#82
──頭がガンガンする。
泣きすぎたせいか。
…幼馴染の女の子をバイクの後ろに乗せてたくらいで、こんなに大泣きするなんてなぁ。
自分のメンヘラっぷりにドン引きだ。
生理的欲求の為に部屋から出ると、辺りがすっかり暗くなっていて、少し驚いた。
カタツムリが殻に籠るように、布団に包まって過ごしていたので。
…今何時だろ。
どんだけ泣き続けてたんだ、私。
あの後。
緑水さんに「どーする?」と聞かれ、「とりあえず、降りようかな。ありがと」とさっさと車を降りようと車のドアに手をかけた。
とにかく早く1人になりたくて。
「──杏ちゃん、それはダメ」
低い声で、緑水さんが扉を開けようとした私の腕を掴む。
「俺と逃避行するか、このまま黒っちの後追いかけるか。どっちかにしよ?」
「…どっちもヤだ」
俯きながら掴まれた腕をやんわりと離してそう応えると、車が動き出した。
「…やだってば」
思わず拗ねたような声を上げる私に、盛大なため息を吐く音が届く。
「1人になりたいのは分かったから。せめて、安全な場所まで送らせてちょーだいな。…まーったく杏ちゃんは妙なところで頑なで弱々だから。『お兄ちゃーん!快斗君がー!!』って素直に俺に泣きついてくれればいいのにねぇ」
こんなに包容力抜群な色男がとなりにいるってのに。と、ぶつくさと言いながらも。
片手ハンドルをしながら、頭をぽんぽん、と優しく撫でられて。
緑水さんの、らしい優しさに、鼻の奥がツンとなる。
だけど。
──お願いだから、泣き顔は俺にだけ見せて?
そんな快斗君の言葉が、まだ私の頭に馬鹿みたいに残っていて。
泣いてたまるかと、目を乾かすように見開いた。
そんな私の様子を横目で見た緑水さんが、どこか呆れたように笑っていた。
──まあ、そのまま真っ直ぐ家まで送り届けてもらった途端、布団の中でガン泣きしちゃったんだけど。
もはや、なんで泣いてんだろって自分で疑問になるくらい泣いてしまった。
一人で泣くのはノーカンだろう。人に見せなきゃいいんだ、うん。
きっと。
私は自分で思っている以上に、自分のこの体質を惨めに感じていたんだろう。
頭の中がぐちゃぐちゃになりながら、布団の中で大泣きしていた自分を反芻する。
快斗君のバイクに当たり前のように乗れるあの子が、羨ましくて、凄く妬ましくて。
そう感じる自分が、酷く惨めだったんだ。
…自分でも、心の狭さに嫌気がさす。
こんな状態では、とてもじゃないけど快斗君と会うことなんて出来やしない。
──そういえば。
ドタキャンしたことになるんだ。
緑水さんが「俺が上手く言っといたげる」と言ってくれた言葉に甘えてしまったけど、大丈夫だったかな。
快斗君心配性だから。余計な心配してないといいんだけれど。
…とりあえず、もうこのまま1日寝て頭冷やそう。
目元も冷やさないとな。
まあまずは水分補給か。泣いたりなんだりで、喉がカラカラで痛みまで訴えている。
そう、リビングに入って明かりを点けた瞬間。
窓に映る影を見つけてしまった。
「…!!」
窓のカーテン越しに見える、優雅な佇まいのシルエット。
シルクハットに、マントがたなびくその影は──。
コンコン、とどこか遠慮がちに窓をノックする音は、私がここに入ってきたのに気付いているんだろう。
そりゃそうだ。たった今明かりがついたんだから。
いつもだったら、一目散に窓の鍵を開けに行くであろう私が、ぴきりと固まってしまい全く動けない。
──だって。
ただでさえ誰にも会いたくない状態なのに。
キッドさんは、快斗君なんだもん。
…正直今は、一番会いたくない。
今の精神状態じゃ、快斗君に会っちゃったら、何口走るかわかんないよ。
こうなれば無かったことにしようと、動揺した頭で、とにかく灯りを消そうとスイッチに手をかけた。その時だ。
「──その警戒心は、良い心がけだと思いますが」
…!!いつの間に!?
スイッチに手を伸ばした私の手首を掴む、その手袋越しの掌は、白い手袋も相まってか、雪のように冷たくて。
──一体いつから、ベランダに佇んでたんだろう。
罪悪感と色んな思いがない交ぜになり、ぐわんぐわんと、頭が重い鐘の中にいるように回ってく。
「今日はでも、その氷のように冷えて硬くなってしまった心を、この怪盗に、少し溶いてもらっても宜しいでしょうか?」
「──っ」
続け様に言われた言葉に、私が今日ドタキャンした理由がバレていることを悟った。
──緑水さんめ。何が上手く言っておく、だ!
