#79_K





──多勢に無勢な状態でも、攻撃をある程度躱せるようになりたいんす。


そんな俺の頼みに、おやっさんは「どんな無茶するつもりなんだか知んねえが、あんま杏ちゃんに心配かけさすなよ?」と笑って俺の頭を小突いた。



蹴撃の貴公子、だったか。
以前キッドの時に相対した鈴木財閥のお嬢さんの、愛しのお相手。
極真空手の使い手で、向かうところ負けなしらしい。


あの、全てを凌駕するような強さに、憧れないわけではない。
あいつとのやりとりで、強さも大事だって痛感もしたから、こうして馨さんのとこに来たってのもあるけど。


だが、俺が今求めるものは。


──世界屈指のアングラオークション。

そこで、もしもの時に立ち回れる、身のこなし。


もし、SOに囲まれても。
もちろん、さまざまな道具は持ち合わせて対処するつもりだけれど。それだけじゃ対処しきれないときに、身体で躱せる実力が欲しい。


相手を倒せなくていい。


俺のすべき事は、そこじゃない。

どんな危険な場所だとしても、何が何でもパンドラを盗み出せる、その強さが欲しい。



おやっさんは何かを察してくれたのか、詳しいことは何も聞かずに俺に稽古つけてくれている。

拳銃を向けられたときに、その角度が分かれば躱せるって言ってたやつがいたんすけど。どうやるんすか?とか。
そんな結構際どい質問にも、こいつ何する気だ?的な顔はしても、何も聞かずに教えてくれるのは、結構ありがたい。

