#85






「え。ん、んぅっ」



ひやりと冷たい唇が触れたと思った瞬間。口の中に熱い舌が侵入してきて。
歯列をなぞられ、からだが震えた。


抱き合って背中に回されていたはずの手が、いつのまにか上に上がってきて、耳たぶをくすぐってくる。

つるりとした手袋の感触が、耳のまわりをなぞり。
ぞわりと背中が粟立つ感覚に、背筋を反らしてしまう。

そんな私の反応に、喉の奥で笑う音が聞こえて。


熱っぽい、快斗君のようでいて、どこか大人びたキッドさんの声が、口付けの合間に届いた。




「──どう?二度、美味しいですか?」




ばふん、と自分の顔から爆発音が聞こえた気がした。




色を孕んだ快斗君──キッドさんの蒼い瞳が、蕩けたようにこちらを見つめてくる。


「ルビーのように紅くなった瞳も、唆られるんですが。やっぱりこうして薔薇色に染まった杏さんは、ひどく煽情的で、可愛らしい」



快斗君だっていうことは頭ではわかってるのに。

今、私を翻弄しているのはキッドさんだぞと、ミーハーな心臓が飛び跳ねて大変なことになっている。

誰か私に心臓のストックを頂戴…!



頬を舐め取られ、そのまま耳元へと、舌が這う。

耳の中に直接届く、舌が這う水音。


くちゅりと、舌が耳の縁から奥へとなぞっていく。
びく、と身体を揺らすと、私の反応にふ、と笑う息が、耳の中にかかって。


頭がぼーっとしてしまう私に、ひんやりとした手袋越し手が、上着の裾へと侵入してきた。
んん、と甘えるような声出して、その白いタキシードの襟元に縋りつく。



「──困りますね」

「…?」


耳から離れたキッドさんが、ぼそりと呟いたので、顔を上げた。


「杏さんの熱──このまま、全て奪ってしまいたくなる」



欲情を孕んだ、掠れた声で。

杏、と名前を呼ばれ。



再び唇が重なり合う。

溺れてしまいそうなほど、口内の深くまで、キッドさんか舌が巡る。



その身体はまだひやりと冷たさが残っていて。
今私に触れているのは、いつものお日様みたいな快斗君じゃなくて、冷たい夜の空気に溶けるキッドさんなのだと。


まるで、わからせようとしているかのようだ。





そう。
今、私を翻弄しているのは、間違いなくキッドさんで。


モノクルのチャームが、頬に触れる。それくらい、深い口づけを交わしているのだと、クローバー柄のチャームが教えてくれているみたい。


キッドさんと、いやらしいキスをしているのだという事実が、私の心臓をドクドクと波打たせているのだ。



冷たいシルクの手袋が、私の背筋をなぞりあげて。
その動きを敏感に感じ取って震えれば、それに気付いたキッドさんの舌が、上顎をなぞって私を更に追い立てる。


「ふぁ…んんっ…」


くちゅりと水音を立てて、唇が緩く離れた。
ぽーっとなって、その唇を思わず目で追ってしまう。

どこか意地悪な顔をして、キッドさんが私の表情を見て喉の奥で笑う。


「そんないやらしい顔をして。杏さんの身体は、暖かくて、気持ちが良い──触れる先から、どんどん熱くなっていくみたいだ」

「だ、っ…って」



キッドさんにそんなキスされて、やらしく背中をなぞられてれば、そりゃあ火照るよ。



「…キッドの俺だと、いつもより感じちゃう?」

「──!!」



そこで、快斗君の声にもどったキッドさんが、そんなことをのたまって。
驚く間もなく、そのまま唇が首筋へと這っていく。


動揺したのも相まって、我慢できずに鼻にかかるような声を漏らした。


首筋で、笑う吐息を感じて、また身体がわかりやすく震えてしまう。
まるで先ほどの言葉を肯定してしまうような、私の身体の反応に、頬に熱が集まるのがわかる。



──うう。だって。仕方ないじゃんか。

いつもの快斗君とは、やっぱりなんか違うんだもん!


どっちがどう、とかじゃない。

こういう時の快斗君はたしかにいつも色気が半端無いんだけど。



ただ、キッドさんは反則だ。
誰がなんと言おうと反則だ。



お腹の奥が、じんわりと、熱を帯びる。

物欲しそうな顔を、きっと、してしまっている。


ちらりと上目で、キッドさんが私を見て。背筋をなぞっていたその手が、脇腹から前の方がへと沿っていく。

その動きに、どうしても期待をしてしまう私の胸は、指の感触を敏感に感じ取って。



「本当、やらしい顔」



そうして鎖骨をなぞられて、その手袋越しの指が、膨らみをなぞり──。


んん、と思わず甘えた声を上げた、その時だった。





「たーだいまーー」





ぴたり。と二人して動きが止まる。






「杏起きてる?なんか緑水君が杏ちゃん具合悪そうだったから、ここは俺に任せて早く帰ってあげて下さいって言ってくれてね。それでも緑水君が暫く行方くらましてた所為もあって、遅くなっちゃったけど!具合大丈夫かい?色々栄養のあるもの買ってきたよー!」



なんやら玄関先で、わやわやと喋りながら、靴を脱ぐ音が聞こえる。


緑水さん…心配して、お父さんを帰らせてくれたのかな。

そう、私が思うと同時に、首元で舌打ちが聞こえた。



「…あの野郎」

──絶対ぇわざとだろ!!


まるで地獄の使者かのような憎憎しげな声が、キッドさんな快斗君から聞こえて。


あー。そっちかもしれない。と、緑水さんの性格上思い当たる節がありすぎて、思わず声に出さずに笑ってしまった。



そうしてあっという間に、バタバタと扉の前までお父さんと思しき足音が近づいて来て。


この状態、なんて言おうか。と、覚悟を決めたその瞬間だ。



ちゅ、と唇に柔らかいものが触れ。



──この続きは、またの機会に。



そんな、甘さを多分に含んだ声が、耳元に届くと同時に。

ガチャリと扉が開いた。





「大丈夫かい──って、杏?こんな扉近くにしゃがみこんで…」

「──ん、ごめん。大丈夫だよ」


扉が開く寸前に。
消えるように、一瞬で快斗君は姿を消して。


流石キッドさんだな、と頬を抑えながら感心してしまう。



お父さんは私を気遣わしげに見やりながら、なんだか色々入ってそうなビニール袋をテーブルに置いて。



「なんか食べれそうかな?んー、でも早く休んだ方がいいかもね──顔が真っ赤だ。熱があるんじゃないかい?」

「だい、じょぶ。うんありがと、もう、寝るね!」



バタバタと、急いで部屋へと向かう私に、ゆっくり休みなさい。と後ろから声が届いた。






ばたり、と部屋の扉を閉めて。

ふう、と大きくひと息。



──まだ熱が燻っている。



「最後の最後まで、翻弄するよなぁ…」


またの機会…どうなっちゃうんだろうなんて。



期待してしまう私は、とんだどスケベだな、と。真っ赤な顔で枕に突っ伏したのであった。