#88





ちゅ、と音を立てて唇が緩く離れると、こつり、とおでことおでこがひっついた。


至近距離で、快斗君の蒼い瞳が甘く溶けて、私を覗き込んでいる。
うう、やっぱり、この表情にはドキドキしちゃうや。


「杏とベッドあるとこなんて入ると、すぐエロいことしたくなっちまうから困るな」



まるで擽られるような甘い声色で、ストレートにそう言われて。
今ほどのキスも相俟って、私の顔に熱が集中するのがわかった。

こつりとぶつかったままのおでこから、私の熱が快斗君に伝わってしまいそうだ。


甘い空気に酔いしれそうになっていると、快斗君がどこか名残惜しげに、ゆっくりと顔を離して。



「ま、でも、折角遠出したしな。ここ、なんか遊ぶとこも色々面白ぇもんあるみてぇだし、とりあえず色々見てくっか?杏とこのままここにいると、襲っちまってそのまま一日終わっちまいそうだし」

「えっ」


あの快斗君が。
ここで止めるとか!

思わず驚いた声が出たのを、快斗君がジト目でこちらを見遣る。



「おめぇ、人をエロいことしか考えてないとか思ってね?ちゃんと今日は色々ちゃんとしたことを楽しもうと思って来てっからな」

「あ、いや…」

「何、それとも今からエロいことして欲しかった?」

「ちがっ、…あの」



だって。



「いや、えと…快斗君」



──なら、私の胸をもみもみとしてるその右手はなんでしょうか。



私の無言の訴えな視線に気付いた快斗君が、あれ?と自分の手の方に視線を向けて首を傾げた。


まさかの無自覚とな。



「あ、つい。そこに杏の乳があると、な!」



まるでどこぞの登山家のようなセリフを、とてもいい笑顔で言われました。はい。












「わー!!!なにこれー!!?」


快斗君自身がここでやめとくといいながら、結局3分くらいあのまま胸を揉まれ。

「──くっ。なぜそこに乳があるのに。ベッドもあるのに…」

とかなんかいいながらも名残惜しそうに乳から手を離させて。


そうしてなんとかやってきたのが、大きなため池の前。

おっきいバルーンみたいなのが、ため池にぽんぽんと浮かんでいる。
その中に、人が入ってゆらゆらと歩いたり、走ってごろんごろんと転がったりしてるのが見えた。

きゃー!という楽しそうな叫び声が、バルーンの先から聞こえてくる。


「うわー!なにあれ!!すごい!楽しそう!!」
「やる?」
「やりたい!!」

私の返しに、「うんうん、いいお返事」と快斗君がにかりと笑う。



「ウォーターバルーンってんだってよ。バルーンだから弾力あるし、水のクッションもあるし。これなら杏がいくら転んでも大丈夫だろ?」

「う。すいませんねえ。大抵どこでも転んでて」

「そうそう。杏ちゃんはいつでも、どこでも転んじまうから…お兄さん心配で心配で。…やっぱり、一日中ヴィラで閉じこもっとくか?」


快斗君、真剣な顔して、まるで心配ですって雰囲気醸し出してるけどさ。

それ。きっと目的が違うやつですよね?


「やーだよー。あそぶー!」


そう叫んで、ウキウキする気持ちを抑えられずに、だっとバルーンの受付と思しきところに駆け出して。

そしてお約束のように転げそうになったところで、しっかりと腕を支えられた。

…あはは。ほんと大抵転げそうになっててすいません。



「──まあ。俺の前なら、いくらだってドジってくれていいけどな?杏のドジくれぇ、いくらでもフォローしてやっから」

「う、ありがと」

毎度毎度すいません。と謝ると、くしゃりと目元が細まって。

「気ぃつけろよー」

そう、いつもの太陽みたいな笑顔。




──だから。俺が居ない間に、おめぇがドジんのが本当心配。





いつもの快斗君の笑顔だったから。

小さな声で呟いたそんな言葉は、ウキウキとため池に浮かぶバルーンを見つめていた私まで届かなくて。












「うっ、きゃーー!!」


ごろんごろんごろんごろん


快斗君はなぜ立っていられるのか。
楽しそうに縦横無尽にバルーンを動かしては、私が前回りするんじゃないかってくらいぼよんぼよんと転がるのを、爆笑してる。


いやでも、うん。
転がるのすら楽しい。

もはや前後感覚すらわかんないけど。
転がりながらもたまに見えるバルーン越しに見える空とか、揺らぐ水面とか。
すごく綺麗だし。


快斗君が旅行前に、スカートは無しな!と私に言ってきたのは、もともとこういう遊び場があるのを知っていたんだろうか。

歩くからかな?と言葉通りにデニムとキャンディスリーブのブラウスにしておいて良かった。

お陰でいくら転んでもパンツ丸見えにならずに楽しめる!



私をごろんごろんと転がらせては、けけけと楽しんでる快斗君。

そんな彼に、私も少しはお返しをしなくては。と、頑張って四つん這いになりながらもバルーンを押すんだけど。

私の頑張り虚しく「あめぇーよ」と、快斗君がバルーンをぐっと動かして。結局転がるのは私だけ。


うう。くやしー!


結局、きゃー!と私ばかりがごろごろごろと転がったまま、気づけば対岸に到着していた。


快斗君の動きが止まり、一緒に転がり続けてた私の動きも止まる。
疲れ果ててごろりと寝転がった形だけど。

おおー。空が青いよ。
水がふにゃりとしたクッションみたいで、寝転がってるのも気持ちいいなぁ。


どうやら、ここまではあんまりたどり着けないものなのか。
他のバルーンの人たちはいつのまにか後方にいる。

快斗君はバルーンに寄っかかって、仰向けに寝転がってた私をじっと見つめていた。

ん?なんか視線が…ちょっと下の方?



