#86



春休みがやってきた。

まあ、春休みと浮かれてばかりもいられない。
なんといっても、次は3年生。

そう。高校生最後の年。最終学年だ。
進学か、就職か。

一応進学校ではあるので、多数の生徒が受験モードへと切り替わっていくんだろう。
私も一応進学コースだ。


…進路か。
行きたい大学も決めてなければ、将来やりたい事、なんてまだ深く考えたこともなかったけれど。

そもそもこんなドジで、仕事とかちゃんと出来るんだろうか。
外回りとか、ドブにはまって遅刻しました…なんて、笑えないよね。


そこでふと、快斗君のお嫁さんになっている未来が頭に浮かんで。


──黒羽杏、か。
あ、意外にしっくりくるかも。


と、そこまで妄想してぶんぶんと頭を振った。


…わー!わー!!!
何考えてんだか!バカ!

進路!進路のこと考えてたはずなのに!


浮かれすぎ!この風船並みの脳みそめ!



ま、まあ。まだ春先だし。ゆっくり考えよう。うん。


今日は快斗君と一緒に、めいっぱい楽しむ予定で来たんだから。

とにかく今日は進路とか、先のこととか、何も考えずに楽しみたい。



天気は晴れ。

心地よい陽射しに目を細めた。
















感情が大爆発してしまったホワイトデーの後。


快斗君は、その翌々日にうちにご飯を食べにきて。
どこか照れ臭そうに、「よ」と頬を掻きながら我が家へとやってきた。


その様子に、キッドさんとのあれやこれや、あの日の私のひどい有り様までも思い浮かんで、私も思わず、うわあと顔を両手で覆った。

恥ずかしいし、居た堪れない…!


どこかぎこちなさを残しつつも、お互いにいらっしゃい、お邪魔しますのやり取りをして。

まあ、そのあとはお互いすぐにいつも通りになったんだけどね。




本当にバイクに乗らずにやってきたらしく、そこまでしなくても、と顔を暗くした私に、快斗君は笑った。


「これは俺なりの勝手なケジメだから。杏は頼むから気にしねぇで、な?──ま、あれだ。俺にはハングライダーもあるし?」



当たり前のように、キッドである自分をそうして話してくれるようになったことは、ホワイトデーからのちょっとした変化だったりする。








「そういやさ。杏、学年末の期末考査は無事赤点回避出来たか?」


夕飯の豚の角煮を食べながら、快斗君がそんなことを聞いてきた。


黒羽大先生にちょくちょく勉強を教わっているので、最近はミニテストでも補講行きのチケットを握ることなく。
もちろん今回の期末もオールクリアだ。

なんなら平均より上を叩き出したしね!

へへん。もう赤点に泣いてたあの頃の私ではないのである。
私は得意げになって「もっちろん!」と応えた。

「おおー」

ぱちぱちと、拍手をもらい、すっかり鼻高々だ。調子に乗って、えっへんと胸を張る。

「もう、Xデーって快斗君に泣きついてたあの頃の私とは違うのですよ!」

「あの公式を迷宮入りさせてた杏ちゃんが、よくぞここまで…立派になって…!」


先生嬉しいっ!
と演技くさく快斗君がティッシュを目元に添えて泣き真似ひとつ。

そんな様子に、私はさらに得意げになるわけで。


「もう、快斗君というナビゲータをインストールしたからね!公式迷子で路頭に迷うことはないんだよー!」

いやもう、黒羽大先生様々です、はい。

「そりゃ良かった。…でもそうか。杏は俺のナビゲータとしての頭脳と、身体だけが目当てだったのね…!」


よよよ、と次はどこぞのOLのような声色で泣き真似をし始めた快斗君。
…さしずめ私はヒモかなんかか。

コロコロとよくもまあ、次々と声色を変えれるもので。
さすが怪盗キッド、演技派ですな。




「…まあ、冗談はさておき」


そこでけろりといつもの調子に戻した快斗君が、泣き真似に使用していたはずのティッシュを、くるくると手のひらの中に丸め出した。


ちょいちょい、と指で呼び寄せられて。
その握られた掌に注目する。



そうして、反対の指でトントントン、と握られた掌を叩いた瞬間。


ポンっ、とその掌の中身が長四角の封筒に変わっていた。




「──わぁ!」



簡単にこういうことしちゃうんだから、快斗君は本当にすごい!


