#87



「とりあえず、目的地の前に腹ごなしでもすっか」

駅に到着して、快斗君はまず始めにそう言った。
お腹が空き始めていた私はわーい!とその言葉に弾んだ声を上げる。


「何食いたい?」
「なんかね!有名な天丼のお店があるって!」


この地に来るということは前もって聞いていたので。
旅先のご当地グルメを調べるのは、鉄則ですよ、はい。


調べて興味が湧いた、かき揚げが15センチくらいタワーになってドーン!と真ん中に鎮座して、周りにエビやらナスやらの天ぷらが、まるでかき揚げを讃えるかのように添え物として飾られてる、見た目インパクト大な天丼のお店。

嬉しそうに、グルメアプリを開いてその画像を快斗君に見せると、「おお。すげえ!」と乗ってくれて、なんだか嬉しくなる。

こういう時、一緒にテンション上がってくれるの、嬉しいもんだよね。


軽く地図をみただけでもう場所を理解したのか、すぐに私に携帯を「ん」と返してきて。


「え、地図大丈夫?」

「おお。大体わかった」


すごい。男の人だからかな。
地図さっと読めちゃうとか。なんかかっこいい。

と、思いがけずにきゅんポイントが上がっていると。


「んじゃ、行くか」

そう、差し出される手のひら。



いつだって当たり前のように差し出されるこの手のひらに、毎度毎度私がどれだけ喜んでしまうか、きっと快斗君は知らないだろう。


付き合う前から、この手はいつも私を支えてくれて。


…この体質で唯一得したな、と思う部分だ。

こんなおドジじゃなかったら、きっとあの日、あの場所で。
何も気付かず、ただすれ違うだけで終わっただろう。

こうして快斗君と一緒にいれる日々は、きっとなかった。


今だってそうだ。

こんな風に、毎度毎度手を差し伸べてくれるのは、きっとドジな私に対する過保護なおかんモードのおかげで。

過保護だなぁ、と思わず苦笑しちゃう時もあるけど。

どんな時も差し出される、魔法使いのようなこの手のひらは。
私にとって宝物なんだ。


手を伸ばすと、ぎゅ、と包まれるように握られて。

あなたの手に、私は心臓ごと鷲掴みにされてるんだぞ!と心の中で快斗君に向かって呟きひとつ。


「どした?」

「ん、なんでもない!」


恥ずかしいので、そんなこと、面と向かってなんて言えないけれど。

快斗君の心臓も、わし掴めたらいいのにな。と願いを込めて。
その手をぎゅ、と握り返した。










見た目の通りものすごいボリュームだった天丼で、お腹が苦しくなりながら。

快斗君は俄然平気そうで、私の様子をみて「だから無理して全部食うなっつったのに」と苦笑してる。
だって、いけると思ったんだ。いや、さっくさくで、かき揚げの中にホタテとか入ってて、最高にいけてたんだ。
そう。今が苦しいだけで。
タワー丼完食しないなんて、私のグルメ魂が泣く!


快斗君は大盛り頼んでたくせに、ぺろりだもんな。こんな細身なのに。
うちでも沢山食べてくれてるしなぁ。

うーん。男の子って本当すごい。




そうして満腹中枢を刺激されながら、電車とバスを乗り継いでやってきたその場所は。
なんだか大きなテーマパークのような所で。


思わずうおお。と入り口で声を上げてしまった。


入り口前でもわかるくらい、広大な敷地の先に、なんだか巨大なテントのようなものが見える。

そう、まるで、とても大きな、サーカスのテントのような建物。なんだろあれ。

先に見える入場門には、ピエロのような格好をした人が、バルーンアートを披露しながら、お出迎えをしている姿も。


「え、サーカス?え?テーマパーク?ピエロだ!あ、風船かわいい!」


きょろきょろしながら、思ったことを叫びまくりで興奮気味の私をよそに、快斗君は門でバルーンアートを作っているそのピエロに、なにやら招待状のようなカードを見せていた。


「Bon reve! 」


大きく描かれた赤い唇ににっこりと弧を描き、ピエロは、わたわたしている私にバルーンで出来たウサギを手渡して。


ぽん、と背中を押され、門の中へと勧められるまま入っていく。


「風船、すごい。うさぎ、可愛い…」


きゅきゅきゅ、ぽん!って簡単に作っちゃうんだもん!あのピエロさん。すごい。
そうしてうさぎに目を奪われていた私が顔をあげると、辺り一面に広がる光景にまた驚いた。



緑が綺麗に讃えられた遊歩道のような広い道。
遊歩道の続く先には、門からも垣間見えた、サーカステントの形を模した大きな建物が。

遊歩道ではジャグリングをしている人や、カードマジックを披露する人。
はたまた犬がなんか玉乗りしたり。トイプーかな。かわいい!

どこぞの国の民謡のような陽気な音楽が、アコーディオンとハーモニカで演奏してる人たちから聴こえてきて。


「す、すっごい…!」


まるでワンダーランドに迷い込んだかのような世界観に、思わず息を飲んだ私に、快斗君の声が届いた。



「──いろんなパフォーマーが集う、テーマパークみてぇな複合施設を作りてぇって、夢みてぇな話をさ。俺がちっちぇえ頃にうちの親父とグレイさんが、酒飲みながらよく喋ってて」


すっかり辺りに釘付けだった私は、その声に合わせて快斗くんの方に顔を向けると。

蒼い瞳を細めて、サーカステントっぽい建物の方を見上げていた。


「キャンパスノートに酔っ払いながら、みみずみてぇな字で企画図書いて。ああでもないこうでもないって、二人でなんかやってた程度のもんだったのにな。まさか、まじで実現するとは思わなかった。グレイさんのマジックのファンが、たまたまアメリカのテーマパークとかそういうのを運営する会社のまあまあいい役職の人だったらしくて。スポンサーにつけたんだと。あのおっさん、口上手ぇからな」

