だったはずなのに。













「杏、コーヒーでいいか?」
「あ、うんっ」

うだうだを封印して、気をとりなおした私の目の前にかちゃりと置かれたそのマグカップ。
あ、鳩の絵だ。かわいいな。となんとなく思ってたら、視線に気付いた快斗君がふわりと笑った。

「これな、杏専用で買っといた。俺のはもともと自分用に持ってたやつなんだけど。おんなじやつの、鳩にリボン付きのやつが偶々売ってたから」

言われて見てみると、たしかに快斗君がもつマグカップにも、鳩がちょこんと描かれている。

そうか。鳩君と鳩ちゃん…お揃いだ。しかも私専用とか…。


じわじわと、喜びが身体をめぐる。

何気に快斗君は、こういうのこまめなんだよな。
さすがマジシャンということなのか、私を喜ばすのが本当に上手だ。

「茶菓子は用意してねぇんだけど…」

と、ちらりとこちらを見ながらそんな風に言う。

なんてあざとい催促だ。くそう。いちいちキュンとくるじゃないか!


「はい。ハッピーバレンタイン!!」

あざとい催促に促され、カバンからチョコを取り出して。
それを見た瞬間に快斗君は嬉しそうに破顔した。


「サンキュっ。開けていい?」
「もちろん!」

快斗君がリボンを外すと、中からトリュフと、カップに入れたチョコレート生地がお目見えして。それを見た快斗君が首を傾げた。

「生のチョコ?」

「ふふふー。ちょっとだけお待ちください。トリュフは食べてていーよ!」


得意げ気になってそう言いながら「あ、電子レンジ借りるねっ」とカップに入れてあったチョコ生地をもって、キッチンへと進もうとしたところで、腕をがしりと掴まれた。

真剣な顔で、快斗君が私を見据える。


「待って。杏さん、自分のおドジ自覚して。怖いから、俺がやる。何すりゃいいの?」

…電子レンジくらいなら、人の家でも大丈夫だと思ったんだけど。

「レンジで3分チンするだけなんだけど…」
「わかった。俺がチンする」


怖いくらい真剣な顔でそんな風に言われたので、大人しくチョコが入ったカップを手渡した。

確かに私はドジだ。
快斗君にも沢山、そんな姿は見せてるけどさ。

でもさ。一体どこまで信用がないんだろ、私…。

電子レンジの稼働音を聞きながら、複雑な気持ちで快斗くんを見つめた。





生地までお家で作ってきて。最後の仕上げが今これだ。
チンするだけでほっかほか!とろーり!

フォンダンショコラの出来上がり!な、はず。

チーン!と軽快な音を鳴らした電子レンジから、チョコの甘い、美味しそうな匂いが漂ってきた。

うん、いけたんじゃない?


「なんか旨そうな匂いする」
「へへへ。お皿借りていい?あとは飾り付け!」
「わかった。俺がする。このカップから外すの?」
「…お願いします。あ、これ、飾り付けに持ってきた粉砂糖です…」
「ん」

テキパキと最後の仕上げの飾り付けまでこなされた。

あれ、これ私が持ってきた快斗君へ上げる為のバレンタインチョコ…。


「うん、うまっ」

「良かったー。せっかくお家行くし、出来立て風になにか出来たらいいなって思って」


快斗君により綺麗に盛り付けられたフォンダンショコラを、快斗君が用意してくれたコーヒーと共に、リビングのローテーブルのソファに並んで二人で食べる。

とろーりとちゃんとチョコが出てきてホッとした。

たとえ、仕上げが快斗君でも、コーヒーの準備も全て快斗君でも。

いいんだ、うん。
気持ちが大事だ、気持ちが。








「ありがとな。すげえ旨かった」

ほわりと笑ったその顔に、きゅんと胸が高鳴る。
そのまま自然な仕草で、腰に手が回されて。

「…こっちも食べていい?」

ちゅ、と頬に唇が触れる音。
伺うように、こちらを見つめる蒼い瞳。

吸い込まれそうなその瞳に弱い私が、断れるわけがなくて。

かと言って、はいと勢いよく返事するのも恥ずかしい。
返事の代わりに、ぎゅ、と背中を掴んで抱きしめ返した。


喉の奥から低く笑う声が、耳のすぐそばで聞こえる。

楽しそうにけたけたと笑ういつもの声とは違い、こういう時の快斗君の笑い声はなんだかすごく、大人びていて。
そんな笑い声ひとつにだって、ドキドキしてしまう。


「な。約束、覚えてっか?」
「…?」
「ひでぇの。俺すっげぇ楽しみにしてたのに」

え。なんだっけ。拗ねたようなその顔はでも、どこか覚えがある。

ああ。そうだ。
退院の日に、家で私の身体を洗う洗わないで、拗ねてた時もそんな顔して…

──じゃ、今度俺ん家で。約束な。



って、うわあああ!


ば、と思わず身体を離そうとしたら、腰に回っていた手がぎゅ、と私にしがみついてきた。


「思い出した?」


甘い瞳でたずねてくるその声に、くらりと目眩を起こしそう。

「え、と」
「うん」

ええ。なにこれ。私に言えと?

「お風呂、ですか?」
「せいかーい」

嬉しそうな言葉とともに、ひょい、と担ぎ上げられた。
快斗君の肩の所に、丁度私の顎が乗って。お尻から太ももの辺りを、両手で支えるように抱っこされて。

不安定な体制に、思わずぎゅ、としがみつく。

私のドジレベルわかってるくせに、こんな危険な体制…。

あんなに電子レンジですら、触らせてくれなかったのに!
抱っこはいいのか!


「快斗君、転けちゃうかもしんないよ!」
「いーよ。おめぇのこと抱き上げれるのが怪我の1つ2つで済むんなら、安いもんだ」

さらりとなんてことを。


「──むしろこうやってずっと抱え込めたらちったぁ安心出来んのに」


ぼそりと呟かれた言葉は、どこか切なさを含んでいて。
きっとまだ、快斗君はこの前の件をどこかで引きずっているのだと、そこで気付いた。



「…もう十分、抱え込まれてるよ?」







心も、身体も。
あなたが心配してくれているのは、全身で感じている。
保護者か、って思わず苦笑しちゃうくらいの勢いで、私を守ろうとしてくれて。

そう。本当もう、出会ってからずっと。




「──大好き」



きっとこんな言葉では、あなたの不安が消える事は無いんだろうけど。

今の私に伝えられるのは、この気持ちひとつだから。
言葉とともに、首に回した腕に少し力を込めて。



私を支える腕にも、ぐっと力が込められた気がした。