#78
「──でまあ、脚が固定されてなければ金的。脚が無理そうで、腕が少しでも動くなら脇腹狙う──あと、逆にこちらから抱きついて相手の身体を固定して──こんな風に」
「わわっ」
なぜか馨ちゃんをベッドに押し倒しながら、身を守る術を実戦で教えて貰ってる私。
いや、馨ちゃんに押し倒す側やれって言われたからやってるんだけど。
そうして妙な体勢で教えを乞うてる中で、急にぎゅ、と馨ちゃんに下から抱きつかれて。
耳元に馨ちゃんの声が直接届き、思わずどきりとしてしまった。
…女まで誑かすとは。馨ちゃん、恐ろしい子!
私がちょっと挙動不審になったのに気付いたんだろう。馨ちゃんが美人台無しのおっさんくさいニマニマ顔になる。
「何?ムラっとした?」
「馨ちゃん!言い方!ちょっとドキッとしただけ!」
「──この状態だとクロバはもう臨戦態勢だとは思うけど。クロバをもっとその気にさせたいんだったら、つま先で股間でも刺激してやんのもいいんじゃない?」
にやにやと、足元の方を怪しく動かそうとする馨ちゃん。
「馨ちゃん!教えるモノ変わってきてる!!」
何そのハレンチな誘い技!そんな高等技術出来る気がしません!
げらげらと私の下で笑いながら、「じゃあ元に戻すか」と馨ちゃんは再び私にキツくしがみついた。
あ、これ。意外に私の身体動かない…!
流石馨ちゃん。
「──で、こうやって身体固めた所で…まあ、この状態でマシな攻撃といえば頭突きくらいかな──鼻頭か、眉間狙って…」
ぐっ、とそのまま馨ちゃんの顔が近付いてくる。
その時。
ドンドン、と勢い良いノック音と共に、失礼します!!と扉が開いた。
「馨さんが杏さんに護身術を教えると聞きましたので!お手伝いに参──…!!」
私達を見て、門下生の方が氷のように固まった。
「お、お邪魔致しました…!!」
「待って!多分大きく誤解してる!!」
慌てる私の身体は、馨ちゃんに固定されてて動けない。
げらげらと、馨ちゃんは私の身体をしがみついて固定しながらも、楽しそうに笑っていた。
…遊んでる!!
門下生さんの誤解を必死で解いて。
一通りHOWTO的にこんな場合にこう動け!を習った後。
再び快斗君が居るであろう道場へと戻ると。
まるでリンチのように、多勢に無勢な状態で。
快斗君が大人数に囲まれていた。
「…っ!!」
──なんで!?
驚く私が駆けつけようとすると、ドア近くに立っていた馨ちゃんのお父さんが、私の肩を抑えた。
「落ち着きなさい。あいつが望んでやってることだ。もちろん、力加減もさせてる。──ほら、杏ちゃんよく見てご覧?ちゃんと上手にいなしてるだろう?」
確かに、拳を躱して、る?
落ち着いて快斗君達の方を観ると、多方面から繰り出される拳を、すんでの所で、最小限の動きで、当たらないギリギリに躱していた。
え、あんなに居るのに。すごい!全部躱してるー!!
よくわかんないけど!なんていうか、なんていうか!
かっこいい!!
あんだけ心配して、ぐだぐだ考えてたはずの私の現金具合に、私の表情を見た馨ちゃんが呆たように笑いながら小突いてきた。
師匠、現金な女で本当すんません。
そんな私に、馨ちゃんのお父さんが笑って指を立てる。
「まあでも、その前はぼこぼこと勢い良くやられちゃってたから、実はボロボロなんだけどな」
「おやっさん!余計なこと言わんでいいから!」
こちらに気付いてもないんだろうと思っていたんだけど。快斗君はこういう言葉にはしっかり反応を示すらしい。
しっかり突っ込みを入れてきた。
「ああほら黒坊、余所見してっと──」
馨ちゃんのお父さんが最後まで言い切る前に。
快斗君の頬にごすり、と拳が入った。
あらら。
「いやあ、すまんな!」
杏手当してー、と甘えてきてくれたので。
ちょっとにやけそうになりつつも、とりあえず真っ赤に腫れた快斗君の頬を冷やしていると。
そんな謝罪の声が届いた。
顔を向けると、快斗君に拳を振るった門下生さんが、ぽりぽりと頭を掻いていて。
つい、彼女持ちへのジェラシーが出て、こう、な!