「え。じゃあ、ここって…」



クリスマスの日の、ホテルでのマジックショーを思い出す。

快斗君のお父さんの旧友という、日本でも有名なマジシャンのグレイさん。

快斗君の口ぶりでは、あの人がここに一枚噛んでいるという感じで。


そうか。グレイさんと──快斗君のお父さんが。

来る人を楽しませる、こんな驚きと興奮の世界を、構想していたんだ。
すごい。やっぱり、快斗君のお父さんはすごい人なんだ。

そりゃあ、快斗君が尊敬するくらいだもんね。ステキなお父さんだったに違いないよね。


どこか眩しそうな瞳で、周りの景色を眺めながら、快斗君は言葉を続けた。


「そ。あの人が監修してんだな実は。あのでっけえサーカステントみてぇなとこが、メインの宿泊施設と、バイキング形式の食事処と。ほんで多目的なステージ会場があんだってよ。そこで毎夜サーカスとかマジックショーが行われるらしい。んで、泊まれるとこはそこだけじゃなくて。俺らが今日泊まるのは、あっちの方」


そう、あの大きなサーカステントっぽい建物の奥を指差して。

奥の方には、丸い屋根の形をした、小さなロッジのような建物が、いくつも建ち並んでいた。

「ヴィラっつーんだってよ。あっちはあっちで管理棟があるらしーから、とりあえず荷物預けに行こうぜ」


思わず口をあんぐりと開けたまま、こくこくと頷いて。


「──まあネタバラシすっと。実はグレイのおっさんがさ、ここのプレオープンの招待状、杏と一緒に。っつって送って来たんだよな。杏との旅行だってのに、俺がなんも企画したわけじゃねえのは、なんかアレなんだけどさ」


ぽりぽりと頬を掻いて、快斗君がこちらへと視線を向けた。
私の大好きな蒼い瞳が、優しい色をして私を映している。


「グレイさんと──俺の親父の。飲みの席での与太話の先の、おとぎの国。…せっかくだから、めいっぱい楽しもうぜ?」

「うん!」


にっこりと笑うと、快斗君も嬉しそうに微笑んだ。








管理棟で鍵を貰って。

カラフルな丸い屋根の、小さな一軒家調のヴィラがいくつも建ち並ぶこの辺りは、まるでどこかの国の小さな村の様。

緑も多いし、あれだな。
なんとなく、ドラゴンをクエストする、かの有名なRPGゲームの村を探索してるみたいで。なんかちょっと歩いてるだけでもたのしい。
多分飾りであろう、ワイン樽のようなのが家の端に置いてあったりするけど、ああいうのガサゴソ探したら、回復薬とか出てきそうな雰囲気。

ヴィラの合間に小さな公園のような場所もあったし。子連れでも楽しめそうだ。

地図を頼りに、鍵に書かれたC棟1412号の場所へと行くと、青い丸屋根の可愛らしい建物が。
扉横の表札に、鍵と同じ表記があるのでここだろう。

すごいなぁ。小さいけど、なんか別荘みたい!



「わぁ!すごい!」


鍵をかちゃりと開けると、中はワンルームの、どこか北欧調の部屋になっていた。


丸い形の屋根そのままの、丸く広がった天井には、なんやらカッコいい形の照明器具が吊り下がっていて。

はー。なんかこういうのお洒落な雑貨屋さんで見たことあるぞ。
おおー。しかもロフトまである!すごい!

ワンフロアの広い室内に、軽く軽食でもとれそうな、小さめのキッチンまでついている。

暖色のソファに、オークのテーブル──そしてその先の大きめのベッドがひとつ見えたところで。

思わずきょろきょろしてた視線がぴくりと固まってしまった。


いや。もう、あれなんだよ?何度も身体は重ねてるんだけど。



なんだかほら、やっぱりこういうの見るとさ。
ちょっとどきっとしちゃうよね。



快斗君がソファに二人分の荷物を置いて、きょろきょろと辺りを見回していた私の方へと近付いてくる。


「すげえな。ほんとワンルームの部屋みてぇな感じ」

「ね!」


どこかそわそわしてしまいながらも、快斗君の言葉に返事をひとつ返して振り向いた。

瞬間。
ぐ、と引き寄せられる腰に、わ、と思わず開いた唇の中へと、すぐさま入り込んでくる柔らかな舌。


「っん…っぅ…」


いつもより、どこか性急さを感じさせるそのキスはでも。簡単に私の脳内を甘く痺れさせていく。

舌の付け根を嬲るように擦られて、ぞくりとするままに鼻にかかるような息を漏らしながら。
その舌に自分のものを重ねるように這わす。

絡むように舌を重ね合わせて、快斗君の背中へと腕を回すと、私の耳裏を抑えていた手が、まるでよく出来ましたというように、優しく私の髪をなで付けた。


息すら止まる、いっぱいいっぱいだった最初の頃よりは、少しはマシになってるかな。
だといいのだけど。


甘い息を漏らしながら、気持ち良さに頭の芯まで溶けてしまいそうだ。

快斗君は、私がくらりと酔いしれるような舌使いで、歯列をなぞり、舌を絡ませ、粘膜を擦り上げて。

私の口内を翻弄してく。


「ふぁ…んんっ…ぁ…」


思わず力が抜けてしまう私の腰を、快斗君の片手がぐっと支えてくれた。


少しはマシになったかどうかはわかんないけれど──結局のところ。


気持ちが良くて、されるがままになってしまう私は。



まだまだ、快斗君を翻弄なんて出来やしないんだろう。