まあ、教えてもらっても、一朝一夕で出来るようになるわけではない事はよーくわかった。あの男やっぱ超人だ。やべぇ。
やっぱ普通の人間にゃ出来ねぇ芸当じゃねぇか。

まあ、あっちのSOはマシンガンとか普通に携帯してるらしいかんな。とにかく致命傷にならないレベル避けらるようになればそんでいいか。


まだ数えるほどしか教えを受けてないけれど。
5月までに、ある程度は鍛えておきたい。

鳶さんらみたくムキムキマッチョを見てっと、ちいっと憧れなくもねぇけど。
マッチョは変装すっとき困っから、そこらへんは諦めた。



──杏も、最初どっか不安げだったけど。

今は、「頑張ってね」って笑って送り出してくれてる。


その言葉と笑顔に、どれだけ心が沸き立つか。あいつはきっと分かっちゃねぇまま笑ってくれてんだろうけど。




やるべき事も決まった。
あとは、来たる日までに色々準備を進めてってんだけど。

日が迫るに連れて。

訳も分からない不安や焦りに駆られる時があって。


どれだけやべぇヤマでも、今まではでけぇヤマほど、どこか高揚感を持ってキッドをしていた。


今回ばかりは、どうも、そうもいかねぇみてぇで。


杏を、パンドラの呪縛から解き放つ。



──全部、俺の盗みにかかってんだ。



ダメだったら──なんて、そんなマイナスな思考、今まで考えたこともなかった。





それでも。
杏の笑顔で、訳のわかんねぇ不安も、焦りも。
あっちゅー間に、自信と決意に変わってくなんて、あいつは知らねぇだろうな。



──ぜってぇ、やってやる。














今日はホワイトデーだ。

杏が、昼前に俺の家に遊びにくる予定。
「お返しはオ・レ」とか言ってエロい事しようと、勿論企んではいるけれど。
ちゃんと用意してる物もあったりする。

ホワイトデーのお返し、なんてただの口実で。
自分勝手な独占欲にまみれたプレゼントだけれど。

どうしても、あっち行く前に渡しておきたくて。




まあその前に。
きっちりケジメ、付けに行かねぇとな。












タラララ ララ タララララ

チャイムを押すと、どこぞのコンビニのような音が聞こえてくる。
このチャイム、コンビニみてぇで最初は違和感あったんだよな。と、昔を思い返しながら。


そういや、この家のチャイム押すのも久しぶりだ。と、出てくるであろう人物を思う。



──お願いだから、返事はホワイトデーまで言わないで。



そんな風に告げた幼馴染の、初めて見た女の顔。
週明け教室で会った時には、すっかりいつもの青子で。


あの言葉は、俺の幻聴か?ってくらい、いつも通りだった。


でも多分。
こいつは当たり前な顔してみせても、今日俺がここに来るのを、ずっと待ってたんじゃねえかと、そう思う。


伊達に長ぇ間、腐れ縁やってねぇから。
例え、普段通りの態度とってても、そんくれぇ分かってる。



──だからこそ。ちゃんと、しねぇと。




かちゃり、とゆっくりと玄関の扉が開いて、青子が顔を出した。









青子は俺の顔をみるなり「──まさか、バ快斗のくせに、ホワイトデー知ってたとは」とか失礼な事を言って、わざとらしく驚いて見せた。



…おめぇな。誰だよ、あんな顔してあんな事言ってきたの。
返事いらねぇのかよ。


そんな想いが顔に出ていたのだろう、青子があはは、と柔らかく笑った。
いつも声に出してケタケタと笑うとこしか見てなかったから。


いつの間にこいつは、こんな風に笑うことも出来るようになっていたんだろう。



「うそうそ。快斗はこういうこと、ちゃんとしてくれる人だって知ってるよ。ね…時計台、行きたいな」


少し媚びるような言い方。
女を感じさせるそれに、青子の変化を感じながらも、おう、と頷いて。




正直。ここで返事しておしまいだと思ってた。

──時計台。俺と青子が、初めて会った場所だ。










青子をバイクの後ろに乗せて、時計台の下へと向かう。
後ろにこいつを乗せたのは数える程。

俺が、二人乗りが可能になった頃。こいつも赤いヘルメット買って。
多分、当たり前に2人で色々出掛けるつもりだったんだ。

あの頃は、俺も、こいつも。




──杏と出会った辺りから。そういや、青子を乗せてどっか行ったり、が無くなってって。


ずっと一緒が当たり前から。少しづつ、変わっていった。

多分、ずっと部屋に飾られっぱなしだったんだろう、赤いヘルメットを、こいつはどう思ってたんだろう。




時計台のふもとに着くと、青子はとっととバイクから降りて。
スタスタと時計台の下まで歩いて進んでいく。

その後ろを、黙って着いてく俺。

横に並んで歩いていたあの頃と違い、足一歩分の距離。

この距離の理由を、はっきり言わずにいた俺に、引導つけろと。
バレンタインの時に、青子はそう、覚悟をしたんだろう。


真っ直ぐなとこは、変わんねぇよな。



丁度時計台の扉の前に着いたところで、くるり、と青子はこちらを振り向いて。


「私、中森青子ってんだ!よろしくな!」


そんな出会いの時の俺の言葉を真似た台詞とともに、ぽん、と差し出される花。


思わず、笑ってしまった。




そっか。
あん時からもう、10年経ったんだな。



「──振り向く前にポケットに手突っ込んだのがバレバレだっつの。ガキの頃の俺のが万倍上手かったぞ?」

俺のダメ出しに、青子がわかりやすく頬を膨らませた。

「そりゃそうでしょ。あの頃の快斗は綺麗なお姉さん見たら、所構わずそうやって花配りまくってたんだから!」

経験値が違う!と叫びながらも。

「アホなことばっかりする快斗を、怒鳴りながら追いかけてばっかだった。笑いあったり、たまにケンカしたり。きっと、そうやって快斗が横に居るのが当たり前のことだと。そう思っちゃってたんだろうな」


また、どこか大人びた柔らかな、何かを堪えているような笑みを作る。

俺の知ってる青子は、泣いて笑って、怒鳴って、どこか子供っぽさの抜けない女の子で。

俺の方こそ。
ずっと、青子は青子のまんまだって。思っちまってたんだろうな。


「──わりぃ。多分俺、青子はずっと、変わんねぇって、甘えてたな」

「青子もね、多分、快斗は私の隣にずっといるって。いつのまにか、勝手に思っちゃってた。…快斗に彼女が出来たって聞いた時ね。なんか、もやもやってして。そっからずっと考えてた。青子は快斗の何なんだろうって」