そう、拳をしゅ、と打つ素振りを見せるガタイの良い門下生さんに、快斗君はジト目を向けていた。
「鳶さん、謝罪感全くねぇーんすけどー。色男が台無しになったんすけどー!」
「馬鹿野郎、漢は顔じゃねぇ!このイケメンめ!」
どうやらこの門下生さんは鳶さんと言うらしい。
快斗君か色男発言に、さっきまで快斗くんと稽古として、快斗君を囲って攻撃していた門下生の皆さんも集まってきて。もうなんだか揉みくちゃだ。
手当てまだ途中なんだけどなー。
そう思いながらも慌てて避難して。
──にしても、このじゃれ合いっぷり。
門下生さんへのさっきの態度。
いつのまにか馨ちゃんのお父さんともおやっさん、黒坊呼びになってるし。
快斗君のコミュ力の高さに驚くばかりだ。
可愛がられるタイプだよなぁ。と、もみくちゃな快斗君を見ながら思わず笑ってしまった。
「──なんか、緑水さんが快斗君のこと黒坊主とか呼ぶから、馨ちゃん家の時のこと思い出しちゃったよ」
恒例の身体検査の後。
「ホワイトデーのお礼代わりー。拓真君とのドライブデートをプレゼント」
そんなことを語尾にハートマークでも付かんばかりに、緑水さんが私に言ってきた。
デート云々のふざけたワードは置いておいて、お言葉に甘えて車で快斗君の家まで送って貰うことにした私は、有り難く緑水さんのH社の黒のFATに乗り込んで。
「あの色ボケ黒坊主は今日、『プレゼントはオ・レ』みたいなことでもするのかねぇ」
とか緑水さんが揶揄ってきたので。
車中の会話のネタとして、掻い摘んで、緑水さんにあの日の事を話しをしていた。
「へえ。そんなことがあったんだねぇ。黒っち、モテたいわけ?」
何で皆、身体を鍛える=モテたいと変換するのか。馨ちゃんと緑水さんって、たまにこういう思考回路そっくりだよなぁ、とははは、と苦笑を返す。
「うん、まあ、そこら辺はわかんないんだけど。なんか強くなりたい?みたい」
「へぇー」
頑張るねぇ、と緑水さんはなんだかにやにやと笑っている。
こんな表情を快斗君が見れば、あんだよ、なんか文句あんのか。とか怒り出しそうだけど。
緑水さん普段から大体にやけた感じだから、いちいち突っかかってたら大変だけどね。なんて、わりと失礼な事を考えながら、車外に流れる景色を眺めた。
あれからどうやら、週に一度は馨ちゃんの家に特訓?に言ってるらしい。
あれ以来私は、気が散るので来んな。と快斗君と一緒に馨ちゃん家に行くのを禁止されてしまったので、詳細は良く知らなかったりする。
馨ちゃんも、自分のトレーニングがあるので何してるか良く知らないと言っていた。
身体に痣や擦り傷が増えたりするのを見ると、そりゃあ気にならなくはないんだけど。
快斗君は私が不安げな顔をしたら、「心配すんなって」と軽く笑って誤魔化すだろう。
そしたらきっと、痛ぇとか、疲れたとか。そんな弱音すら吐いてくれなくなる。
快斗君が、安らげる場所くらいには、せめてなりたい。
なので。馨師匠もああ言ってたことだし。
今はとにかく、深く考えずに、頑張れー、と笑顔で応援して送り出すことにしている。
定期検査が思ったより早く終わって。
緑水さんが車で送り届けてくれるので、快斗君と予定してる時間より大分早く着きそうだ。
「時間あるなら、お茶してく?バレンタインのお礼に美味しいケーキ奢ったげる」
と、緑水さんから車の中で魅力的なお誘いがあったけど。
美味しいケーキ…。緑水さんのチョイスなら間違いなさそう…。
とても魅力的なお誘いだけれども。