なんか余計なこと言ったに違いない。
まさか快斗君がキッドさんの姿になって、家に侵入までするなんて!
「…もう、顔も見たくない?」
思わず顔を逸らした私に、どこか寂しそうな声が届く。
思わず顔を上げると、モノクル越しの瞳とかち合って。
澄んだ蒼い瞳が見えた気がして、感情が大きく揺れそうになる。
慌てて俯いて視線を逸らし、ふるふると首を振った。
とにかく。部屋を暖めよう。
ぐるぐるしてる頭で思い浮かんだのは、とりあえずそれで。
一体いつからベランダにいたんだろう。春だって言っても、まだ3月半ば。朝晩はとても寒いのに。
冷え切ってる身体を、少しでも暖めてもらわないと。
スイッチ横にあるエアコンのリモコンを入れようと腕を伸ばすと、離すものか、とでも言うようにさらに強く握られた。
その痛いくらいの力強さに、少し驚く。
…腕が動かせない。
「──あの、エアコン、を」
「…ああ。すみません」
言いながらも、全然握られた手は緩まない。そうしてそのまま、キッドさんがエアコンを付けて。
そのまま、視界が真っ白に染まる。
ひんやりとした身体に包まれて、思わずぶるりと震えてしまった。
本当に冷えきってる。
…私がぐだぐだ凹んでるせいで、だよね。
ああ。ほんと最低最悪だ。
自分をぶん殴りたい。
「大切な人が、傷付くことにも気付かない、この哀れな怪盗に。──どうか。その瞳がルビーのように紅く染まっている理由を、話して貰えませんか?」
気障な物言いに、思わずへにゃりと情けない笑みを形作る。
ああ。今は上手く笑うことすら出来ない。
「キッドさん──そんな言い方じゃ、自分が快斗君だと言ってるようなものだよ?それとも」
──気付かない振りをしてあげた方が良かった?
続け様にそう言ってしまった私は、やっぱり今日は会わない方が良かったな。と後悔に陥る。
こんな、嫌な言い方しか出来ないなんて。
キッドさんになってまで、快斗君が来てくれたというのに。
心の底から情けないけれど。
心の余裕が、今は本当に無い。
快斗君に会ったことで、黒いもやのように渦巻いてる、私の心の醜い部分が、爆発してしまいそうだ。
「──ごめん」
再び届いた声は、まさしく快斗君の声色そのままで。
ぎゅ、と再びつよく抱きしめられて、びくりと思わず身体が震えた。
「こういう時こそ、なんかこう、マジックのひとつでもして杏を笑顔にさせるとこなんだろうけど。つうか、いつもだったら、そういうの得意分野なんだけど。杏に見限られたらどうしようって、頭真っ白で。わりぃ。なんかもう、自分でも何でキッドの姿で来てんだかわかんねぇや。キッドだったら、受け入れてくれるかなって、弱っちぃこと考えてたのかも知れねぇ──なんも、杏に伝えてもねぇのに、な。やらしいやり方してごめん」
そう言いながら、ふー、とため息を吐く音が聞こえる。
快斗君が謝ることではない。頭の中の冷静な一部分はそう訴えているけれど、今の私は、そんなフォローすら入れれなくて。
ただ、黙って腕の中で固まっている事しかできない。
なにか、1つでも動いたり口に出すと、いろんな気持ちが爆発してしまいそうで。
「──な。頼む、俺にちゃんとぶちまけて?俺、どうしよーもねえほど間抜けだから、杏が嫌だと思うこと、ちゃんと気付いてやれねぇ。何言ったって、どんな悪態つかれたって受け止めるから」
あ、でも「嫌い」はしんどい。多分泣く。
そう苦笑する息遣いが、頭上から届く。
言えって。
言えるわけないじゃない。こんな、みじめな、醜い心。
ふるふると、腕の中で首を振る。
すると、顔を両手で持ち上げられた。
「じゃあ、杏一人でそんなに瞳を真っ赤に染めて。泣き腫らしたような顔してるくせに、明日にはいつもの顔して笑うつもりだったんだろ。杏は本当にそんで良いと思ってんの?俺が何したって、なんも言わねぇの?」
目線を無理やりに合わされて。
モノクルの奥に見える真剣な蒼い眼差しが、ぼんやりと滲んでいく。
だって。
じゃあ、どうしたらいいの。
何言ったって、私が惨めなだけじゃない。
こんな、言ったってどうしようもないこと。
だったら、全部くるんで、隠して。
笑って何事もないって顔して、そうして貴方と一緒にいられるんなら。
そうした方が、よっぽど良いから。
だから会いたくなかったのに!!