「──杏さ、誘ってんの?」

「へ?」

「そんな、ヘソ出してよ」



へ。と、快斗君の視線の先を見ると。

うあ!転がってブラウスめくり上がってた!



うわわ!と慌てて起き上がろうとすると、ぐらりとバルーンが揺れる。


「うお」

そんな、驚いてるんだか驚いてないんだか、抑揚のない『おおっーと』という言葉と共に、快斗君が倒れ込んだ。


──そう、私の方に向かって。



「──っ!か、快斗、君!!」


重なり合うように、倒れこむ快斗君。
快斗君の重みが上半身にかかるけど、そこまで重たくない。
だから、倒れ込んだのは絶対わざとだってわかる。

私の顔の横に快斗君のふわふわの髪がきて、ただでさえ擽ったいのに、ぐりぐりと、私の首元でそのふわふわが動いて私の首筋を刺激して。

何やってるの!とばたばたと脚を動かそうとすると、ぐ、と太ももを抑えられた。


小声で、「あんま暴れると、誰かが気付いてこっち向くかもしんねぇぞ?」と囁き付きで。

ぴたり、と動きを止めた私に、くすりと笑う音が届いた。


…確信犯め!!



「いやー、急に杏が動くから、バランス崩しちまったなぁ」

そうけろりと言いながら、太ももを抑えていたその手が私の脇腹をなぞるようにくすぐって。


「──っ、ぅぁんっ」



ここー!!外ーー!!水の上ーー!!




あんまし騒ぐと、誰かに見られかねないので。心の中で叫びまくる。
そんな私の心の声に、快斗君が返事を返してくる。


「大丈夫大丈夫。自分達の遊びに夢中で、誰も見てねぇって。まーったく。ちゃんとパンツ見えちまわねぇようにスカートやめとけって言葉守ったのは良いとして。この上着、裾が透けててタダでさえエロ可愛いのに、誘うように腹曝け出すし」


──何、俺の理性試して弄んでる?


そう、快斗君の意地悪な声が、耳元で囁かれた。


──ちがーう!!


のしかかられて快斗君がひっついてるから無駄にドキドキするし、耳横で甘い声色で喋られるからぞくぞくするし、手はなんか妖しく動きだしてるし!!


ゆらゆらとバルーンが、私がもぞりと動く度に小さく揺れる。

なんだかそれが無性にやらしいことな気がして、くらくらしてきた。


うう。これ、そういうやらしい目的のものじゃないのに。
やらしく感じてしまう自分が変態みたいだ。

いや、これは快斗君のせいだけどね!絶対!

他のバルーンがあっちの方にいて、本当に良かった。


「ん、、あ、ちょ…」

絞られているウエストの裾から、快斗君の手のひらが侵入してきそうなのを、その手を掴んで必死に抑える。

油断も隙もない!

首元に、快斗君の吐息の熱を感じる。
諦めの悪い手が、お臍のあたりをくすぐって。

思わず、ん、と熱い息が漏れた。



「…こんな密室にヤローと2人になっちゃダメだって。ガッコで習わなかったか?」


いやいやいや。密室!?ここ、密室!?
こんなにスケルトンな密室があっていいのか!

どくどくどくと、心臓が早鐘を打つ。


あかん、これはあかんやつや。


「こういうのはよ。こぞってヤローはやらしいことのチャンス狙ってんだから。本当、俺以外のヤツとこんなん乗ったらダメだかんな。ボートもダメ。観覧車も全部だめ。学校行事でも、男女グループでいつのまにか…とかぜってぇダメ」

なんだこれ。なんで襲われながら注意されてるんだ私。
襲ってる人に注意される理不尽。

まずもってこんなシチュエーションで2人きりになんて快斗君とくらいしかならないし!

というか、じゃあ快斗くんはやらしいことしか考えてないのか!
私の言いたいことがわかったのか、快斗君がにっこり笑った。


「当たり前。男子高校生の脳内なめんなよー?」


そんな清々しい言葉と共に、倒れ込んだ時に私の脚の間に入り込んでいた快斗君の右脚が、股を押し上げるようにぐ、っと押し付けられて。


「好きな子と一緒に居たら大体考えてることの9割はエロいことだっての。…このウォーターバルーンの感触、なんかウォーターベッドみたいじゃね?杏は誘ってくっし。そりゃ、据え膳はおいしくいただきてぇしな」


──大丈夫。誰にも杏のエロい顔、見させたりしねぇから。


そんな艶のある囁きが、直接耳に届く。





…えまーじぇんしー!


このままでは、空は青いのに、この辺りだけピンク色に染まってしまう…!!




その時。

ピー、と残り3分を伝えるタイマーの音が快斗君のポケットから鳴り響いた。


今にもブラの縁まで届きそうだった快斗君の指が、ピタリと止まって。



「──っちぇ。時間切れ」


──た、たすかった。


覆い被さっていた重さが軽くなると同時に、よろりと上半身をあげて、お腹までせり上がったブラウスをさっと下げる。


私の横で胡座をかいてる快斗君は、どこか不服そうな、少し唇を尖らせた顔でそれを眺めていた。


…そんな顔したら絶対ずるいと思います。

怒ってもいいはずの場面なのに、きゅんってしちゃうじゃないかっ。