緑水さんと2人で、とか快斗君に悪いし。
なにより、せっかく早く終わったなら、出来るだけ早く会いに行きたいので。
まあでもちゃっかり、ケーキ代わりに、フタバコーヒーの期間限定ホワイトチョコロマンティクモカ的なものは、テイクアウトで奢って貰った。
マシュマロが溶けて、上に振りかけられたホワイトチョコと、クリームたっぷりのモカが甘くて美味しい。
甘いもの狂の緑水さんは、クリーム増し増しを頼んでいた。もはや蓋も閉めれてない。
前髪でほぼ隠れてる切れ長の瞳は、そのクリーム鬼盛りを見て、どこか満足そうに細められている。
そんなわけで。車内には甘い匂いが充満してたりするのだ。
そう。今日はホワイトデー。
快斗君が知ってるのか知らないのか分からないけれど。
お家に呼ばれたので、やっぱりちょっとは期待しちゃったりしてる。
…いや、エロい方じゃないよ!
そんなハレンチな想像してないもん!
と、誰にと言わずに心の中でノリ突っ込みしていると、快斗君の家の近くまで来た所で、見慣れたバイクが目に入った。
「あ」
「ん?ああ」
私の声で、緑水さんも快斗君のバイクを見つけたのだろう。
ハザードを点けて車を停車してくれた。
「あれ、黒っちのだよね」
「うん。ちょっと連絡してみよっかな」
ここから2人で家まで歩いても、そう遠くないし。
ここで降ろしてもらおうかな。
そう、ドリンクホルダーにホワイトチョコモカを置いて、携帯を取り出して操作をしようとした時だ。
外壁にバイクを停めてあった家から、快斗君と思しき人物が姿を現した。
──赤いヘルメットを持った女の子と、一緒に。
思わず、携帯が手から落ちた。
遠目からでも、わかってしまった。
あれは、間違いなく快斗君だ。
そして、あの子は。
未だに頭に残ってる。
学園祭でのあの、バニーになって笑いあってた2人の姿。
バレンタインに、快斗君の口内からほのかに感じたカカオの香り。
──きっと、あの子だ。
車内だし、車とあちらまでは、それなりに距離があったので。
快斗君が、こちらに気付く事は無く。
2人でバイクに跨って。
黒と赤のヘルメットが、前後にぴたりとくっついた。
そのまま走り去る後ろ姿を、ただ茫然と、車内から眺めていた。
「…あー」
どこか、あちゃーと言う顔で、緑水さんが私を見たのがわかった。
けれど、それに反応を示すことすら出来なくて。
──多分、2人でバイクに乗ったのには、何かしら理由があるはずで。
ちゃんとわかってる。
相手は幼馴染で。
浮気とかそんなのじゃないって、わかってる。
わたしだって、緑水さんにチョコあげたり、今だってお返しにカフェモカ奢って貰ったり、こうして車で送ってもらってるし。
それと同じことだ。
これくらい、何も目くじら立てるようなことじゃないって。
わかってるよ。
でも。
「──私。その場所、乗ったことないんだけど、な」
一緒に、バイクに跨る姿が、無性にお似合いに見えて。
私じゃない女を乗せないで、って。
みじめでも、心配させたくなくても。
快斗君に伝えておけば良かったのかな。
バイクの後ろにすら乗れないやっかいな自分の体質。
なんで、私だけこんな身体なんだろう。
普段、思わないようにしている、どろりとした気持ちが顔を出してくる。
どうしようもないほど、醜い感情がどんどん湧き出そうだ。
ぽつりと呟いてしまった言葉は、甘い匂いとともに空気に溶けていって。
こんな嫌な気持ちも、一緒に消えてくれれば良かったのに、な。