「…大事な、幼馴染だぜ」


俺の返事に、眉を下げて笑う。
例え、青子を傷つけてしまうことになってしまっても。
こうとしか、俺には言うことが出来ない。
明確な線引き。
青子は、どこまでも、俺にとっては幼馴染で。


青子より、誰より。
一緒に居たい人が出来てしまったから。



「ふふっ。『ただの腐れ縁じゃねぇかよ』とかって以前の快斗だったら言いそうなもんのに。──そんな風に、なんだか最近、青子の知らない快斗が、垣間見えてさ」


そこまで言って、ふーっと、大きく息を吸い込んだ。


「──ね。この一ヶ月、少しは、青子のこと意識してくれた?」

「…そりゃ、な」

「じゃあ、良かったかな。快斗ばっかり、変わって行くのがね。多分凄く悔しかったんだよ、青子。…だから、ちゃんと、区切りつけて、前に進まないと、って」

ぎゅ、と瞳を瞑った青子は、ふぅー、とまた深く深呼吸をして、瞳を開けた。
その瞳が紅くなっていることに、気付かない程すっとぼけてはないけれど。


…俺はもう、その涙を止めるために、この手を差し伸べてやることは出来ねぇ。




「──俺、守りたい奴がいる。誰よりも、大切な。…だから、ごめん」

「──うん。…ありがと」



何も、感謝されることなどしていないのに。
少しばかり俯いて俺の言葉を聞いてた青子は、そこで顔を上げて、綺麗な笑顔を見せた。


「はっきり言ってくれてありがと。うん。これでスッキリした!青子だってちゃんと、分かってたよ!だって、快斗がすこーしだけ、ほんのちょみっとだけ!大人っぽくなった理由の女の子でしょ?」


そりゃ、大切な人だよねぇ。

そう、揶揄うように笑う仕草は、この話はこれで終い、ということだろう。


何が変わるわけじゃない。
俺と青子が、幼馴染なことは変わらない。


ただ、その線をよりはっきりと、色濃くしただけだ。


「ほんのちょみっとだけって強調すんじゃねぇーよっ。おめぇも、ちぃっと大人になったかと思えば、大事なところは全然まだまだ発展途上じゃねぇか。バイクの後ろにヤロー乗せてんのかと思ったぜ…」

「なっ!ぶつよ!」

「もう打ってんじゃねえか!しかもグーでっ!」


そうして、今までと変わらないように、けたけたと笑いあう。

青子が嫌いになった訳じゃねえんだ。


ただ、他の誰とも比べられない人が、出来ちまっただけで。


笑顔を守りたくて、俺以外のヤツに、誰にも泣き顔を見せたくない人が。



「…大切なヤツだよ。すっげぇ」



呟いた言葉は、青子にしっかりと届いていたらしく。



「あーあ!ご馳走さまです!ほら、どうせ今日会う約束してるんでしょ!とっとと行った行った!」

そう、犬猫を追い払うかのように手を振られて。苦笑しつつも、青子の頭をぐしゃりとかき混ぜた。

「…おめぇも、大事な幼馴染だかんな。俺程の良い男は中々いねぇとは思うけど、もっと良い男みつけろよ?」
「ふんっ!快斗より良い男なんて、35億程いるよっ!」


そうして振り払われた手とともに、こちらに顔を向けなくなった幼馴染に、ごめんな、と心の中で謝って。


「チョコ、旨かった。サンキューな」

「…早く行け、バ快斗」


すん、となる鼻の音は、聞こえないふりをして。







ゆっくりとその場を離れ、見えないところで、携帯を弄ぶ。

長年の付き合いなんだ。これくらいの世話焼きは、許してほしい。



…じゃな、青子。


そう心の中でひとりごち、その場を離れた。