ティッシュは一体どこへ消えたんだろう。
思わず包まれていたはずのティッシュを探してきょろきょろする私に、快斗君が苦笑した。


「杏ちゃん杏ちゃん、出来ればこっち注目して?」


言われて、快斗君の手の中にある、変化した封筒を注視すると。

JRの文字。





「開けてみて」

「う、うん」



ドキドキと中を開いてみると。

日本一の山を望む県への、新幹線のチケットが、2枚。



驚き目を見開く私に、快斗君がいたずらに蒼い瞳を煌めかせる。



「春休みの補講も無さそうだし、さ。春休み、一緒にちょいと遠出しませんかね?」

「い、いく!」


二つ返事で頷いた私に、快斗君が嬉しそうに破顔した。














まあ、そんなこんなで。

4月初旬の今日。ボストンバッグを片手に旅行へ行くことになったのであります。


クリスマスと違い、頑なに迎えに行くからな!と叫んでいた快斗君がお家に迎えにきて。

この日はたまたま、お父さんが夜勤明けで家にいたので。
快斗君が「お嬢さんお借りしてきます」と丁寧に挨拶していた。

うう、こういうちゃんとしたとこも、快斗君のかっこいい所だよなぁ。

きゅう、と心臓を絞られてると、ぽつりと届く声。


「…僕も一緒に行こうかなぁ」


そんなことをのたまい始めたお父さんに、快斗君はにっこりイイ笑顔で微笑んで。


「── 今 回 は、邪魔はなしですよね?」


その笑顔に、お父さんの顔が青白くなったのを、私は見た。

そうして「もちろんです!いってらっしゃい!」と掌を返したように手を振り送りだされたのだけれど。


──はて。『今回は』とは?無性に強調しているように聞こえたけれど、気のせいかな。


そんな疑問はあれど。
有無を言わさない笑顔でのやりとりに、深く考えるのはやめにしておこうと思いました、はい。









「うっわー!!すっごい!見てみて!富士山!」

新幹線の中から見えた富士山に興奮している私に、快斗君が缶コーヒー片手にけけっと笑う。

「そりゃな。見えるだろ」

今から行く県にあんだから。


そんな冷静に答えられてしまったけれど。
何気に富士山を拝むのが初めての私は、興奮が収まらない。


さすが富士山だ。日本一だ。世界遺産だ。

思わず窓に張り付いていると、快斗君が思い出したように言葉を切り出した。



「あ、そうだ。あれだせ。今日行く泊まるとこ、温泉施設があって。露天風呂から富士山見えるんだとよ」
「え!すごい!」


「──貸切露天風呂、な?」


にっこりと、いい笑顔で笑う快斗君に、窓を眺めながらうんうんと頷いていたけれど。


ん?
ええと。あれ?

貸切露天風呂って、ことは。


…一緒に、入る、というやつでしょうか。


一瞬にして、バレンタインデーのお風呂の出来事が頭をよぎり。


一気に顔に熱が集まるのがわかった。




そんな私の様子をみて、「あれ、杏ちゃんエロいことでも考えた?やーらーしー」とにやりと口角を上げて、小声で聞いてくる快斗君に、熱くなった瞳でジト目を返す。


まったく!誰のせいだと!





「──あ。そういえば。私電車の切符しか結局見てないんだけどさ」


どこ行くの?

そう続けて聞いた私に、快斗君が、にかっと笑った。



「まあまあ。行ってのお楽しみってことで!絶対杏好きだと思うぜ」


なんだか楽しそうな感じの快斗君に、つられて私も笑顔になる。



だって快斗君だ。
絶対楽しいに決まってる!




そうして、ウキウキと弾む胸とともに、春休みの旅行は始まりを告げた。